突然の魔力を金属器が吸収し、青い何かが視界をかすめる。だが次の瞬間、その青い何かは皇后である玉艶に襲いかかった。
「えぇ?!」
があまりのことに驚きの表情で声を上げる。彼女が意図してそれを動かしているわけではなさそうだったが、青色のそれは間違いなくジンの腕だ。
紅玉もあまりの光景に呆然として目を見開いていた。
「うふふ、久しぶりだわ。」
無邪気な笑みを浮かべた玉艶は、青いジンの牙を防御魔法で完全に防いでいた。は慌てた様子で自分の太ももからつながって出ている青いジンを眼を丸くしてみている。ジュダルが見る限り、彼女の意思ではないらしいが、完全に金属器はの集めた魔力を利用している。
一定の魔力を吸い込むと、紺色の体ははっきりと具現化された。
『裏切り者め。』
低い男の声が響き、ジンが静かに目を開ける。
「ジンじゃねぇか」
ジュダルはため息をついて、自分の魔法の杖をそいつに軽く向ける。それは酷く歪な姿をしたジンだった。七つの赤眼のついた山羊の頭、14本の蛙の足、そして鳥の体を持つ黄金を携え青い蜘蛛。の太ももにある翡翠に宿るジンのようだった。
が他人を治癒する時や他人の魔力を回復させる時、翡翠の金属器を使っている。もう一つの金属器は音沙汰なしだった。しかしどちらにしても、翡翠の金属器ですらもジュダルにも反応しなかったのだが、を守る意思があるらしく、今はを玉艶から守るように立ちふさがっている。
「だ、だれ?」
の方はあまりにも惚けたような声音で青色の人型に問う。
ジュダルも知る、煌帝国を裏で取り仕切っているのは玉艶だ。だが、裏切り者という言葉の由縁はわからない。も知らないのか、この事態にただ呆然としていた。
『・・・黒のマギか、・・・最悪だな。』
ジンはジュダルの方を確認してから、嫌悪感をあらわにした。
はジンを初めて見たのか何度も翡翠の瞳を瞬かせて、慌てたように玉艶とジンを交互に見ている。あまりにも愉快で楽しそうな状況に、ジュダルは初めてに殺意を向けたが、本人のは戸惑いの表情しか浮かべていなかった。
「あの男の娘は、いつも食べてしまいたいくらい可愛いわね。月光の銀の髪、幸いなる者の翡翠の瞳。傲慢なる神が与えた奇跡の力と、人としての歪さ。」
玉艶はを値踏みするように見て、手をそろえ、夢でも見るようにうっとりと目を細める。
『どれほど姿が変わろうとも、我らが彼女に仕えていることに変わりはない。穢れたおまえなどに渡す訳にはいかない。』
ジンは憎しみの入り交じった目で玉艶を見て、細い腕を掲げる。
そこにから吸い取った魔力が集まっていく。マギと同じく周囲から魔力を集めることが出来るという性質を考えれば、は強敵だ。彼女が全くこの金属器、強いてはジンを操れていなかったとしても、このジンはの魔力を勝手に使うことが出来るようだった。
自身も魔力の使い方をわかっていないので、このジンを制御することは出来ない。ジュダルは自分の杖を構えて、お気に入りの玩具を壊すことを考えてため息をつきたくなったが、それはすぐに杞憂に変わった。
『ぎゃっ、』
一瞬即発の空気が、突然ジンの上げた奇声で遮られる。
ジンがおそるおそる自分の後ろを振り返ると、そこには小柄ながいた。の手には先ほどジュダルに椅子から引きずり下ろされた時に芝生の上に落ちていたフォークが握られている。
「何でこんな事をするの!?」
翡翠の瞳に涙をためて、聞いたこともない大きな声で言う。
「叩いたら、みんな痛いよ!」
子供を怒るような台詞に、事態も忘れて彼女のジンはぽかんと口を開いていた。流石の玉艶も状況について行けなかったようで、笑みが引きつっている。ジュダルもあまりに予想外の事態に、ひくりと唇の端を震わせた。
『し、しかし、こいつは悪の・・・』
「貴方がされて痛いことはしちゃ駄目だよ!!」
子供の学級目標か標語のような言葉を叫んで、はフォークだけが武器だというように持っている。本人はこれ以上このジンが戦いを続けるようならもう一回刺すとの脅しを示しているようだが、ちっとも怖くない。
ただ本人は必死らしく、フォークを持つ手が震えている。
『ぐっ、』
ジンは奥歯をかみしめ、悔しそうな表情を見せる。
「酷いことしないで!」
ひらりと金色のルフが舞う。
悲鳴のようにが言うと、途端に先ほどまでジンが勝手にとっていたの魔力を、自身が奪い、ルフの流れが変わる。ジンが彼女の魔力を吸い込むことが出来ず徐々に小さくなるとともに、彼女の周りのルフも消えていく。
の魔力を奪って動いているという性質上、やはりの魔力に依存するしかない。
「ぶっ、あははははははははははは!!」
ジュダルはこらえきれなくなって、盛大に笑い出す。
「何言ったって無駄だって!こいつ何も知らねぇもん!!すっげぇ馬鹿なんだから、」
には何も理解できていない。今の状況も、玉艶が悪の権化だと言うことも、ジュダルが堕転したマギだと言うことも、何もわかっていないのだ。この事態の重要性も背景を知らない彼女に理解できるはずもない。
消えゆく寸前のジンが静かにに手を伸ばす。
『早く、早くそこからお逃げください・・・』
「え?」
『神の愛し子よ。貴方は大王の・・・』
最後まで言う前に、ジンはあっという間にかき消えていた。は一瞬彼の言葉にきょとんとしたが、それでもほっとしたように息を吐いた。
嵐の去った後のような静けさがあたりを支配する。
「あの、あの人、貴方の知り合いかな?」
は何の恐れもなく、玉艶におずおずと尋ねた。
呆然としていた紅玉がぎょっとして顔色を変えたのは、玉艶が皇后だと知ってのことだろう。とはいえ知らないは不思議そうに玉艶を見上げるだけで、何もわかっていない。
「そうね。古い知り合いよ。」
玉艶は足が悪いために座り込んでいるの前に膝をつき、そっとの頬に触れて艶やかに笑って目を細める。
「そして貴方もね。可愛い可愛い。」
「・・・え?」
は理解できないのか、首を傾げるが、彼女は続けた。
「あら、何も知らないの?」
「そいつは芸妓だったから買ったのさ。」
ジュダルはの代わりに玉艶に口を差し挟む。玉艶はその言葉に驚いたのか、珍しく僅かに目を見張ったが、すぐいつも通りほほえむ。
「あらあら。何故そんなことに?・・・まぁ、ジュダルの玩具を奪う気はないわ。」
ジュダルにさらりとそう言って、玉艶は瞳を細め、の頭を愛おしそうにひと撫ですると腰を上げた。だがは縋るように彼女の服を掴む。
「あ、あの、わたしは、誰?」
彼女はジュダルが驚くほどに自分のことを知らなかった。なのに、何の疑問すらも持たないようだった。その彼女が初めて自分のことを尋ねる。それは彼女にとっては大きな変化だ。
「自分を知るのは、自分だけよ。可愛い傲慢なる神の娘。」
玉艶はにっこりとほほえみ、が掴んでいた裾をさらりと払って去って行く。は翡翠の瞳を何度か瞬いていたが、自分の服をぎゅっと掴んでそれを見送っていた。
「だ、大丈夫?」
紅玉が慌てた様子でに駆け寄る。
「本当に良かったわ。もし殺されちゃったらどうしようかと。」
「え?」
「あの方は皇后陛下よ。」
「こーごへいか?」
「この国で一番の権力者だよ。馬鹿。」
ジュダルは腰に手を当ててため息をつく。
どうやらは知らなかったらしい。まぁジュダルも教えなかったので、彼女が皇后だと知らなくても当然かもしれない。
「えっと、」
「一応おまえの金属器だからな。皇后に反逆したってことで、首飛んでたぞ。」
周りに人がいなかったら良かったようなもので、女官や武官がいればごまかしようもなく首をはねられていたことだろう。
相手を襲う気などさらさらなかったとろいも流石に死にたくはないらしく、顔色を変えてわたわた手を振ったが、はたっとその動きを止めて、困ったような顔で自分の太ももを手で押さえた。少しは自覚が出来たのかもしれない。
だがジュダルには全く関係ない話だった。
亡霊との遭遇