数週間後に控えた遠征に参加する事になった女性は、第一皇女である自分・練白瑛と神官ジュダル付きの巫女であるという少女だけだった。

 長く柔らかそうだがまっすぐの白銀の髪と、大きな翡翠色の瞳。北方の白一色の衣装を身にまとった彼女は、噂では1ヶ月ほど前に歌がうまいと市井で拾われてきたジュダルのお気に入りだという。女官たちはジュダルの寵愛を受けていると言われる彼女に遠巻きながらも、酷い噂をかき立てていた。

 傍若無人、黒いルフを従えるマギでもあるジュダルが、白瑛は正直苦手だった。それと同時に彼付きの巫女という立場を与えられている彼女にも、警戒心を抱いていた。

 初めて会った時も、彼女は自分が第一皇女であると知っても腰を上げようとはしなかった。女官たちの噂から、神官の寵愛を傘に来た、無礼な少女だと白瑛は思っていたが、彼女はどうやらあまり自分の状況が把握できない、ただののんびりした少女のようだった。

 今は絨毯の上でぺたんと座り込んだまま果物を食べている。

 彼女は細い見かけによらず食いしん坊らしく、夕飯もすでにとったという話なのに、今はジュダルの部屋に備え付けてある果物を食べていた。だがその姿が目に余って、白瑛は思わず眉を寄せる。




「もう少し綺麗に食べなさいな・・・。」





 彼女の白い衣装はすでにスイカの汁で桃色に染まっており、見れた状態ではない。子供のように振り返る彼女は綺麗な翡翠の瞳を瞬いて、軽く小首を傾げた。その表情は酷く子供っぽい。間違いなく白瑛より年下だろう。

 この場にジュダルはいない。本当ならば明日行われる軍議に参加して欲しくて、彼からその確約を得るためにここに来たのだが、の話では食事が終わってすぐに彼は出かけてしまったらしく、捕まらなかった。




「まだお腹がすいているの?」




 白瑛は困った顔でに尋ねる。

 は女官の話では夕飯もしっかり食べていたはずだ。なのに、すでに大きなスイカを三つ平らげている。育ち盛りだと言っても、その域を超えて異常だった。





「うん。お昼に黒いのが増えないか、試してたから、お腹すいちゃった。」





 は言って、またスイカをかじる。

 先日彼女の治癒能力に副作用はないのかと尋ねたが、空腹が他人に対してではなく、彼女への副作用なのだろう。異常なほど大量な食物の摂取によって、彼女は肉体的な負担を軽減しているのかもしれない。





「本当に子供のよう。」






 白瑛はが座っている絨毯の隣に腰を下ろし、布巾での頬についている赤い果汁を拭う。

 神官のジュダルに寵愛を受けている噂され、そのために連れてこられ、巫女の地位を与えられたという割に、は魔法なのか、金属器なのかはわからないが、ひとまず治癒能力を持っているそうだ。

 初めて見た時は容姿も幼いながら美しく、楚々としているため、神官付きの巫女との名を借りた寵姫だと思っていたが、その特殊な力故に、ジュダルの元にいる、それだけなのだろう。

 どう見てもただの手のかかる子供だ。

 は白瑛に大人しく顔や手を拭かれていたが、翡翠の瞳を何度か瞬いてから、僅かに首を傾げて見せる。





「お姉さんは、お母さんみたいだね。」

「え、お、お母さん??」





 確かに間違いなく彼女より年上だが、流石に彼女のような大きな子供がいるような年齢ではない。少しショックで固まっていたが、はそれに気づかないのかにこにこと笑う。




「わたしのお母さんもお姉さんみたいに強くてまっすぐで温かかったから。」

「強い?」

「だって、お姉さんも強くてまっすぐ。」




 白瑛には彼女が自信をもって言う意味がわからないが、それでも彼女は褒めているつもりだろう事だけはわかった。





「貴方の母君はお強い人だったのかしら?」







 白瑛はの口から出る“母”という言葉に興味があって尋ねる。長らく白瑛は当たり前の母という存在を忘れていたからだ。





「うん。本当のお母さんじゃなかったんだけど、」





 翡翠の瞳に懐かしさと、一瞬複雑な感情が浮かぶ。

 はまだ14,5歳と言ったところだろう。それなのにジュダルの寵姫と言えば聞こえは良いが、実際的にはただの玩具のようなものとして召し抱えられ、こんなところまで連れてこられているのだ。複雑な事情がないはずがない。





「本当の母君は、どうなさったの?」

「んー、本当のお父さんとお母さんはわからないかな。育ててくれたお父さんとお母さんはヴァイス王国の村のどこかにいるんだと思うけど、わたしは帰っちゃ駄目だから。」






 はふわりといつも通り笑った。その笑顔には白瑛が見る限り悲しみは見えない。

 ヴァイス王国はかつて非常に豊かな国で、鉱山資源の貿易で力を持っていた国だったが、10年ほど前に政変があってからは衰退の一途をたどっている。どうして彼女の親がを手放したのかはわからないが、事情があったのだろう。

 特別な力を持つ彼女がどうやって煌帝国に来たのかはわからないが、決して簡単な道ではなかったことは、白瑛にも想像に難くない。




「お母さんたちが、わたしはマギに会うために行かなくちゃいけないって言っていたから、ジュダルにあえて良かったんだよ。」






 は食べ終わったスイカを掲げてにっこりと笑う。その笑顔が無邪気で、あまりに子供で、白瑛は彼女の神官の寵姫という女官たちの噂を思い出して目眩がした。

 楚々とした白銀の髪に翡翠の瞳、色白の肌に似合わず、食べ方がワイルドだ。寵姫として確かに綺麗な容姿をしていると思っていたが、すでに服までべちゃべちゃ、手もべっとりで、布巾などでフォローできるレベルではない。

 よくこの現状を知っていながらジュダルは萎えないものだ。白瑛にはすでにがただの子供にしか見えない。





「青舜、出来れば着替えを、私のもので構わないから、」






 白瑛はため息交じりに言う。

 流石に面倒見の良い白瑛としては、のこの状況を放置する気にはなれない。生憎はあまり自分の服、特に肌着を持っていないようだった。というかおそらくジュダルの方が気にしていなかったのだろう。

 寵姫と言われている割に扱いは非常にぞんざいで、適当だ。体に傷がつくほどではないが、絨毯から突き落とされたり、髪や耳を引っ張られたり、普通にいじめられていると言っても過言ではない。寵姫の割に彼女は年齢的にもまだ幼かった。

 とはいえ、一五歳のジュダルに他人の世話など出来ようはずもない。食事はふんだんに与えられているようだが、それ以外の待遇が酷かった。

 だが別段自身は気にしてないらしい。彼女はあまり物事を深く考える方ではなさそうで、まさに日和見主義だ。





「い、いや、勝手に借りたら、怒られちゃうかも・・・。」






 は首を横に振る。






「でも、桃色に染まってしまっては使い物にはならないでしょう、ね。」

「大丈夫、持って参りますよ。」





 青舜はの様子に苦笑して部屋を辞した。ひとまず白瑛は彼女の髪にへばりついている桃色の果汁を布巾で丁寧にとってやった。




「そんなところで座っていては体が冷えてしまう。長椅子においでなさいな。」





 彼女は夕飯が終わってからずっと絨毯に座り込んでいる。でもこのまま夜が来ては、絨毯の上では床からの寒さが伝わるだろう。体にもあまり良くない。

 そう思っていったが、は僅かに目を伏せた。





「わたし、歩けないから上れないよ。」

「え?歩けない?そ、それは、生まれつきなの?」

「うん。多分。」

「多分?」





 自分のことなのにどこか人ごとのような、言葉に白瑛は首を傾げる。






「なんかわたし、知らないことがいっぱいあるみたいで、自分の能力のことも、何も知らないんだよ。」







 は困ったような顔をして、宙を見つめた。

 だから白瑛が彼女の能力を聞いた時、ジュダルの方へと自分の能力について聞いていたのだ。彼女はジュダル以上に自分の力を理解していない。





「わたしが普通だって思ってたことは、いっぱい違うみたいで、わたしは少し変みたい。」







 白瑛が彼女を見る限り、確かに珍しい髪の色や目の色はしているが、子供っぽい普通の少女だ。

 多分、彼女は両親だと思っていた人々に愛情いっぱいに育てられ、その人のことを両親だと思い、愛していたに違いない。しかし、彼女を育てた人々は両親ではなく、別に本当の両親がどこかにいるかもしれない。死んでいるかもしれない。

 能力もマギの目にとまるほど不思議で強力なのだろうが、それを自身は知らないのだ。





「知りたいと、思うの?」

「それもわからないんだよ。必要かわからないから。でも、わたしマギについて知りたいのかな。」





 は白瑛ににっこりと笑うが、彼女の言葉のすべてが疑問形だ。その言動のすべてがの心の危うさを物語る。





「多分、マギはわたしにも深く関係があるのかなって。」

「それは、どうして?」

「本当の両親に関することで、育てのお父さんたちが言っていたことは、それだけだから。」





 もう育ててくれた両親の元に帰り、尋ねることは出来ない。

 育ててくれた両親が言った“マギ”という言葉を追い続けていれば、実の両親にたどり着くことが出来るかもしれないと、は思っているのかもしれない。それは非常に妥当な目算だった。

 白瑛は大きく頷こうとしたが、次の言葉でその思いを完全に撤回することとなる。





「確かに、本当のご両親も探せるかもしれないわね。」

「んー、覚えていない両親はどうでも良くて、ジュダルに拾ってもらえてからいろいろなものが見れて嬉しいかな。」








 あっさりと、本当にあっさりと自分のしがらみをはねのけて、は笑う。

 やはり彼女は全く深く考えない性格らしい。いや、深く考えていたら神官の寵姫などやっておらず、とっととその力を使って逃げているだろう。そう、彼女は結局のところ日和見主義で、ジュダルの言うとおり結構なお馬鹿さんなのだ。

 でも多分噂ほど悪い少女ではないと、白瑛は感じた。



行軍と白銀