体が痛くて目覚めることにも、もう慣れてしまった。





「・・・ぁぅ、」






 はうっすらと目を開けて、暗い室内の明かりを無意識に目で追う。

 ゆらゆらと小さな蝋燭の炎が暖かな光を放って僅かだが暗い室内を照らしている。自分の目の前には僅かな光に照らされる自分とは全く違う男の体がある。自分の主人と言うべき男は、まだ10代前半の、しかし煌帝国の高位の神官で、他者からも恐れられている存在だった。

 無邪気で、残酷で、気まぐれ、優しいかどうかはよくわからない。

 遊郭から宮廷に竪琴の腕を買われて芸妓として雇い入れられたは、舞姫の人々とのんびりと宮廷の片隅で誰にも目をとめられることもなく生きていた。宮廷は前がいた遊郭よりずっと良い場所で、ご飯も存分に与えられる。

 だが唐突には舞姫の人々と離され、神官であるジュダルに囲われることになった。

 よくわからないが女官や舞姫の姐さんたちの話で、はどうやらジュダルに気に入られ、巫女として迎え入れられたらしい。遊郭でも宮廷でも確かに愛人や寵姫にされ、出て行く人々はいたが、自分には全く縁のない話だと思っていたので、青天の霹靂だった。

 神官でまだ15歳の彼はを買うと、芸妓で、遊郭にいたとは言え売春に縁のなかったを何の遠慮もなく抱いたし、若いせいか、細かいことは全く気にせず、は痛みに毎度震えることになった。

 だが夜とぎを命じられること以外、彼は遊郭に来る男たちのような酷い扱いはしなかった。に普通の服を与え、豊かな食事を与え、気まぐれに勉強や魔法の使い方を教えてくれることもある。





「よくわからないな、」





 芸妓として売られるまではヴァイス王国の寒村で、隠れるように住んでいた。

 特筆すべきところは何もない。当たり前のように父母がいて、領主と言うほど豊かではなかったが、多分自由農というやつで、普通の農民たちよりは豊かで、穏やかに暮らしていたと思う。村人たちに敬われたり、家に農作物をもって村人たちがやってきたりしていた。

 足の悪いを心配して、子供たちはよくを運んでくれた。

 だが、本当に突然、その穏やかな生活は終わりを告げ、両親だと思っていた人たちに本当の両親は別にいると言われ、突然商人に芸妓として売られたのだ。





『ごめんなさい。ずっと一緒にいられれば良かったのに。』






 最後の日、を椅子に座らせて、の頬を何度も撫でて、何度も母と慕った人はそう言った。





『あなたは生きなくちゃいけない。マギに会うために。』

『まぎ?』





 その言葉をあまり聞いたことがなく、は反芻した。昔訪れた少年が一度だけ口にしたのを聞いたことがあるが、それが最初で最後で、長らく記憶にない単語だ。少なくとも人なのだろう。





『そうです。君の本当の父上もマギでした。』




 父と呼んだ人が熱のこもった声音で、懐かしそうに目を細めて笑う。

 の親は少なくとも彼らにとって大切な人物であり、同時に尊敬し、それが娘として自分を育ててくれた理由となったのだろう。





『予言とは、違うことになってしまいましたが、きっとルフと貴方に与えられた神からの祝福が、貴方を導いてくれる。だから、大丈夫よ。』




 寂しそうに、悲しそうに母と慕ったその人は愛おしそうにに笑いかけ、を強く抱きしめる。腕は震え、声も泣いているようだった。





『マギがきっと、貴方を迎えに来てくれるわ。だからその力は、マギと貴方の大切な人のために使いなさい。』






 優しく彼女の手がの銀色の髪を撫でる。

 不思議な力を持っていたはそれで村の人たちの病気を治したりしていたので、村の子供たちには変な敬われ方をしていた。

 よく考えれば、は村の人とは違っていたのだろう。確かに両親や村の人たちは、皆髪が赤く、瞳も同じ色なのに、の髪は色の抜け落ちたような銀髪で、目の色も翡翠だった。でも、両親が与えてくれるその愛情の深さから、は両親が実の両親だと疑っていなかった。

 村人の誰もがそのことを口にすることがなかったから、当たり前のようにはあまり似ていない両親を実の両親だと信じていた。

 そして今までもこれからも、愛情を疑ったことは、一度もない。





、いいえ、様。貴方は行かなくてはなりません。そして我らはこの役目を担えたことを、後悔しておりません。』





 父と慕った彼も、そっとの頭を撫でてくれる。





『だから、ここに戻ってきてはいけない。私たちの分まで、貴方は強く生きねばならないのよ。なんとしても生き抜かねば。それが、村のみんなの願いだと思って頂戴。』





 いいですね、と母と慕った彼女も強い決心を持った瞳でに言い聞かせる。縋るような、悲しい瞳には頷くしかなかった。

 父がぎゅっとの小さな手に、くすんだ金色の首飾りを握らせる。いつの間にかやってきていた村の人たちも皆、を抱きしめて別れを惜しんでくれた。芸妓として売られたこと自体は悲しかったが、仕方のないことだったのかもしれないと思えた。

 その後、足が悪いこと、容姿がそこそこだったこと、そして元々竪琴を奏でる事が出来たので、芸妓として最初は遊郭に売られた。とはいえはすぐに遊郭のすさんだ生活と与えられる食事量の少なさ故に体調を崩した。

 それを心配した遊郭の姐さんがこのままでは死んでしまうと、宮廷にを売り込み、芸妓として舞を教える養成所に、竪琴を奏でる役として売り込んでくれたのだ。おかげでは普通にご飯をもらえるところに雇われることが出来たが、誤算が一つあった。





『なぁに、こいつ!』






 を見た途端、彼はすぐに興味深そうに笑いながら、に近づいてきた。

 舞の養成所に遊びに来ていた彼には、お目当ての舞姫がいたらしいが、そちらそっちのけで、に興味を持って話しかけてきたのだ。彼は見かけによらず煌帝国では高位の人物で皆が恭しく頭を下げていたが、にはよくわからず、普通に話していると、しばらくして彼に引き取られることになっていた。

 漆黒の長い髪を三つ編みにしたジュダルという男は、何やらふよふよと黒い鳥をよく飛ばしているように見えたが、年の頃はと変わらなかったと思う。少なくとも彼がこの世界の中で特別な存在だと言うことだけはわかっていた。





『おっもしれー。顔も可愛いし、それに、』





 ジュダルは言っての太ももをさらりと撫でた。不躾な視線とその手には驚いた。そこに銀に囲まれた翡翠のような石が埋まっているのを知っているのは、両親だという人たちと本人である一人だったからだ。

 誰かに話したこともない、なのに彼にはわかったのだ。




『い、いけません、芸妓など!』

『うっせぇなぁ、これ俺に頂戴。』






 まさに、一言だった。彼の部下たちは随分と焦って止めていたが、ジュダルが文句を言うと、すぐに彼を恐れるように頭を下げて渋々同意し、いつの間にかは武官に抱えられてジュダルの部屋に住まうようになっていた。

 それからは気づけば神官付きの巫女という地位を与えられていた。遊郭にいた遊女たちと同じように体を要求されることだけは苦痛で辛かったが、綺麗な服を与えられ、お腹がいっぱいになるまでご飯を食べられ、温かいベッドで眠っていられるのは、間違いなく彼のおかげだった。





「マギ・・・」






 自分を育てた人たちは、の父親がマギで、マギがきっと迎えに来てくれると言っていた。だからは父が迎えに来てくれるのかと思っていた。村を出て、遊郭に買われた時はとても大変で、はすっかりそのことを忘れていたが、ジュダルがマギだとわかった時は、とても驚いた。

 とはいえ、未だにはマギというのが何なのかわからない。魔力を自分以外から得られると言うが、自分も僅かながら出来る。それが特別だと言うことがよくわからないにとって、マギもまたよくわからないことだった。

 育った村には魔導士なんて言う者はいなかった。

 ただ育ての両親が言ったとおり、運命づけられたように、流されてたどり着いたところが、マギであるジュダルのところだったと言うだけ。





「あ、金色の鳥さん。」





 はそれに手を伸ばして暗い中、身を起こした。布団の上にあった毛布で自分の体を隠しながら、それに手を伸ばす。

 幼い頃たくさんいるそれをよく追いかけて遊んでいたのを覚えている。何故だかはわからないが、の周りにはいつもこの金色の鳥のような蝶のようなものがいて、を助けてくれることがあった。歩けないの一番の友達と言っても良い。

 ジュダルの傍にいると、これをいつも見かけることが出来る。それをルフというと知ったのも、最近だ。






「きれ・・・」





 ふわりと舞っている蝶を追っていると、視界の端を黒い鳥がかすめた。それに気をとられた瞬間、ベッドの端にいたはそのままベッドの下に落ちた。






「いったぁ・・・」






 は衝撃の響いた腰を撫でて、うめく。


 一応柔らかな絨毯が敷き詰められているが、流石にベッドの上からまともに落ちれば痛い。ましてやジュダルとの行為になれていないため、未だお腹の奥が酷く痛み、疲れるのだ。衝撃は痛むお腹に酷く響いた。

 ベッドの高さが悪くて、足の不自由なは一人でうまくベッドの上に上がれない。絨毯の上からベッドの上を眺めたが、流石にこんなことで主人を起こせば怒られてしまうだろう。それでなくともジュダルは気まぐれなのだ。

 幸い毛布はまだ掴んだままだったので、それで自分の体を包む。柔らかい絨毯の上は、昔眠っていた遊郭の堅い畳よりずっと寝心地が良さそうだ。





「おまえ、寝相悪いなぁ。」






 呆れたような低い声が振ってくる。見ると、あぐらをかいた眠そうな顔のジュダルが、心底呆れたといった表情で頬杖をついてを見ていた。





「・・・いや、寝相が悪いんじゃなくて、金色の鳥みたいなのが。」

「あぁ、ルフ追ってて落ちたのか。馬鹿じゃねぇの。」

「・・・」






 ジュダルの言葉は容赦がない。

 遊郭に売られるまで気づかなかったが、どうやら自分は結構鈍くさいらしい。魔法に関しても魔力というのが多いので使えるそうだが、使うことに才能はないそうで、未だにろくすっぽ何も出来ない。

 村に住んでいた頃は何をしてもの失敗を皆が笑ってくれていたので、わからなかったのだ。






「ごそごそすんなよ。早く寝んぞ。」





 ジュダルはかったるそうにベッドから降りてくると、を抱きかかえ乱暴にベッドに放り投げる。それから同じようにベッドに横たわった。やはり彼は眠たかったらしく、すぐに寝息が漏れる。

 優しいのか酷いのか、よくわからない本当に変な人だとは目をぱちくりさせた。

退屈しのぎのいじめられっ子