寝台の上にはの長い銀色の髪が円を描いて広がっている。長い銀色の睫はぴくりとも動かず、ただ彼女は眠っていた。寝台の端に腰掛けてジュダルはそれを眺めていたが、人の気配に顔を上げる。
「どうですか。」
ジュダルの部屋へとやってきた白瑛が短くジュダルに尋ねる。
「さぁな。」
ジュダルは至極素っ気なく答えた。
正直彼女が大丈夫なのか、どうなのかはジュダルにもわからない。
はあの後、兵士たちにかけられた魔法を解除してすぐに眠るように倒れた。死んでもおかしくないほど魔力を消費していたが、彼女は周囲から得た魔力に守られ、今、何とか生命だけは維持している状態だ。
そのまま禁城のジュダルの私室に運ばれて三日、未だに目を覚まさない。
「彼女は一体、何なのですか?」
「知らねぇよ。」
そんな答えがあるのなら、ジュダルの方が知りたい。
宮廷の舞姫の教房で彼女を見た時から、こいつはおかしいと思っていた。最初はマギかと思ったが、ルフが見え、周囲から魔力を供給しながらも、彼女はマギとして王の選定や迷宮を作り出すという一番必要な能力が欠けている。
また魔導士であるというのに相性が悪いと言われる金属器使いという歪さも持ち合わせていた。
だが、彼女が戦っているのを見てわかったのは、彼女は少なくとも二つの魔力の流れを持っていると言うことだった。
自分の魔力と、まるでマギのように周囲から得る魔力。それが何なのかわからない。
が命令式の解法を見つけられたのは、誰も持たないはずの、大きな知識であり、不思議な力だ。極大魔法の解法は複雑なものであり、解法を理解したとしても、普通はジュダルですらもその命令式を組むことは出来ない。
は魔法式を“不思議な力”を持って理解し、それを魔導士としての力で反転させることで解法をはじき出す。そして金属器の能力によってその解法を実行することを可能とした。
魔導士としての力も、金属器使いとしての力も、どちらもがなければ彼女は兵士たちを助けることが出来なかった。
彼女の魔導士としての魔力は周囲から得るため、今も満たされている状態だ。なのに、彼女自身の魔力は生命維持にぎりぎりの状態で、なんとか魔導士としての魔力がの体だけを生かそうとしている。
彼女自身の魔力と周りから得る魔導士としての魔力、どちらもいるのか、どちらか片方で生命維持可能なのか。
どちらにしても3日も眠り続けていることを考えれば、躰に相当な負担があったことは間違いないだろう。
「あの男たちが言っていたマフシード・スールマーズはかつてのヴァイス王国の主席魔導士だそうです。」
白瑛はあの後、老齢の魔導士が言ったことを調べたのだろう。
「スールマーズ家かよ。」
その名前にはジュダルも聞き覚えがあった。
スールマーズ家は、朽ちない花を意味する名字で、数千年の昔、大帝国の王を選んだマギを輩出した名家だ。今でも各国の宮廷魔導士の多くが、スールマーズの名を持っている。ヴァイス帝国の前の主席魔導士がスールマーズ家出身だったとしても、何ら驚かない。
彼女のマギにも似た周囲の魔力を集める力もかつてのマギの先祖返りか、ひとまず母親の血筋に由来する何か、なのかもしれない。
「私もほとんど覚えていませんが、美しい白銀の長い髪を持った女性だったようです。」
白瑛が幼い頃、一度だけマフシードが煌帝国を訪れたのを見ている。当時煌帝国は小国で、ヴァイス王国は鉱山資源で豊かな北の大国だった。
「・・・そう、か。」
白い肌に白銀の髪というのは、別に北方の民族では珍しい髪色ではない。だが特にスールマーズ家は月光を映したような輝く銀髪で有名だった。
「その女はどうなったんだ?」
「・・・10年ほど前に、ヴァイス王国で政変が起こった際に国王に殺され・・・お亡くなりになったそうです。その後反乱などがあり・・・今となっては」
10年前の政変で彼女が失脚してから内戦があり、ヴァイス王国は徐々に力を弱めた。今でもヴァイス王国はその頃の名残で魔導士や多くの金属器使いを抱えてはいるが、内部分裂が一番の問題となり、結果的に煌帝国に押され続けている。
「ふん、」
ジュダルはの長い銀色の髪に触れる。東方では少ない色の抜け落ちた髪を軽く引っ張れば、の頬がぴくりと動いた。
「あっ、」
白瑛がはじかれたように顔を上げて、寝台のをのぞき込む。
「んー、ぅ、」
は眠たそうに目尻をこすりながら、ゆっくりと手をついて身を起こしたが、途端にお腹を押さえてうずくまった。
「ど、どうしたの!?痛いの?」
白瑛は慌てての肩に手を当てて尋ねる。は顔を上げ、涙がいっぱいたまった瞳を白瑛に向けて、押し出すように声を紡ぐ。
「おなか、・・・・すいたよ・・・・」
その情けない主張に呼応するように、きゅーとのお腹も返事をした。あまりの予想だにしない言葉に、白瑛は呆然として反応できない。
「・・・ほらよ、」
ジュダルは苛立ち紛れに近くに置いてあったリンゴをの顔面に投げつける。
「貴方!」
白瑛は声を上げたが止められず、の顔面にリンゴは直撃した後、寝台の上に着地した。
は当たった自分の頬を撫でていたが、食欲の方が痛みより勝ったのだろう。文句を言うこともなく落ちたリンゴにすごい勢いでかじりついた。あっという間にリンゴを平らげたはまた同じ事を繰り返した。
「おなか、すいたよ。」
「あまり一度に食べてはお腹を壊しますよ。」
白瑛がの勢いを見て、をなだめる。三日も食事をしていない状態で食事をすると、胃を壊す。だがの方は不満そうで、同じ言葉をジュダルに繰り返した。
「お腹すいたよぉ。」
内容はともかく、楚々とした容姿でのぐずぐず泣きそうな声音のおねだりは、なかなか哀れになる。
「・・・好きにすれば良いんじゃね?」
ジュダルはため息をついて皿ごとの寝台の上に果物を置く。は目を輝かせて満足げにそれを手にとって、また恐ろしい勢いで食べ始めた。この分だとあっという間に果物も平らげてしまうだろう。
白瑛は慌てて女官を呼び、かゆを用意するように命じた。は機嫌も良いのか、鼻歌を歌いながらもきゅもきゅと食べ物をかきこんでいる。
「あー、ぞもいば、」
「何言ってるかわかんねぇ。」
「・・・うう、ん。兵士さんたちは無事だったかな?」
口の中にものを入れたまま、いまいち滑舌のはっきりしない口調では尋ねた。
「あぁ、無事なんじゃねぇの。」
興味のないジュダルは適当に答えたが、おそらく問題ないだろう。兵士たちは皆、奇跡だなんだとを聖女と呼んでいた。力のない兵士たちにとっては、魔法もの力もすべて奇跡に思えたのだろう。
「良かったよー、」
は無邪気に安堵の息を吐いて、またむしゃむしゃと果物を食べ始める。
その姿があまりにも幼く、無心で、子供だ。二歳も自分より年上だとは認めたくない幼さがあり、ジュダルはため息をついてから、ちらりと白瑛を見やる。
彼女は複雑そうな表情でを見つめていた。
「舜外の奴がしけた面下げて何度も見舞いに来てたぞ。あと、ついでに舜外んとこの上役で、右将軍の李青龍がおまえに会いたいってさ。」
ジュダルはの口元についた果汁を拭いながら、一応言う。
「ほくえんとりゅー…?」
「耳悪すぎだろ。舜外だって。ほら、おまえが最初に兵士を助けた時に礼を言いに来たじじぃがいただろ?」
はすっかり忘れているらしい。ジュダルが言ってもなにやらぴんとこない顔をして、首を傾げて見せた。中央でも名前が知られる将軍もにかかれば記憶に残らない印象の薄いおじさんなのだろう。
「ふぅん。何かご飯持ってきてくれたかな?」
「はぁ?見舞いだって言ってんだろ?」
「え、わたしの村ではお見舞いはご飯って決まってたのに・・・」
は残念そうに目尻を下げて、小さく何度か頷く。
結局はどこまでもで、力を持っていようが馬鹿で食事にしか興味がなくて、本当に仕方のない奴だ。
それで良いのだと、ジュダルはそう思っていた。
幻想の夢と現実