ジュダルがちらりとの表情をのぞき見ると、は緊張しているのか、それとも不安なのか、ジュダルの首に手を回して目尻を下げていた。

 あまり人の行き交う場所に行ったことがないのだろう。足が悪いので誰かの手を借りねば街へは行けにだろうし、市場などはなおさらで、彼女にとっては初めてのことなのだ。不安に思っても仕方がないかと納得しかけたジュダルだったが、が次に挙げた声にジュダルは彼女を自分の背中から落としたくなった。





「あー、ごはん!」




 市場の右側にはたくさんの露店街がある。は異国から集まる物品よりも、食べ物の方にベクトルが向いたらしい。





「煌帝国はここ数年で大きくなってるからねぇ。市場も大きくなってるんだよぉ。」





 紅覇はに説明する。

 ここ数年煌帝国は右肩上がりで大きくなっているため、外国から入ってくる物品も大幅に増えたのだ。そのため市場の規模も年々大きくなっているし、帝都自体も開発が進んでいる。さらに東の大陸に領土を広げれば、煌帝国はもっと豊かになるだろう。





「ふぅん、国も大きくなるの?」

「はぁ?」





 ジュダルはの質問の意図がわからず、眉を寄せる。






「そりゃそうだろ。隣の国を自分のものにすればどこまでも大きくなるぜ。おまえの祖国だって言うヴァイス王国ももうすぐ煌帝国さ。」





 煌帝国の北にあり、の村があるというヴァイス王国もまた、現在煌帝国と紛争中だ。かつては整った政治体制と魔導士、ファナリスの力で煌帝国を圧迫していた北の王国は、一〇年前の政変から下り坂。煌帝国が攻略するのも時間の問題だ。

 だがはそう言った政治状況を全く感じたことがないのか、首を傾げる。




「よくわからないよ。王様みたことないし、っていうか、何もしに来たことないから。」

「税金の徴収人ぐらい来んだろ。」

「え?村に外の人が来るのは商人さんが年に数回だけだよ。」





 年に数回決まった時に来る商人だけだ。旅人が来たのもが生まれて一度しかない。決まった人間がそこに住み、耕し、その豊かさを感受する。税金の徴収人が何かはわからないが、商人以外が来ることは基本的にない。

 がきょとんとしていると、紅覇が肩をすくめた。





、おまえってぇ、よっぽど未開の地に住んでたんじゃないかなぁ。」





 ヴァイス王国がどれほどあれていると言っても、税金は国家の基軸と言って良い。その役人が来ないと言うことは、が住んでいた場所はさぞかし開かれていない土地だったのだろう。





「かもかな?森ばっかりだったし。」





 は何の気もなく小さく頷いたが、ジュダルは眉を寄せる。

 未開の地に住んでいたという割に、は文字が読める。が弾くことが出来る竪琴も特殊な部類の、上流階級に出回っている物で、だからこそは遊郭でも春を売る必要がなく、またその技術を買われて宮廷に上がることが出来た。

 そんな技術を持つ人間を育てた奴らが、未開に住んでいたというのは大いに疑問だ。





「ふぅん。行ってみたいねぇ。なんかとろそうじゃん?しかも森の中に住んでたってならそこで狩りをしたらばんばんとれそう。」

「でも村の人はみんな狩り得意だったし、力持ちだったよ。よくトナカイに岩放り投げていたし。」

「なにそれぇ。こわぁい、でも僕だって結構剣術とかはうまいんだよぉ。」





 紅覇は何かずれたの話に、適当な相づちを打つが、こちらもなにやらずれている。二人とも正直あまりかみ合っていないような気がするが、かみ合っている必要性が二人にはないのだろう。年齢としてはおそらくも紅覇もどっこいどっこいな気がする。

 そういう点では頭のレベルが一緒と言うことだとジュダルは酷く納得した。





「なんかおまえらの会話聞いてるとバカになった気がする。」

「ジュダルくん、ひっどーぉーい。もジュダルくんに酷いって言ってよ。」





 紅覇がぷくっと頬を膨らませて言う。だがは別段何も感じなかったのか、小首を傾げて鈴を鳴らすような柔らかい声で軽やかに笑った。

 活気づいた市場を見るとたくさんの人が通っていく。は完全に興味が食べ物の市場の方に向いているため、ジュダルもそちらの方に足をすすめた。を背負っているこの状態では大きな荷物は持って帰れないので、ある意味で紅覇がついてきたのは良いのかもしれない。





「こーは君は市場に行ったことがあるの?」

「もちろんだよぉ。面白いしね。」

「そうだね。ご飯がおいしそう。」

「でもぉ、僕はあっちの服屋さんとか、宝飾品に興味があるんだけどぉ。」





 と紅覇の意見は全く一致していないが、ジュダルも軽食をとりたかったので、紅覇の方を黙殺することにした。食事系の露店は昼を過ぎれば閉まってしまうが、基本的に宝飾品の露店は昼を過ぎてもやっているのでなおさらだ。





「おぉ、そこのお兄さん!肉まんはいらんかね!」





 露店を取り仕切る老婆が目を細めてジュダルに声をかける。あたりには食べ物の美味しいにおいが立ちこめており、育ち盛りのジュダルとしては手を出したくなるが、食いしん坊のはもっとだったのだろう、お預けの犬状態で目を輝かせていた。





「本当に、ってご飯が好きなんだねぇ。」






 食べ物で頭がいっぱいのせいか言葉もないに、紅覇も呆れたように肩をすくめる。





「うん。だいすき。珍しい食べ物がいっぱいあるんだねぇ。美味しそうだよ。あれは何かな。」





 北のヴァイス王国の村と、遊郭、宮廷という狭い場所で育ってきたにとって見る食べ物のすべてが珍しいのだろう。最初は食べ慣れていたチーズやパンが食べたいだろうと思ってここに連れてきたが、完全にベクトルは“珍しい食べ物”一直線だ。





「ひとまず肉まんで腹ごしらえするか。」

「それ良いねぇ!最初は煌帝国の料理でってね。」





 紅覇も賛同して、先ほどの老婆が売っていた伝統料理の露店で小さめの肉まんを三つ購入する。紅覇はその一つをに、そしてもう一つをジュダルに渡した。





「あ、嫌な予感する。おまえ・・・」






 ジュダルは肉まんにかじりつこうとしたが、ふと気づいて背中に負ぶっているに口を開いて注意しようとしたが、ぼたりと肉まんの破片がジュダルの肩に落ちた。






「あ、」






 は間抜けな声を上げて、少し困った顔をしたが、ジュダルのフードに出来たシミを確認して、へラッと笑う。




「落ちちゃった。」

「みりゃわかる。」





 ジュダルはこのままを地面にたたき落としたくなったが、あまりに間抜けな自己申告に怒る気が失せた。代わりに露店群の近くにあるベンチにを下ろした。





「案外ってとろいんだねぇ。」

「案外じゃなくて、見た目のままとろいんだよ。」





 紅覇の間違いを冷酷に正して、ジュダルはため息をついて肉まんをかじる。は食事にありつけてご満悦なのか、にこにこして肉まんを食べている。





「そういやさっきの話だけどさぁ。ヴァイス王国落とすってなると、やっぱ全員行く感じぃ?」





 紅覇がふと顔を上げてジュダルに尋ねる。

 北のヴァイス王国の攻略は最近の煌帝国の戦略の一つだが、一〇年前まで大国だっただけあり、魔導士や金属器使いもそれなりにそろえている。攻略は簡単なことではなく、現在金属器を所有している白瑛、紅炎、紅明が出て行かねばならない。

 神官や魔導士なども必要になってくるため、ジュダルも可能性としてはあったし、金属器は持っていないが、武人である紅覇もまた、出陣する可能性があった。





「・・・どうだろうなぁ・・・なんか組織のじじぃどもは乗り気じゃねぇみたいだけど。ってかなんかびびってるって感じだな。ヴァイス王国自体も中でもめてるらしいから、そっちで片付くかもしれねぇし。」






 ジュダルは肉まんを食べながら、軽く目を細める。

 兵をさしむけるかどうかすらも、まだ決まっていない。ヴァイス王国は領地こそ小さくなったが未だに優秀な金属器使いや魔導士も保有しているため、煌帝国側も慎重だ。またヴァイス王国側も政治的な分裂を抱えており、それ故に煌帝国側の条件をのむ可能性もある。

 戦争は楽しいが、負けるのは絶対に嫌だ。ゲームというのは基本的に勝つからこそ楽しいのであり、張り合いもまた楽しみではあるが、最悪は敗北だ。それなりの戦略がいる。





「ねぇ、この肉まん美味しいね。もう一個欲しいかな。」





 祖国が煌帝国に占領されるかもしれないのに、は肉まんに夢中なのか、ジュダルの服の袖を引っ張って訴える。





「・・・おまえなぁ。もうちょっと他人の話に興味持てよ!」






 ジュダルはの銀色の長い三つ編みを引っ張る。だが慣れてきたは腕と腕の間に三つ編みを挟んでとめており、根元あたりまで引っ張られないようにしていた。






「生意気になったじゃねぇか。」

「髪の毛引っ張られると痛いんだもん。」






 はがしっと自分の髪を持って抵抗する。その抵抗がなんだか苛立ちを煽って、ジュダルはの頭をぱちりと手で叩いた。
市場と予兆