「あらあら、遊びに行くみたいだわ。」





 庭で神官たちとお茶をしていた玉艶は口元を袖で隠してうっそりとほほえむ。

 視線の先にいるのは長い漆黒の三つ編みを揺らしながら歩く少年と、絨毯の上に乗って下をのぞき込んでいる銀色の三つ編みの少女だ。

 マギであるジュダルと、人間の


 その本質は全く違うように見えて、全く一緒だ。正反対な運命を背負いながら、背負うべきだった運命は同じ。彼女と彼が出会ったことは、数奇な運命だとしか言いようがない。






「・・・あれが例の娘ですか?」





 神官の一人が口を開いて、玉艶に尋ねる。





「そう。智慧の娘よ。ソロモン王の娘であり、運命に抗ったあの男の娘。あの男は最後の最後で怖じ気づいたのよ。」






 玉艶は澄ました顔でお茶をすする。

 という名は“智慧”を意味する。ソロモンの知恵を有するにふさわしい名を生まれながら与えられた理由は、彼女の生まれと両親に起因する。彼女は与えられるべくして力を与えられて生まれ、そして最も価値ある存在となるはずだった。





「馬鹿な男だったわ。世界を滅ぼすかもしれないのに、第一級特異点のマギを奪うなど。」





 結局の所、あの男はアルマトランの一件に恐れをなしたのだ。

 そして、あらかじめ特別な力を宿し、この世界において重要な存在となるはずだった自分の娘の“特別な未来”に恐怖した。

 娘にたくさんの祝福を与えながら、娘の未来を定めることを拒絶した。娘を大きな運命という流れにゆだねることを拒否し、運命をねじ曲げ、彼女を“普通”の人間とすること、堕転させないことにこだわった。

 にもかかわらずこんな所に彼女が導かれていると言うことは、運命はそれほど強く人を縛り続けるのだ。





「もしもあの子が正しい運命の下にあったならば、私たちも手出しは出来なかったでしょうね。」




 あの男と、魔導士として優れた才能を持っていた女の娘。仮に彼が生きていたならば、玉艶たちが彼女を手中に収めることは、永遠になかった。そして彼が彼女に力を譲っていたら、この世界で最も重要な存在として、彼女は世界に愛され、その祝福とともに、大王の隣に座したことだろう。





「・・・あの少女は力を・・・?」

「もちろん持っているし、資格も保持したままよ。まぁ、言ってしまえば現時点ではただの迷宮攻略者。魔力の多いだけの人間って事よ。」





 彼女は今はまごうことなくただの“人間”。違いない。





「可能性は?」





 恐れるように、神官は目尻を下げて尋ねた。玉艶は顔を上げて、軽く首を傾げる。






「あるから、手元に置いているのよ。それに多分、あの男の一部も持ったままでしょうしね。」





 運命がどちらにしても彼女を手放さないのならば、彼女の運命は自ずと決まっており、行き着く先も同じなのだ。運命を分け合い、相反したといっても良いとジュダルが出会ったのも、すべては運命に導かれた結果。どれほどに拒もうともそれが運命というものであり、玉艶が壊してしまいたいすべてでもある。





「ソロモン王、貴方は残酷すぎるわ。」





 ふわふわ揺れる銀と漆黒の三つ編みを眺めながら、玉艶は小さく嘆息した。それは遠い日、玉艶が見た光景と全く同じだった。
















 自分の目の上に手で傘を作って、紅覇は首を傾げる。





「あれれ?なんかジュダルくんが女の子つれてるよぉ。」





 視線の先には少年少女。少年の方は紅覇もよく知っている人物だが、もう一人は見覚えもない。服装から女官でもなく、良家の子女といった雰囲気だが、明らかに北方系の髪と瞳の色をしている。どこからの預かり物だろうか、紹介してくれれば良いのにと紅覇は僅かに眉を寄せた。





「あぁ、多分マフシードの娘だ。宮廷の芸妓かなんかになってたらしが、今はジュダルの奴が囲ってるらしい。」






 紅覇の兄でもある紅炎が、面倒くさそうに答える。





「はぁ!?マフシード様の娘!?なんで彼女がそんなことしてたんですか!?」





 次兄の紅明は目をまん丸にして少女を凝視した。絨毯に乗った少女は楽しそうに体を揺らしているところから機嫌が良いのだろう。ふわふわと体を揺らすたびに同じように銀色の三つ編みも揺れる。





「マフシード?だぁれそれ?」





 紅覇はちらりと兄たちを見たが、そんな政治的であろう事は13歳の紅覇にとってはどうでも良いことだったと、気を取り直す。





「ま、なんでも良いけどぉ、可愛い子じゃん。紹介してくれないなんて水くさいなぁー」





 遠くから見ても、少女の面立ちが整っていて可愛いことはわかる。小柄だし、紅覇ともそれほど年は変わらないだろう。長いつきあいだというのに、ジュダルも可愛い女の子を紹介してくれないなんて、人が悪い。

 紅炎は紅覇の軽口に少し眉を寄せながら、呆れたようにため息をついた。





「あんまり関わるなよ。紅玉がそれでジュダルの怒りを買ったらしいぞ。」






 紅炎は先日、紅玉が勝手に彼女を連れ出してお茶をし、ジュダルの逆鱗に触れたのを女官たちから聞いている。その後ジュダルは制裁として神官たちに言って紅玉をぼろぼろの離宮に休暇へと向かわせたらしい。

 少女を勝手に連れ出した彼女に対する嫌がらせだろう。紅玉とも少女は年が近いので、紅玉は友人になれるかもしれないと意気込んでいたというのに、紅玉の前でジュダルは少女を手荒に扱ったらしく、紅玉は少女を傷つけてしまったと随分と落ち込んでいた。





「えー何それ、こわぁ。結構本気な訳ぇ。」





 紅覇は腰に片手を当てて、もう片方の手をひらひらさせる。




「さぁな。お気に入りであることに間違いはないんじゃないか?俺もちらっと聞いたが、歌もうまいし、将来は美人になると思うぞ。」





 女官たちもジュダルが女を囲っていると噂をかき立てている。神官であるため少女は神官付きの巫女とされているが、そんなのは言い訳であることは誰が聞いても明らかだ。

 年頃になってからジュダルが舞姫や売春婦などと関係を持つことはあったが、それは男なら誰でもある話で、彼自身飽き性であることもあり、特定の相手を持つことはなかった。そのジュダルが少女を自分の部屋で囲っているというのだから、噂にもなる。 

 話では竪琴と歌の名手であり、芸妓の時も、貴族の子弟が何人か通っていたそうだ。ただ、紅炎が見に行った限りまだ子供で、手練手管で取り入るようなタイプでもなかった。




「とはいえ、それだけではないがな。」





 マフシードの娘であれば、北方を押さえようとしている煌帝国にとって役に立つ。表だって他の神官が反対しないのも、皇后の玉艶が彼女に興味を持っているのも、そこに理由があるのだろう。

 だが、当のジュダルがそこまで考えてを招き入れたかどうかは大いに疑問で、やっかいごとを思えば紅炎は自然とため息が出る。紅明も複雑な理由を察してか、目尻を下げてうんざりした表情でジュダルの後ろ姿を眺めていた。





「ふぅん。でもさぁ、面白そうよね。僕ついて行ってくるよぉ。」

「紅覇?!貴方今の話を・・・」






 紅明が慌てて紅覇を止める。だがジュダルの方に歩き出した紅覇はひらひらと手を振る。





「聞いてたけど、やっぱり興味があるんだよねぇ。僕ちょっと行ってくるよ。」





 次兄の制止などまったく物ともせず、紅覇は歩き出した。










「あ、あの銀髪の子供、まさか!?」





 絨毯に乗って移動している少女を見た若者は、幼い日に見た司法を司っていた女にあまりにも似た少女に呆然とする。

 白銀でまっすぐの長い銀髪はスールマーズ家の特徴の一つで、北方でも実に珍しい、独特の色合いがある。恐れと期待と尊敬、そして今では髪のようにあがめられるあの一族の存在を、北の大地に生きるものが忘れたことはないだろう。

 特にあの娘は今でも絶望と期待の元に語られる存在なのだから。





「隣にいるあれは煌帝国の神官。まさか、・・・国王陛下に知らせなければ。」





 老齢の魔導士もまた呆然とした面持ちながらも、冷静さを装ってそう言った。





「やはりファナリスたちが匿っていたとの話は本当だったのか。」

「捕らえた奴らは一切口を割らなかった。娘もいなかった。死んだとばかり思っていたが。」





 母親である女が死んだと同時に、ファナリスが反乱を起こし、女を殺した先代の国王が殺された。その争いに乗じて、行方不明となり、死んだと考えられていた娘は、おそらく何らかの形で逃げ延びたのだ。実際に一部のファナリスが国境近くで村を作って暮らしているのがわかり、先日粛正されたところだった。




「どういった経緯でこんな所に来たのか知らんが、あの容姿、そっくりだ・・・どちらにしても、早く殺してしまわねば。」





 彼女がただのそっくりな少女だとしても、本物だとしても、祖国にとって悪い影響をもたらすことに間違いない。かつての北の大国はすでに勢いを失い、煌帝国に侵略されつつある。その現状にあの少女が利用され、祖国に徒なす存在となるなら、早く殺してしまわねばならない。

 国が二つに割れる前に。



 老齢の魔導士は少女のふわふわと揺れる銀の三つ編みと、隣の少年の漆黒の三つ編みを見ながら、かつて頭を下げながら、同じように男女を見送ったことを思い出して目を伏せた。


 あの日から、すべてが変わってしまっていた。

市場と予兆