「この黒い子、回復できないよ」




 は翡翠の瞳を瞬いて、じっと黒ルフで作られた生物たちを見やる。

 小さな小瓶に入っているそれを回復させてみろと言ったのだが、どうにも無理なようだ。他人の体を治癒する金属器を持つだが、闇のジンやルフで作られた生物の回復は基本的に出来ないらしい。どれほどがんばっても徒労に終わっていた。

 とはいえ、の失敗なのか、それとも黒ルフだからなのかはまだ不確定だ。それくらいの力は安定性がなかった。





「ま、もう良いいんじゃね?おまえ才能ねぇもん。」

「でも、ジュダルの治癒とかも出来ないよ。」





 はむっと眉間に皺を寄せてため息をつく。

 魔法の中でも、何故かはジュダルの治癒も出来ない。闇の金属器を使っている訳でもない。堕転している影響なのかもしれないが、は何故かジュダルに干渉することが基本的に出来なかった。

 要するにの金属器は、とジュダルには何の効力も与えないのだ。




「うーん。マギのだから?」

「俺に聞くなよ。おまえの力だろ?」






 ジュダルは腰に手を当ててを振り返る。カウチに座って黒ルフで作られた生物を眺めていた彼女は不思議そうにそれを見ていたが、飽きてきたのか近くの机においた。






「こんなにがんばっても増えないなんて・・・お腹すいた・・・」







 はきわめて燃費が悪い。

 金属器や魔法を使うと少しでお腹がすくらしく、成人男性の5人分くらい平らげることはざらだった。彼女はすぐに皿に置いてあった果物に手を伸ばしたが、こんなものではお腹はふくれないだろう。彼女の場合は。





「どうせもうすぐ飯だ。そういや、今度白瑛のとこの北方討伐軍に俺らも加わるから。挨拶にくるかもな。」





 白瑛は煌帝国の第一皇女であると同時に、軍隊の将軍でもある。一ヶ月後、ヴァイス王国に軍隊を引き連れて遠征し、結界を破壊して脅す予定なのだ。魔導士や金属器使いも多いため、武力でやるには戦力が少し足りないが、話し合いによる隷属を求めるために軍隊で脅す。

 それを率いるのが白瑛になる予定で、ジュダルも加わるのだ。当然もついて行くことになる。





「ほくえー?」

「おまえ、っんとに耳悪いだろ。練白瑛。第一皇女さ。もうそろそろ挨拶に来るだろ。」






 正式には前の皇帝の第一皇女であると同時に、皇后玉艶から生まれた皇女であり、身分も高く、もちろんその地位もそれに応じて高い。金属器使いでもあり、煌帝国に於いて重要な軍事を任されている将軍の一人でもあった。

 ジュダルも今回は参加するので、一応顔を見に白瑛がやってくる予定だ。

 が金属器によって他者を治癒できるという事実は、すでに話してある。軍隊にとって、そして白瑛にとっても怪我はつきものであり、は重要な存在となるだろう。真面目な彼女は事前にをどんな人物か確認したいだろうから、絶対に挨拶に来るとジュダルは踏んでいた。





「金属器って、わたしの太ももに埋まっているのと一緒、だよね?どうやってもらうの?」

「あぁ?俺、それ3日くらい前にも説明したぞ。おまえの耳はただの突起物かよ。」





 ジュダルはカウチに座っているの耳を思いっきり引っ張る。





「い、いたい!」

「何回説明したと思ってんだ?」







 真面目に聞いていなかったのだろう。最近わかってきたことだが、は馬鹿ではない。だが興味のないことを右から左に流すのは得意で、そういったことに関しては全く覚えていないのだ。金属器と迷宮攻略の説明も、少なくとも5回はした。





「迷宮を攻略した人間が手に入れられる、人智を越えた力って奴だ。」




 ジュダルはの耳から手を離し、彼女の座っているカウチの隣に腰掛ける。




「迷宮って、迷宮だよね。うーん、じゃあわたしはそれを二つ持ってるから、2回迷宮を超えたということ?」

「理論的にはそうなんじゃね?」

「方向音痴なのに?」





 引っ張られて痛むのか、耳を押さえて、は首を傾げる。





「それってなんか関係あんのかよ。」





 迷宮は、別に迷うから迷宮なのではない。彼女が方向音痴かどうかは、正直全く関係ない。様々なトラップや魔法を超えるだけの実力があるかどうかだ。もちろん確かに足が悪く、ろくに魔法も使えないが迷宮を二回も攻略したとは思えない。





「あー、本当におまえって馬鹿。」






 彼女の長い銀色の髪を引っ張りながら、ジュダルは息を吐く。彼女の力だけを考えたらジュダルの強敵になれそうなほどなのに、本人は力の使い方をわかっていないのか、ちっとも強くない。

 カウチに座って白い布地を身にまとい、足をふらふらさせている姿はどこにでもいるただの少女だ。

 機嫌が良いのか、唇から不思議な歌を紡ぎ出す。

 が高くあとげない声で紡ぎ出すその歌は子守歌のようにいつも穏やかで、普通の歌よりもなんとなく落ち着くので、ジュダルは彼女が歌うことを好ましく思っていた。

 ジュダルですら知らない、聞いたこともない柔らかく、独特の言葉と旋律を持ち、それに金属器も呼応するため治癒能力や魔力回復の効果もある彼女の歌は、光のルフを彼女の元に集め、人の心をすらも癒やす。






「役に立つかは謎だけど。」








 人に穏やかさを与える効果はあるが、能力的に役に立つかはまた別の話だ。ジュダルは歌の邪魔にならないように、小さく呟く。

 別段能力はともかく、役に立たなかったとしても少なくとも馬鹿で抜けたはジュダルの退屈しのぎになるので、飽きるまで捨てるつもりはない。確かにルフをまとった少女を面白いと思って買い取ったわけだが、自分以上の能力を望んでいたわけではない。

 だからジュダルはそれほどに元々期待していなかったし、何が出来ても、何が出来なくても別段問題はなかった。

 柔らかい旋律の歌をが歌い終わった時、入り口の方から拍手が聞こえる。





「美しい歌声でした。」





 賛辞の割には、随分と無感情な声だった。

 まっすぐの長い黒髪にきりりと上がった目元の少女が、入り口付近で拍手をしている。ジュダルも知る、第一皇女・練白瑛だ。は翡翠の瞳を何度か瞬いて、白瑛を映した。





「だれかな?」

「俺言ったよな。第一皇女が会いに来るって。」






 つい数分前の話だ。は真剣に考えるそぶりを見せるが、全く思い出さないのかうーんと悩み続けるままだ。






「ちょっとぐらい人の話を聞けよ、」





 ジュダルは緩く編んであるの髪を思いっきり引っ張る。




「いたたたたたたた、痛い!痛い!」





 は悲鳴を上げて自分の髪を押さえてジュダルの手から髪の毛を取り返そうとした。ジュダルはの髪を掴んだまま、白瑛に目を向ける。彼女は酷く困惑した表情でジュダルとを見ていたが、はっとして部屋に入ってきた。




「改めまして、私は第一皇女練白瑛と申すものです。」





 白瑛は無表情のまま、礼をすることもなく言った。後ろには従者の青舜が控えている。

 身分が高い彼女が頭を下げる必要などなかったからそう言った対応になったわけだが、失礼極まりない。ジュダルは眉を寄せたが、別には気づかなかったようだ。どちらにしても儀礼的なことはジュダルの得意とすることではなかったので、黙殺する。




「あ、えっと、初めまして、だよ。」





 は何度か翡翠の瞳を瞬いて、のんびりとした間延びした声音で言う。

 白瑛はに興味があるのか値踏みするような視線を彼女に向けていたが、自身は気づかないのか、にこにこ笑っている。白瑛は第一皇女である白瑛が来ているというのにもかかわらず、が一切立ち上がらないことに苛立ちを覚えたようだった。

 とはいえ、彼女は立ち上がることが“出来ない”のだが、白瑛としてはジュダルの従者であり、他にも思うところがあるのだろう。冷静に考えればが立てないことなどわかりそうだが、白瑛はその警戒心故に、理解しようとしていないようだった。




「今回は協力してもらうことになりますがよろしくお願いします。」





 カウチの近くまでやってくると、白瑛は警戒心丸出しの無愛想な表情でに言う。




「うん。よろしくー」






 対しては何の警戒心もなく無邪気に応じた。

 そのふわふわした様子に、白瑛はあからさまに戸惑っていた。白瑛の方は自己紹介などではなく、軍を率いる実務者として、ジュダルや魔導士だとの噂のあると協議をしたいようだが、よくわかっていないはそれ以上話を進めることはない。

 はそもそも軍隊に参加すると言うことの意味自体を理解していなかった。





「・・・えっと、人を治癒したりできると、お聞きしましたが、」






 細かいの能力を探りたい、ともに戦う限りは知っておきたいと考えている白瑛は自分から疑問を口にした。





「うん。」





 それにこくんとは素直に頷く。ただやはりそれ以上話を自身が進めることはない。




「その、副作用はあるのですか?」

「ふく、さよう?あるのかな?」

「は?」





 さらりと尋ね返され、白瑛は戸惑った表情を浮かべたが、の目は相変わらず純粋なままだ。





「あるのかな?」






 今度は白瑛の質問をそのままジュダルに尋ねてくる。

 の金属器の能力のはずだ。しかしは自分の能力を知ろうとは全くしていない。むしろマギの方に興味があって、自分の能力などどうでも良いようで、金属器を使うことにも、魔法の修行にも全く身が入っていなかった。






「ねぇんじゃねぇの。」







 少なくとも治癒されたり、魔力を回復された人間には何ら副作用はなかったから、大丈夫だろうと代わりに答える。は何も知らない。





「ん。そうなんだって。」





 はジュダルの言葉を頷いて適当に肯定してから、近くにあった果物に手を伸ばし、それにかぶりつく。お腹がすいていたらしい。

 その無邪気さがむかついて、ジュダルはその頭を軽く小突いた。






行軍と白銀