ヴァイス王国に向けて数週間後に出発することが決まり、軍隊が集められている駐屯地にジュダルが顔を出すようになると、も一緒に駐屯地に行くことが増えた。





「なおった、かな?」






 は椅子に座って、目の前にいる兵士を見やる。





「はい。本当にありがとうございます。」





 涙すらも浮かべて、兵士は床に頭をこすりつけるようにして頭を下げた。他の兵士たちも同じで、に尊敬の念をも持って礼を口にしている。

 駐屯地での流行病はつきもので、この天幕にいたものもかろうじて動ける程度、もし動けなくなれば道ばたに放られるような、ただの歩兵だった。ジュダルに自由にしていて良いと言われたはたまたまその病兵ばかりを集めた天幕を見かけ、自分の歌でそれを治したのだ。





「勝手にして良いって言ったけど、どこで何してるかと思いきや、まさか人助けしてるとはな。おまえまで病気移されんぞ。」







 ジュダルは呆れたように柱にもたれてため息をつく。

 薄汚い、病人ばかりの天幕は空気も悪い。不衛生も手伝って生ぬるい空気が病を助長しそうな雰囲気を漂わせている。





「大丈夫、わたし、病気なったことないよ。」

「おまえ、あんまりに弱ってたから、心配した遊女が口聞いて宮廷に売られたって聞いたけど。」

「ご飯が少なかっただけだよ。」





 は幼い頃からろくすっぽ風邪を引かない子供だったが、恐ろしく食いしん坊だった。遊郭では食事は決められた量だけで、その上足が悪く下働きも出来ないは食事の量もいつも少なくされていた。だから、病気にかかったのではなく、ただ衰弱していただけだ。




「みんな大丈夫なのかな?」





 はあたりを見回し、兵士たちに確認する。





「はい。ありがとうございます。」

「巫女様、本当にありがとうございます。」




 口々に兵士は感謝の言葉をに述べる。






「行くぞ。」






 やる気のない、かったるそうなジュダルの声がに命じる。は小さく頷いて、兵士たちに手を振った。




「さて、どこに行くか。」





 ジュダルはやる気なく呟いて、の絨毯に乗り、天幕を出る。絨毯はすぐにジュダルの命令に従い空を駆け上がった。

 上空から見下ろせば、首都にあるこの駐屯地には、軍隊の官舎の他にたくさんの天幕が張られている。兵士たちもたくさん行き来しており、濃い緋色の旗があちこちにはためいていた。その光景は酷く物々しく、なにやらもの悲しい。





「みんなかわいそう。故郷から離れて、こんなところまで来させられて。」






 は目尻を下げて眼下の兵士たちを見た。

 最初にが天幕に入った時、彼らは嘆き、苦しんでいた。故郷から話され、戦争があるからと駐屯地に集められている彼らの心境は悲惨だった。二度と家族に会えず、遠い地で家族にその死を知らせることすらも出来ず、死んでいくかもしれないと、怯えている。

 を見た病を得た兵下が言ったのは、祖国の家族に自分の死を伝えてほしいと言うことばかりだった。あまり何も考えず他人に力を使うことは、多分良くないことだとだけれど、それでもあまりに兵士たちが哀れに見えた。





「そうかぁ?奴らだって権力や名誉を求めてここに来てるんだぜ。」




 ジュダルは胡座をかいたまま、楽しそうに笑う。





「権力や名誉は命より大切なの?」

「はっ、それが大切な奴もごまんといる。奴隷をいたぶって優越感に浸る。人間なんて、そんなもんだろ。」







 誰かよりも上に立ちたい。そう求め、彼らは他人を虐げる。戦争はまさにその最たる例だと言って良い。そして同時にそれが人間の本質そのものだ。





「人間ってのは、そういうおぞましいもんなのさ。」





 ジュダルは悟ったように、それでいて嘲るように言った。

 はそんな彼を眺めながら、人間のおぞましい本質を知っている彼が、人間の中から王を選ぶなんて不思議だと心の底から思った。





「・・・でも、優しい人はたくさんいるよ。」




 両親はいつもに優しかった。二人ともに姪いっぱい両親として愛情を与え、村の人たちは皆赤い髪をしていて、元気に働いていたし、体の強くないをよく助けてくれた。

 遊郭にいた頃、どんどん衰弱していくを心配してくれたのは、姐さん女郎だった。彼女は懸命にに食事をさせ、どうにか回復させようとしてくれたが、結局はの才能を宮廷に売り込み、宮廷でが雇われるようにしてくれた。

 はジュダルに拾われ、今ここに無事生きている。それは一人の力ではなく、皆がを助けてくれたからだ。

 もしかすると体に埋め込まれた金属器も、そこに宿るというジンたちもまだに力を貸してくれたことはあまりないが、何らかの意味があるのかもしれない。これからの未来に。

 だから、は自分のことを必要以上には今は探さない。きっと誰かに支えながら勝手にわかっていくものだ。時が来れば。 




「馬鹿じゃね?性善説ってやつ?」

「さいぜんせつ?」

「人間皆生まれた時は善人だって考え方をいうんだよ。」

「そうだと思うよ。」






 きっといろいろな事情があってゆがんでしまったり、悲しみに覆われて間違いを犯してしまうことはあるだろう。だが、きっと生まれた時の人は皆善人だろうし、両親が心のどこかに絶対残っているのではないかとは思う。

 だが、ジュダルはそう考えていないらしく、心底馬鹿にしたようにを嘲る。





「そんなこと言ってっと、すぐ死ぬぜ。」

「でも、わたし生きてるし。」

「今のこと言ってねえよ。」

「いたたたたたたた、」




 彼はの話にいらだってきたのか、の髪を引っ張る。動きやすいようしている緩い三つ編みが掴みやすいらしい。





「あんまちょろちょろすんなよ。狙われてるかもって遊郭の奴から言われただろ?」




 ほんの一週間ほど前、市場に出かけた時に、ヴァイス王国の役人がと間違えて銀髪の女を殺したようだから、気をつけろと言われたところだ。とはいえここ数日のの生活はあまり変わらず、普通にジュダルの部屋にいただけだ。

 ジュダルは基本的にを自分の部屋から出さない。出すのはジュダルが一緒に外に出る時だけだ。もそれに別段不満はないのか、大人しく待っているし、食いしん坊の彼女としては、食べ物がもらえればそれで良いのかもしれない。

 だから危険はなかったが、行軍への参加が決まり、駐屯地へと足を運ぶようになれば、外に出る回数も増えるし、打ち合わせのために宮廷を歩き回ることにもなる。ジュダルが離れる時間が増えるかもしれない。

 それは直接危険につながる。





「大丈夫だよ。だってわたしが狙われるわけないって。」

「ちなみに俺に巻き込まれて狙われる可能性もあるからな。」






 仮にに何もなかったとしても、ジュダルのお気に入りだという理由で他国の奴らに人質に取られたり、殺されたりと言ったことは十分に考えられる。






「え、そんなに危ないの?」

「俺はマギだぜ。巻き込まれて襲われるかもなぁ。それにおまえ魔法も金属器もろくすっぽ使えないからすぐぽっくりだな。」






 あはははとジュダルはけらけらと笑って見せる。





「・・・どこに隠れたら、生き残れるのかな、」

「ばっかじゃねぇの?そんなの気づかれるに決まってんじゃん。おまえとろいんだから。」

「でも生きないと。」





 両親だった人たちも、に生き抜かないといけないと言っていた。それだけはが絶対に果たさなければならないことだ。

 ジュダルは珍しいの“執着”に目をぱちくりさせたが、ふんと笑う。






「そうだな。生きてねぇと面白いもんも見られねぇし、これから戦争が始まるわけだし。」







 戦争が始まると聞いてから、ジュダルはとても楽しそうだ。兵士たちはちっとも楽しそうではない。一部の人間は確かに意気揚々で指揮をしたりしているが、実際に戦う兵士たちは追い詰められたような表情で悲しげだ。

 楽しそうなジュダルとは対称的で、はじっと彼らを哀れむような目で見下ろしていた。









行軍と白銀