!大丈夫なの!?」





 白瑛がとジュダルの部屋に駆け込んできたのは、が襲われた日の夕方のことだった。ジュダルは報告のためか呼び出されていない。本当は勝手に白瑛を入れては怒られそうなものだったが、女官も第一皇女の白瑛には勝てなかったようだった。





「うん。ジュダルが倒しちゃった。」




 が出る幕など全くもなく、ジュダルが倒してしまったのでには襲ってきた男の人が誰だったのか、結局わからない。スールうんたらと言っていたが、元々聞き間違えの多いにとって長い名前は難しかった。



「け、怪我はないの?」



 白瑛は長いすに座っているに尋ねる。




「うん。ないよ。攻撃される前にジュダルが倒しちゃったから。武官の人たちが連れて行っちゃったし。」




 は捕らえられた人がどうなったのかはよくわからないが、ジュダルの口ぶりから間違えなくを狙ってきているようだったし、魔導士だったのだろう。




「良かった。怪我がなくて、」




 白瑛はほっと安堵の息を吐いて、の前にあった長いすに座る。




「そんな心配しなくても大丈夫だよ。」

「大丈夫かどうかなど、まだわからないわ。」

「だって神官付きの巫女だよ?しかもジュダルの。きっと危ない事なんてないよ。」




 はにっこりと笑って言う。

 狙われても何をしても、多分ジュダルがどうにかしてくれるだろうと、は心のどこかで思っていた。それは子供のような馬鹿な信頼で、非常に安易なものだったが、小さな世界しか見たことのないにとっては、ジュダルですらも大きな存在なのだ。

 目の前に迫っている身の危険を理解しないにどうやって伝えようと白瑛は思って、目を伏せる。彼女の発言はあまりにも無邪気で、危機感に欠ける。




「・・・私は前の皇帝の娘だったのよ。」

「え?」





 はきょとんとした顔で白瑛を見た。





「でも、貴方は、今の皇帝の娘、だよね・・・?」

「そうよ。私の母が今の皇帝と再婚したから、そうなったの。」

「それって玉艶さん?」

「知っているんだったわね。」






 皇后である玉艶がに目をかけていることは、今や宮廷内でも有名だった。女官たちがジュダルの寵姫でしかないに表立ってものを言えないのは、玉艶がに贈り物をしたり、お茶に呼んだりするからだ。

 特別な神官であるジュダルのお手つきであるを巫女として遇することを表向きに批判する人間はいないが、当然不快に感じる者もたくさんいる。が表向きに敵意を向けられないのは、宮廷を取り仕切る玉艶が目をかけているからという部分は大きかった。

 彼女が現皇帝の皇后になったから、前の皇帝の第一皇女だった白瑛も地位を約束されている。だがどちらにしても、例えどんな後ろ盾があったとしてもすぐにひっくり返ってしまうことを、白瑛はよく知っている。




「じゃあ、貴方の本当のお父さんは、亡くなっちゃったの?」

「えぇ、敗残兵に襲われてね。皇太子だった、私の兄二人とともに。」




 白瑛は静かに目を細め、当時のことを思い出す。

 仲の良かった兄二人は、自分たちを残して死んでしまった。父もだ。輝かんばかりの栄光と強さを持っていた人ですらも、何があるかはわからない。白瑛も皇后の娘として将来を約束された立場にあったが、今は第一皇女とは言え、養子に近い。

 母がいなければ、おそらくその立場すら非常に危うい物だっただろう。




「だからね、。何があるかわからないのよ。」




 確かにジュダルは煌帝国で権力を持っているかもしれない。だがそれがいつ覆るかなど誰もわからないし、またその庇護下にあったとしても、将来もそれが約束されるとは限らない。人に頼る平穏はまさに不安定そのものなのだ。

 だからも、気をつけると言うことを忘れてはいけない。




「ね?・・・え?」





 そう思って白瑛は気を取り直すように顔を上げると、は翡翠の瞳に涙をためて、白すぎる程色の白いはずの顔を、真っ赤に染めていた。




「ど、どうしたの?」

「わ、わかんない。」




 戸惑うように自分の青のショールで目元をこすり、は首を横に振る。




「な、なんでかな。お父さん、亡くなっちゃったって聞いたら」




 こみ上げてくるこの悲しみがなんなのか、自分でもよくわからない。

 でも、酷く悲しくて、このまま沈んでしまいたいくらいに、心が落ち込む。悲しいのは白瑛のはずで、ではない。なのに、沼に徐々に沈むような、降り積もるような悲しみに、はどうして良いかわからず、ただ涙を流す以外に出来なかった。

 それは心の奥底に秘められた、遠い記憶が表層に現れたもの。でもはそれに気づくこともなく、ただぼろぼろと涙をこぼすだけだった。





「とても、悲しくて、寂しい・・・、」




 素直に泣くに、白瑛は小さな笑みを浮かべる。




「そう、よね。」





 あまりにたくさんのことが怒りすぎて、白瑛は父や兄の死をゆっくりと悲しむことすらも出来なかった。のように寂しいと涙を流す暇もなく、ただ日々に追われ、戦って勝ち取ってきた。理不尽に奪われた命を、悲しいと受け入れるいとまもなかったのだ。

 人の死は、本当は酷く尊く、悲しい物でなければならないのに、当たり前のように奪われてしまう。その貴さを忘れてしまう。

 たった数人の命だったとしても、それは他人の彼女が悲しみに涙するほど、尊い物なのだ。




「・・・貴方は、綺麗ね。」



 白瑛はの涙を拭いてやりながら、小さく自嘲気味に笑う。

 ジュダルがに惹かれるのもわかる。彼女は綺麗だ。その容姿だけでなく、穏やかな気質も、馬鹿だという人もいるけれど、単純で明快なその性格も、裏表がなくて、素直すぎるだけだ。確かに遠い将来のことは見えていないが、目の前のものを大切にしている。

 白瑛は違う。国政に関わり、金属器を持つにつれて、王として、大勢のために小さな個人を捨ててきた。それは“自分”という器そのものを捨てたと言っても良いのかもしれない。

 のように下々の兵士よりも、将軍と対話することばかりを望んでいた。だからこそ、将軍たちの元で苦しむ下級兵士たちの痛みも、病に倒れた彼らの処遇にも、気が回らなかった。白瑛は知っていたのに、見に行こうともしなかった。

 は彼らを癒やすことによって人望を得、今は煌帝国でも有数の将軍である李舜外の信頼を勝ち取っている。




「そんなことないよ。お姉さんはまっすぐで、いつも一生懸命で綺麗だよ。それにわたしのことも心配してくれるでしょう?優しいよ。」




 は柔らかく笑う。細められる翡翠の瞳にはいっぺんたりとも嘘はなく、心からそう思っているのだとわかる。




「貴方がそう言ってくれるなら、そうあれるように、努力するわ。」




 綺麗なが、自分のことを綺麗だと言ってくれるのは、どうしてだかわからない。それでも彼女は絶対に嘘など言わないから心からそう思っているのだろう。だから白瑛もまた、彼女の言うとおりまっすぐな自分であれるように努力する。




「ねぇ、。お姉さんはやめてくれない?貴方、17歳なんでしょう?私は18歳なの。」





 白瑛は小さく笑って、17歳だという割にはどう考えても幼くしか見えない彼女に言う。




「え?そうなの?じゃあ、白瑛さん?」

「白瑛で良いわ。。私もそう呼んでいるのだから。」

「うん。白瑛、」




 は嬉しそうに笑って、白瑛の名前を呼ぶ。無邪気な高い声音は聞き心地が良くて、白瑛も目を細めて笑い返した。






心配