自分の軍を完全には掌握できないまま、白瑛は来週には行軍することになっていた。

 陣営の兵士たちは総司令官と言っても名ばかりの第一皇女白瑛によそよそしく、頭を下げるだけで会話をまともに交わすことも出来ない。将軍たちも報告すらも白瑛に上げない。そして話をろくにせずに大丈夫だとだけ言う。



「私はどうすれば良いの。」



 腹立たしさに白瑛は歯がみする。正直白瑛には今、軍隊を円滑に率いるために何をすべきなのか全くわからなかった。

 首都にある駐屯地の天幕に紛れて白瑛の視界を、銀色の長い三つ編みが揺れる。それはするりと食料の置かれている天幕の方へと抜けていった。

 煌帝国では漆黒の髪、漆黒の瞳の人間が多い。その中で銀色の長い髪を持つのは、白瑛が知る限り北方系の血筋をもつである神官付きの巫女、だけだ。足が悪いため、よく絨毯に乗っている彼女は、今日駐屯地にいる将軍に会いに来たジュダルについて、この駐屯地を訪れていると報告は受けていた。

 普通、食事など武官に取りに行かせれば良い。巫女という高い地位を持つ彼女が直接食料庫などに用はないはずだ。だが、彼女自身はあまり立場を理解できない人間で、すでに結構な食いしん坊であると言うことを、白瑛は知っている。



「・・・」



 白瑛は彼女が入っていった天幕をそっと開いて、バレないようにのぞき込んだ。

 彼女は食料が大量に置かれている天幕の下の椅子に座り、楽しそうに何かを話している。いつも通り質の良さそうな絹の白いワンピースに、独特の文様の入った青色のストール。唯一の装飾品である滴型で房飾りのついた金の耳飾り。駐屯地にいるにはあまりに不釣り合いな普通の少女そのものだ。

 相手は食料を置いている天幕の管理している兵士たちらしく、彼女は兵士たちの話を聞きながら食事をしていた。




「今日は神官殿はどうしたんですか?いつも桃などをもらいにいらっしゃるのに。」

「どっかいっちゃったよ。」

「そりゃお寂しいでしょう。」




 兵士は苦笑した。

 が兵士と話しているのは、本当に雑談だが、兵士もも楽しそうで、話も弾んでいる。時には上司の悪口や皇族の前で口にすれば処刑されかねないことまで言っているが、兵士全員がの軽くて浮いた空気に巻き込まれて、いろいろなことを話していた。

 が一般兵たちを助けたという話は、白瑛も聞いた。だが、これほどに彼女が一般兵と仲良くしているとは聞いていなかったため、驚くしかない。




「なんで、」




 彼女は他者の治癒は出来ても、兵士たちを守る力は持ち合わせていないという。どう聞いても、本人と話しても、彼女は賢くない。対して白瑛は金属器使いとして確固とした力を持っている。だが、今こうして彼女は兵士と普通に話すことが出来、白瑛は兵士や将軍たちの信頼を得ることが出来ていない。

 この違いがなんなのか、白瑛は言葉がみつからずどうして良いかわからなかった。



「何やってんだ?」




 突然、後ろから低い声をかけられ、白瑛は飛び上がるほど驚いた。後ろを振り向くと神官のジュダルがいて、食料の置かれている天幕を密かにのぞき込んでいた白瑛をいぶかしむように眉を寄せていた。



「な、なんでもありません。」




 盗み聞きしていたとは言えず、白瑛はすました顔を装う。ジュダルは白瑛の劣等感を見透かしたように「へぇ」とにやりと笑って、天幕の中を窺った。

 だが、そこにがいることを見て取ると、途端に不機嫌そうに眉を寄せる。






「またかよ。」

「また?」

「あいつ、燃費悪くて力を使うと腹が減るとかで、すぐ食料にありつきにいきやがる。そのくせすぐに人助けしやがるから、」





 が食いしん坊であることの理由を承知しているらしい。最近特に兵士の病を治したりして力を使っているためお腹がすくのだろう。それに彼女の空腹は常人の比ではない。





「ちょろちょろすんなっていってんだろうが、」





 ジュダルは何の遠慮もなく食料庫の中に入っていく。




「あ、ジュダルだ、」

「あ、じゃねぇ。行くぞ。」




 ジュダルが言うと、は主に呼ばれた犬のようにぴくっと反応して、のろのろと危なっかしく椅子から絨毯に移って、ジュダルの隣をふわふわと浮く。




「ばいばーい。」




 最後に兵士たちに愛想を振りまくことも忘れない。本来なら高位の巫女に手を振るなど許されないが、兵士たちは困ったような顔をして、に小さく手を振った。




「あ、お姉さん。」




 天幕を出るところで、は白瑛に気づいたのか、そちらに視線を向ける。だがそれよりもジュダルが空を見上げたため、彼女もつられるように空を見上げた。




「あれ?鳥さん?」

「違げぇよ。ありゃ、」




 魔導士だ、とジュダルが楽しそうに言うと同時に、上から魔法が振ってくる。水による攻撃だったが、ジュダルは僅かに下がり、自分の防御魔法にを入れた。

 白瑛は驚き、飛び退くことで魔法をよける。





「自分で防げよ。」





 自分の防御魔法で完全に魔法を防ぎきったジュダルは、呆れたように腰に手を当てて白瑛に言って、自分の魔法の杖を取り出した。




「さぁて、」




 彼は杖の先に魔力を収束させ、空の敵に向ける。一見空を飛ぶ敵に当たるかと思われたが、はじき飛ばされた。さすがは駐屯地に張られている結界を破ってくるぐらいの魔導士だ。相当の使い手だろうと予想していたが、その通りらしい。





「防御魔法が、固い。」





 白瑛は思わず呟いた。

 見る限り上空にいる敵はおそらく3人だ。少なくとも一人は魔導士で間違いないだろうが、魔力に比例する防御魔法の固さがマギであるジュダルの魔力弾を防いだと言うことは、かなりの使い手。油断は出来ないだろう。




「なかなか良いじゃねぇか。」




 防ぎきられた本人のジュダルは、逆に楽しそうにふわりと宙へと浮き、空の魔導士へと向おうとしたが、ふと思い出したように振り返った。




、昨日言ったこと覚えてるよな?」

「え?あ、多分。・・・あう!」




 彼女は絨毯の上に乗ったまま、至極素直に答える。の微妙な答えに、ばしっとジュダルは遠慮なく杖を持っていない方の手で彼女の頭をひっ叩いた。




「覚えてるよな?」

「・・・う、うん。」




 満面の笑みで尋ねられたは叩かれた頭を押さえてこくこくと何度も頷く。ジュダルはその笑みにどう猛さを加えて、上へと視線を上げ、浮遊魔法で空へと飛び出した。




「私も行きます!」




 白瑛も上空にいる敵を見て、扇を持って足を踏み出す。




「待って!」




 が白瑛の服の袖を掴んだ。




「敵は上空にいるのです。彼らは敵の魔導士。私には彼らを倒す義務があるわ。」




 白瑛は彼女の細い手を振り払った。彼女は眼を丸くしていたが、絨毯でしか飛ぶことの出来ない、歩けない彼女の動きは遅く、白瑛を止められるはずもなかった。




「狂愛と混沌の精霊よ。汝と汝の眷属に命ず…我が魔力を糧として…我が意志に大いなる力を与えよ!出でよ、パイモン!!!」




 白瑛は扇を握りしめ、命じる。体を魔力とジンの力が覆い、魔力を増幅させ、白瑛に風を操り、飛ぶ力を与える。

 は眼を丸くして金属器使いの完全な力を見ていたが、それでも白瑛の手を掴んだ。




「駄目!わたしじゃ、」




 白瑛は確かに彼女の言葉が聞こえていたが、無視した。







 敵は3人。何人かは魔導士だが、間違いなく空にいる。空の敵を落とすことこそが、この戦いの勝利だと、白瑛は信じていた。



行軍と白銀