白瑛がジュダルの部屋を再び訪れたのは、昼前のことだった。

 今度の行軍でヴァイス王国の結界を破る方法について話をするために来たのだったが、女官に言って部屋に入ると生憎ジュダルはおらず、そこにいたのはカウチで毛皮に包まれて一糸まとわぬ姿で眠りこけているだけだった。





「あ、様っ、」





 慌てた様子で気まずそうに女官がを起こそうとするが、彼女は疲れているのか身動き一つしない。もう10代後半の白瑛には十分に昨晩何をしていたかがわかって、眉を寄せるしかなかった。

 神官の中でもジュダルは帝国の中で、非常に高位の存在で、彼の私室に勝手に入るものや、急を要する事態はなかったはずだ。そのため、ジュダル自身ここに白瑛が入ることを想定していなかっただろう。

 仮に想定していたとしても、彼にはおそらくどうでも良かっただろうが。




「・・・かわいそうに。」





 毛皮からこぼれている細い腕には彼に強く掴まれたのか、青い痣が出来ている。首筋に見える痕からも、彼女が好き勝手扱われているのがわかった。

 年の頃はジュダルとそれほど変わらないか少し年下、おそらく14,5くらいだろう。

 誰にも守られず、親元から離され、兄弟もなく、愛情もなく、その容姿と能力のために囲われるような生活に耐えられるような年齢ではない。




様!!」

「うぅ?」







 女官が気合いを入れて揺すると、は少し眠たそうだがなんとか瞼を持ち上げた。女官は慌てた様子で白瑛との間に衝立を持ってきて、を後ろ側で着替えさせる。





「お姉さん、どうしたの?」





 はやっと目が覚めてきたのか、着替えをさせられながらジュダルの部屋にやってきた白瑛に尋ねる。





「神官殿に会いに来たのだけどおられないようで」 





 国家の結界を破れるほどの魔導士というのはなかなかいない。ヴァイス王国の結界を破るためには彼の協力は必要不可欠だったが、彼がやる気がないことは承知だ。また、ヴァイス王国には腕の良い魔導士が多いと言われているにもかかわらず、今回煌帝国側から派遣させる予定なのは金属器使いの白瑛と、マギのジュダルだけだった。

 ヴァイス王国は魔導士や金属器使いも多く、そうなれば一般兵士を守ることは出来ない。

 そのため白瑛は彼から直接的協力の確約が欲しくて、こうして部屋まで押しかけたのだ。結果的には逃げられてしまったわけだが。




「伝えておいた方が良いのかな?」





 着替えが終わったのか、はカウチに座らされており、衝立を女官が持って行く。白瑛はに促されるようにして彼女の斜め横のカウチに座った。




「いえ、直接お話しするから。」

「煌帝国には、他に動いてくれそうな人はいないの?」

「・・・」






 いるかもしれない、また人間でも時間をかければ破れるのかもしれないが、今のところヴァイス王国に派遣される金属器使いは皇帝の命令では白瑛一人、また白瑛自身国家の強固な結界を自分で破る自信もなかった。国家の結界とは非常に固く、金属器使いでもなかなか破れない物なのだ。

 金属器使いはそれほど多くない。帝都にいる今のうちにつてを作っておかねばならない。





「どちらにしろヴァイス王国には何人も上級魔導士がいると聞いているの。だから、神官殿の力が必要なのだけど・・・。」





 白瑛が迷宮攻略者とは言え、魔導士を何人も相手にするには厳しい。なんとしてもジュダルの協力が必要だったが、彼は気まぐれそのもので、なかなか捕まらない。軍の人間たち自体も白瑛を信用しておらず、素直に白瑛に力を貸してくれそうではなかった。

 今首都にぞくぞくと軍隊が集まってきているが、実際に白瑛の言うことを聞くものなのだと四分の一もいないだろう。





「魔導士って強いの?」




 はきょとんとした顔で尋ねてくる。



「貴方、魔導士を知らないの?」

「んー、魔導士ってなにかよくわからないよ。」





 神官付きの巫女とは聞いているが、白瑛もの実際的な能力についてよく知らない。しかも本人は全くわかっていないらしい。

 彼女らしいと言えば彼女らしいが、ジュダルがいないとわかった後もこの居づらい雰囲気だった部屋に居座った理由の一つはに協力してもらえればと思ったからで、その当てが完全に外れて白瑛はため息がついた。





「私がしっかりしなければならないとはわかっているのだけれど、」





 将軍とは言え、形ばかりと言っても間違いない。兵士たちが一応白瑛を敬うのは、あくまで前皇帝の皇女だからと言うそれだけだ。実力を認めたわけでもないので、白瑛がいなくなればすぐに勝手な行動をするし、従わない。

 何とか軍をまとめなければならないとわかっているが、女の身である白瑛が何を言ってもなかなか理解してもらえなかった。数週間後には行軍が始まるとわかっていても、未だに駐屯地に集まっている将軍たちとの意思疎通は図れず、軍の中でも将軍が乱立しておりばらばらだった。





「・・・魔導士がたくさんいるから、兵士さんたちは怖がってるんだね。」





 は納得したように口元に手を当てて小さく頷く。




「怖がっている?」





 初めて聞く話に白瑛は尋ね返した。報告に来ていた100人隊長や何人かの将軍たちからはそんな話を聞いていない。順調に徴兵は進んでいると言うことだけだ。




「兵士さんが言ってたよ。」




 あっさりとした口調では言う。




「病気の人も結構いたし、動けない人捨てちゃうらしいから、それに怯えている人もたくさんいるみたいだよ。」





 の言葉は、彼女の性格からして嘘ではないだろう。それに彼女にそんな嘘をつくメリットは何もない。

 青舜の報告では武官や兵士たちとはよく話すし、病人用の天幕でその力を使って彼らをいやしたという話も聞いていた。だから、彼女は下手をすれば白瑛よりも直接的に兵士の様子を知っているだろう。




「もしかしたら、魔導士さんに、兵士さんにも怯えているのかな。」





 金属器や魔導士の台頭によって戦争は変わってしまった。何の力も持たぬただの兵士からしてみれば人智を越えた力を持つ金属器使いや魔導士は間違いなく恐ろしい存在だろう。特にヴァイス王国はかつて腕の良い上級魔導士がいることで有名だった。

 恐怖を覚えても当然だという、当たり前のことに白瑛は気づかなかった。





「・・・報告には、何もなかったというのに、」





 隊長たちは病人のことを把握しているのかすらも、白瑛にはわからない。だが少なくとも彼らは知っていたとしても白瑛に報告しなかっただろう。結局のところ白瑛はお飾りの将軍であり、無事に帰ってくれれば良い程度にしか思われていないのだ。

 駐屯地の中のことすらも、白瑛は知らない。





「報告だけがすべてじゃねぇってことだ。」





 低い声が白瑛の思案を打ち切る。振り返ればジュダルが入り口の柱にもたれて白瑛の方を見ていた。





「おまえが入れたのか?」






 ジュダルは眉を寄せ、腰に手を当ててに問う。





「わたしが眠っている間にお姉さんがいたんだよ。」

「女官かよ、あいつらマジでふざけんな。」





 ここはジュダルの私室だ。しかも寝室に近い応接間で、本来なら例え皇女だったとしても主の許可なく勝手に人を入れてはならない。




「私が無理を言って入れてもらったのです。」





 白瑛は女官に責任追及の手が伸びたことで、ジュダルに慌てて言う。ジュダルは白瑛に一瞥をくれたが、何も言わずの隣に腰をかけた。






「魔導士さんとかいろいろいるみたいで、困ってるんだって。」

「敵にだろ?迷宮攻略者も1人いるらしいな。」





 が言うと、すでにジュダルは知っているのか、さらりと返した。

 上級魔導士に、迷宮攻略者。白瑛一人が処理できるレベルを超しているのは間違いない。それでも何とかするように皇帝に言われているのだろう。今回は戦闘ではなく、結界を壊してくるだけが任務だが、軍隊をつれていたとしても、国家の結界を敗れる人材は少ないのだ。

 脅しとは言っても、兵士たちをつれている限り、兵士を守らなければならないと白瑛は考えているのだろうが、それは簡単なことではない。





「神官殿、貴方の協力が必要です。私ひとりでは魔導士や迷宮攻略者を倒し、ヴァイス王国の結界を破ることは出来ません。」

「あぁ?それが人にものを頼む立場かよ。それに俺は権力闘争に興味はねぇよ。」






 ジュダルの言葉は、彼の本質を示していた。彼にとって別に白瑛のことはどうでも良くて、ただこの戦争を楽しみに来ただけなのだ。気まぐれにしか手を貸さないだろう。




「戦わないの?」




 が珍しくジュダルの服を引っ張って言う。それは白瑛には天の助けにも思えたが、論点は少しずれていた。




「なんで、」

「だって困ってるみたいだし、、」

「おまえ、魔法で人助けしてんじゃねぇよ。」





 ジュダルはべしっとの前髪に隠れた額を叩く。は少し不満そうに額を撫でたが、あまり納得していなさそうだった。





「じゃあ、わたしが手伝うのは駄目かな?」

「はぁ?ま、俺の手間が省けるか。好きにしろよ。ただしおまえが死なない程度にな。」




 ジュダルは呆れたような表情ながら、の勝手を許すようだった。白瑛もひとまず役に立つかはわからないが回復役の魔導士(仮)が一人でも獲得できたことに安堵の息を吐く。だがジュダルはのことをよく知っているが故に、彼女が主張している理由が納得できなかったらしく、再び口を開いた。




「なんでおまえ、こいつにそんなに肩入れすんだよ。」

「こいつってお姉さん?違うよ。だって兵士のおじさんがかわいそうだから。」





 別に白瑛に肩入れをするつもりはないらしい。先日病気を治した兵士たちが気になる、それだけのようだった。


行軍と白銀