ヴァイス王国の魔導士がを殺そうとして首都にある駐屯地にいたを襲ったことは、ある意味で宣戦布告に等しく、煌帝国も本気になってヴァイス王国を落とすべきだと言う意見と、これを機に脅して平和的な解決を目指す人間とで、煌帝国の宮廷も二分されていた。

 おかげでヴァイス王国への行軍は、結局の所延期となった。だがどちらにしてもとジュダルの生活が大きく変わることもない。



「氷魔法出来たよ!」 




 はうきうきとした様子で、ぶんぶんと細身の大きな銀色の杖を振ってみせる。

 初めて戦ったのが荒療治となったのか、は目を覚ましてからめきめきと魔法の腕が上達した。浮遊魔法も使えるようになり、細かい魔法に関しても、ジュダルが教えれば今はすぐに覚える。出来れば楽しいという子供にありがちな典型的な傾向だった。

 特に氷魔法、雷魔法が得意で、魔導士としてジュダルとの相性は良いようで、ジュダルが出来る魔法は比較的何でも出来る。だが逆に出来ない方面もぴったり一致していた。




「ま、悪くはないか、」



 魔法の勉強というのは本来簡単なことではない。

 魔導士というのは元々多くの系統や本人たちの得意があり、その得意分野はそれぞれ異なる。マグノシュタットにでも行かない限り、魔導士の教育は基本的に他の魔導士に教わるしかないので、系統が同じと言うことは、ある程度ジュダルが教えても問題ないだろう。

 これで全く違う系統であれば、別の人間を探す必要があった。



「そういえばどうすることになったの?」




 はふと思い出したようにジュダルに尋ねる。

 現在、どちらかというと白瑛の訴えで、ヴァイス王国の魔導士が首都の煌帝国軍の駐屯地を襲ったということにすり替えられていた。おそらくヴァイス王国の魔導士たちはを殺したかっただけで、駐屯地を襲う気はなかっただろうが、大事にして脅した方が良いという政治的判断だろう。


 もう一つは、白瑛自身がを政治的な事に巻き込みたくなかったのではないかと思う。

 存外白瑛はを気にかけている。彼女は面倒見が良いから、明らかに危なそうで考えの足りないに思うところがあるのだろう。

 それはジュダルも一緒だ。



「さぁな、どうせ俺たちには関係ない。興味がわけば手を貸す。わかないなら、手を貸さないだけだ。」



 確かに戦争は楽しいが、あまり軍隊内部まで食い込んで何かをすると後で面倒だ。が手を出すのはあくまでお遊び程度が理想で、都合の良い時だけ手を貸し、都合が悪くなったら引くというのが鉄則だ。責任までとらされてはたまらない。

 そういう点では神官という立場は政治的な場所からは離れており、魔導士として手を貸しても軍属ではないので関係がなかった。



「でもあのお姉さん、どうするのかな。」



 は白瑛のことを心配しているらしいが、そんなことは杞憂だ。




「別にどうもねぇよ。第一皇女が失敗したからって、何らおとがめもねぇさ。」




 今回総司令官にされているのは第一皇女白瑛だが、そんなのは名ばかりで、実際に軍を率いているのは将軍たちだ。今回の駐屯地を襲われた件で、警備不足として彼らが左遷されることはあるだろうが、白瑛が処罰されることは基本的に絶対あり得ない。 

 ついでに言うならば、白瑛に皆それほど期待していないのだ。10代後半の皇女は歴戦の将軍たちからすれば、小娘にしか見えないだろう。




「ふぅん。でも戦争しないことになったら、みんなおうちに帰れるね。」




 はにっこりと笑って、カウチに腰掛けたまま足をぶらぶらさせた。

 が話しているのは兵士たちのことだろうが、事はそう簡単ではない。少なくとも集められた兵士たちはヴァイス王国への対応が決まるまでは駐屯地に留められるだろう。



「そういえばおまえ、スールマーズって知ってるか?」




 ジュダルはの前にあるカウチに転がり、寝たままの状態で尋ねる。



「すーずー?何、それ?」

「家だよ。魔導士の。おまえ、母親とか、魔導士だったとか聞いてねぇの?」





 ヴァイス王国の魔導士は間違いなくをマフシードの娘だから殺そうとしたのだろう。マフシード・スールマーズは先代の主席魔導士で、10年ほど前に争いに巻き込まれてなくなった。スールマーズ家は元々の名門で、かつてマギを輩出したと言われている。

 詳しいことはこの間が眠っている間に白瑛から聞いた。白銀の髪はスールマーズ家の特徴で、確かにも見事な白銀の髪の持ち主だった。




 ―――――――――――マフシードの災いの娘はやはり国を滅ぼす。煌帝国と組むなど




 ヴァイス王国の魔導士はを見て確かにそう言っていたのだが、知らないだろうなと思いつつ、一応ジュダルはに尋ねる。案の定は首を傾げた。




「わかんないよ。それに育ててくれたお母さんが言っていたわたしの名字とは全く違うよ。」

「は?」

「わたしは、だって言ってたよ。」




 とは、トランの言葉で賢者という意を表す。そんなふざけた名を持つのはそれなりに由緒のある家か、もしくはよほどのバカだけだ。

 娘が父親の名字を名乗るのは一般的だが、母親の家系がすばらしければそちらの名を名乗るのもまた普通だ。どちらにしてもやはり、が魔導士の名門の家の出身なのかもしれないなんて、考えすぎだろう。

 災いの娘と言うほど大それたものだと言われても、間抜けなではぴんとこない。

 本人はきょとんとしており、別段その話題に興味もなさげだ。彼女は短絡的で、単純で、難しいことも基本的に理解できない。理解しない。感情的なくせに、感情的に突発的な行動に出ることもない。特別なところは何もなく、せいぜい見た目が綺麗な程度だ。



「ひとまず、を調べるけど、…ま、おまえはだもんな。」



 ジュダルは納得して、ぽんぽんとの頭を撫でる。は不思議そうにジュダルを見上げたが、よくわかっていないのか、にこっと笑うだけだった。

 魔法が出来て機嫌が良いは口を開くといつも通り、和やかな歌声を響かせる。

 それはいつもの穏やかな子守歌ではなく、遊郭で教えられたであろう楽しげな踊りの歌だった。弾んだその歌に乗せて足の悪いが踊ることは出来ない。だが、その軽やかな旋律は耳心地がよく、驚くほどに心を躍らせるものだった。

 それが何かはわからないが、退屈して眠りかけていたジュダルは身を起こし、頭をかく。




「おまえも来い。」



 ひとまず眠る前に散歩でもするかと、ジュダルは身を起こして立ち上がった。




「どこに行くの?ご飯?」

「おまえ食い物のことしか頭にねぇだろ。それに夕飯はもう食っただろ。」




 の言いぐさに呆れながら、を絨毯の上に放り投げる。





「月でも見に行こうぜ。」





 今日は少し暑い。部屋の外の方が月も見えて、寝心地も良いだろう。冷えれば戻れば良いのだ。そう思って庭へと出ると、煌々と丸い月が輝いていた。を見ると、も同じように月を見上げている。

 夜の闇でも浮かび上がる明るい銀色の髪が、夜風に軽く揺れる。

 ジュダルの髪が闇に溶け込むのに対して、の髪は酷く明るい。肌の色も薄いので闇でも白い光をまとっているようにすらも見えた。




「・・・綺麗ね。」




 はしみじみと言って、笑う。独特の色合いの緑色の瞳は、まさに翡翠の宝石そのものでジュダルは自分とは違う穢れのなさに眉を寄せた。

 そのとき、丸く浮かぶ月を何かが遮った。




「夜の散歩なんて、悠長だね。」




 上から突然、声が振ってくる。ジュダルが顔を上げると、そこには輝かんばかりの短い銀色の髪の、若い魔導士が杖に乗って座っていた。




。おまえは変わっていないね。」




 彼は軽やかな声音で酷く困ったように言った。



「ほま…?」



 はいつも通り言っていること自体が聞き取れなかったのか、首を傾げる。




「久しぶりだね。覚えてるかい?一緒に遊んだことだってあるんだけど。」




 彼はの目の前に下りてきて、にっこりと笑う。

 だがその笑顔には明らかな殺意と憎悪があり、流石にもそれに気づいてか、絨毯の上で後ろに後ずさった。

 漆黒のルフがふわりと舞っていく。




「…なんのことかな?貴方の言っていることはよくわからないよ。」




 は全くわからないのか、首を傾げてみせる。それは心底知らないといった態度だった。

 では咄嗟の攻撃には対応できないだろうから、ジュダルはと相手の間に立った。少なくともの記憶にないなら、にとってどうでも良い人物であるに変わりはない。




「ふぅん。君が結構な使い手だって言う、魔導士かぁ。」




 ジュダルの報告も受けているのか、青年はふわりと笑ってから、軽く首を傾げる。




「僕はフィルーズ・スールマーズ。申し訳ないけれど、マフシードの娘は死んでもらわないとね。」




 杖が何のためらいなくジュダルと、その後ろにいるに向けられる。ジュダルは一瞬眉を寄せたが、すぐに魔法が発動する光に眼を丸くした。





夜闇