皇后である玉艶にジュダルとともにお茶に誘われたのは、市場に出かけてからしばらくたった頃だった。





「この間はごめんなさい。」






 は自分のジンが彼女を攻撃してしまったことについて、深々と頭を下げて謝る。

 ジュダルから後になって聞いたが、あの青い化け物はどうやらの金属器に宿るジンという存在らしく、本来が操れなければならない物らしい。が彼女を攻撃しようと思ったわけではないが、金属器を持っている限りは自分の責任だ。





「良いのよ。貴方のせいではないもの。」





 玉艶はゆったりとほほえんで、恐縮するに言う。

 庭には大きな傘が出され、その下には立派な茶器とテーブルが用意されている。椅子は三つ。と玉艶、そしてジュダルが座っている。周りには神官とおぼしき、杖を持った人がいて、はなにやら落ち着かなかった。 

 ふよふよと飛んでいるルフも、なにやら黒い。それがの不安を煽ったが、ジュダルのルフも黒い物が混じっているため、その不安が何故なのかがわからず、は落ち着かない心だけを抱えて俯いた。

 玉艶に会うのは、紅玉とのお茶会以来で、正式にこうしてお呼ばれするのは初めてだ。彼女は皇帝の皇后であり、偉い人だとジュダルからも聞いているから、緊張もする。だが何よりも黒いルフと周りの神官たちが気になって仕方がなかった。




「・・・あまり彼らが好きではない?」




 玉艶は神官をきょろきょろと見ているに優しく問いかける。




「え、えっと、」





 は相手が偉い人だと思い、なんと答えたら良いのかと迷う。だがそれが答えだとわかったのだろう。






「良いのよ。下がりなさい。」






 玉艶はあっさりと神官たちに命じる。すると彼らはすぐに庭から出ていった。






「安心なさい。組織も神官も貴方に何もしないわ。貴方がここにいてくれる限りね。」

「え?」

「わからないならそれで良いわ。でも私たちは貴方に目の届くところにいてもらわないと不安でね。」





 さらさらと彼女の唇から紡ぎ出される言葉の意味が、にはよくわからない。首を傾げていると、彼女は驚くほどに穏やかに微笑む。その瞳には先ほどの黒さはなく、驚くほどの優しさと、懐かしさが込められていた。





「何か困っていることはない?ジュダルは優しくはないでしょう?」






 ころりと話を変えられて、は翡翠の瞳を瞬く。





「え?」

「おいおい、俺は別になにもしてねーぞ。」

「そうかしら。いろいろと噂は聞くけれど。」





 玉艶はジュダルの答えに口元を袖で隠してに笑いかける。






「神官がお盛んなんて、ねぇ?」






 彼女の意図を理解したジュダルは思わず眉を寄せた。は彼女が言っている意味がわからず、目尻を下げる。

 神官という本来なら聖なる存在でありながら、女を囲うのはどうか、と言っているのだ。とはいえジュダルがマギという特別な存在である限り、それは許される。だから別に玉艶とて本気でジュダルを責める気などないだろう。ただの皮肉だ。




「困ったことがあったら何でも言うのよ。同郷のよしみで聞いてあげるわ。」





 湯飲みを持ち上げて、玉艶はにっこりと笑う。は何もわからず、引きつった笑みを返した。

 玉艶はどう見ても北方系ではなく、のようにヴァイス王国の出身でもないだろう。同郷のよしみというのは多分、何かの言葉の綾という奴だ。きっと。




「んー、あんまり困っていることは、ない、かな。」





 は改めて考えてみたが、別に困っていなかった。宮廷はご飯もきちんと三食食べさせてくれるし、竪琴も好きな時に弾いても良い。歌もジュダルに望まれることはあるが、基本的に自由に歌える。寒さに震えることも、飢えることもない。素敵な場所だ。

 ジュダルはたまに髪を引っ張ってくるので痛いが、それ以外に別に不満はない。





「あら、そうなの?服は?宝石はその耳飾りだけなの?」




 玉艶はに尋ねる。

 の服は真っ白の柔らかい絹の足下まであるワンピースに瞳と同じ翡翠色の帯、そしていつも北の民族的な文様の描かれた青のストールを羽織っている。

 もちろん宮廷に来て、ジュダルに囲われるようになってから服の質は格段に上がった。が持っている装飾品はジュダルが華がないと文句を言って贈った、翡翠の宝石のついた滴型で、ちりりと鳴る房飾りのついた金の耳飾りだけだ。





「うん。これだけ。でも、耳は二つだよ?」






 が真顔で返すと、突然口元を袖で隠したまま玉艶は吹き出した。ジュダルも同じで軽やかにを馬鹿にした笑い声を上げる。





「おまっ、何言ってんだよ!?ばっかじゃねぇの?」

「どうして笑うの?ジュダルも耳は二つでしょう?」





 は心外だとでも言うようにむっとして声を上げる。




「ふふ、なら皇族は皆、耳やら手が10個も百個もあるでしょうね。」





 としては耳は二つしかないので、一組の耳飾りで十分だと思っているのだろうが、腕輪や耳飾りなどを百個以上持っている皇族は少なくない。の理論で行くならば、彼らは一体いくつ耳や手を持っていることになるだろうか。




「皇族ってすごいんだね。」





 玉艶の皮肉がわからなかったのか、は酷く納得したような表情で頷く。





「ちょっ!おまえ、冗談だって!」

「え、冗談なの?」

「あたりまえだろ?おまえ耳が10個もある奴を見たことがあんのかよ。」

「ないけど、偉い人だから耳が10個あるのかなって。」

「きもいだろ。普通に。」






 の脳内がどうなっているのかジュダルはわからないが、にとって珍しいことや聞いたことのない話も、物を知らないからこそあり得るのかもしれないと考えるのだろう。






「相変わらず面白い子ね。ちっとも似てない。」






 玉艶は笑いが止まらないのか、ころころと軽やかに笑って目を細める。





「・・・?」





 は首を傾げて、彼女の言葉に耳を傾ける。前にも彼女はにあったことがあるような口ぶりをしていた。だがには彼女に会った記憶が全くない。

 どこか知っているような気もするが、それがどこなのか、定かではない。たゆたうように羊水に浮かぶ前の、もっともっと昔の記憶。




「安心なさい。約束された日まで、貴方の生活は保障するわ。」





 手に持った茶器の中に浮かぶ茶葉を眺めながら、玉艶は真顔で言う。




「何も知らずに、マギであるジュダルの傘の元で、穏やかに生きなさい。貴方はそうすべきでしょう。」





 運が良ければ、そのままは自分の生を生きることが出来るだろう。何も知らず、何も知らされず、マギであるジュダルの庇護下で。それを多くの人間が望んでいるはずだ。彼女の残酷で、傲慢な父たるソロモン以外は。

 玉艶は運命や世界を憎んだけれど、幼い彼女を憎んだことは一度もなかった。むしろに辛い運命を課した、ソロモンを憎む。

 マギという大きな価値ある命の後ろに、さらに価値ある命を隠し、運命に巻き込むことなく、終わりまで穏やかに過ごさせる。終わらせる。それが玉艶が出来る、本当にささやかなソロモンへの復讐でもあった。





 ――――――――――――この子はいつか、すべての運命を背負うべきだ、






 彼は選べたのだから良いのかもしれない。でも、選択権すらも与えられず、運命だけを背負うことを求められる事になる彼女はどうなるのだ。自分で選んだわけでもないのに、重い運命だけ背負わされ、がんじがらめで動けない。

 期待のまなざし、羨望、嫉妬、すべてを選ぶことなく与えられ、逃げることも出来ない幼い彼女の気持ちを彼は考えたことがあったのだろうか。すべてを選び、勝ち取った彼は、きっと課せられる運命の重みを理解できなかったのだ。





「本当に、可愛そうな子。」






 選ぶことも、逃げることも、憎むことも許されず、ただ先人たちの勝手で与えられるだけ与えられ、そして、勝手に思いを託され、がんじがらめになる。それがどれほど悲しいことなのか、玉艶との実の父親以外の誰もが、理解していなかった。





亡霊とお茶