紅炎との会合が終わってからのはいつもの元気の良さはなく、少し沈んでいた。

 日頃は五人前の食事を平らげるというのに、今日はほとんど手をつけることなく残していたし、ただ考えたいことがあるようでぼんやりとしていた。




「どうしたの?」




 白瑛はカウチに座って膝を抱えているに尋ねる。

 白瑛の方は今日、改めて駐屯地で将軍の中でも有力者の李舜外と会うことが出来た。から白瑛の話を聞いていたという彼は、白瑛が兵たちの様子に目がいかなかったことを謝罪すると、彼自身もに言われるまで気づかなかったと恐縮していた。

 お互いに足らないところがあったことを認め合った後、話し合いは今までの関係の悪さなどなかったよう順調に進み、白瑛の質問にも彼はきちんと答えてくれたので、今までになく良い会合に終わった。

 対しての方はジュダルとともに紅炎に会いに行ったはずだが、何か思うところがあるのか沈んでいて、すっきりしなかったようだった。



「んー、たくさんの事がありすぎてよくわからないよ。」



 はへらっといつもの笑いを浮かべたが、なにやら力がない。それが無理をしている自分の弟を見ているようで、白瑛はの隣に座った。




「何が一番貴方を戸惑わせているの?」

「わからないな。わたしは本当のお母さんは覚えていないから、紅炎おじさんたちにお母さんに似てるとか言われてびっくりしてるのかな。」




 マフシードがの母親だったとしても、にはそもそも実母の記憶がない。母親がそんなすごい人物だと言われても、小さな村で育ての親とともに幸せに生きていたにとってはよくわからないのだろう。





「・・・わたしの母も、皇后で実の母親だけど、よくわからない人よ。」




 白瑛は目を伏せて小さな息を吐く。




「・・・」

「もちろん貴方の母君は立派な方だったんでしょう。主席魔導士になられたくらいですもの。お噂では非常に賢い人だったとか。」




 マフシードが健在だった頃、白瑛は生憎幼かったため、あまり覚えていない。だが、ヴァイス王国の繁栄は彼女とともにあったとまで言われた人物だった。また奴隷にされていたファナリスを大量に買い込み、解放したことでも有名だ。

 も綺麗な容姿をしているが、彼女によく似ているというなら、彼女の母もきっと銀髪の美しい人物であったに違いない。




「それに、貴方にはすてきな母君がもう一人いらっしゃる。」




 は白瑛の言葉にぴくりと反応する。には育ての親がいて、その親とともに村で育ってきたと白瑛も聞いていた。




「わたしには市井の生活はよくわかりませんが、普通の家族とは、どんななのかしら?」




 白瑛が優しく尋ねると、促されるようにゆっくりとは口を開いた。




「・・・お母さんが、料理を作って、お父さんが畑で野菜とか、麦とかを作るんだよ。」




 それは本当に当たり前の、誰もが思い描く田園風景。女が料理を作り、男が耕す。それをゆったりと見つめる生活は泥臭く、単調だがかけがえのないものであり、何よりも大切な、の故郷の話だ。数ヶ月前までも当たり前のようにそこで過ごしてきた。



「わたしは歩けないけど蚕って言う虫を育ててて、その繭で服が出来るんだよ。その布地を綺麗に染めるんだ。裁縫とかも家で出来るから服を作ったり。お祭りの時はわたしは歌が上手だからって・・・」



 作っているものが隣近所と違うから、たまに隣の人が野菜を分けてくれて、代わりに畑の麦やが織った布をあげる。お互いが助け合って、共同で生活していくのが、村のあり方だ。

 白瑛が全く知らない、ある意味であこがれそのもの。




「素敵ね。そうやって、みんなが平和に穏やかに生きて行けたら良いのに。」




 争いもなく、ただ日々の生活を思い、穏やかに生きることが出来れば、戦争もすべてなくなるだろう。




「でも、みんなよく喧嘩もして、すぐに仲直りするんだよ。わたしもお父さんと喧嘩をして、口も聞かなかったことがあるんだよ。でも、わたしが泣いたら、すごく心配してお母さんと大げんかになってでも、すぐに仲直りするんだよ。」



 は笑いながら楽しそうに話す。

 それはきっと、白瑛がかつてもう失ってしまった家族のあり方であり、が両親に、そして村の人々に愛されて育った証拠だ。

 と、その両親は確かに血がつながっていなかったかもしれない。でも、確かな絆でつながっている。別れるその日までは両親を思い、両親はを思っていただろうことが、のその優しい目から他人の白瑛にもわかる。

 は帰ることが出来ないと言っていたが、本当は何よりも両親の元に返りたかっただろう。そして彼女の両親もまた、を愛していたに違いない。彼女を手放しながらも、彼女の無事を知りたくてたまらないだろう。




は、ご両親に会いたくないの?」

「・・・会いたいけど。戻ったら駄目って言われたし、きっと困るんだと思う。わたしのことをヴァイス王国の人が追っているなら、お母さんたちは大丈夫なのかな…。」




 は少し目尻を下げて悲しそうに笑う。

 の養父母は生きているのかも知れない。でも、はヴァイス王国に戻れない。それはきっと養父母を危険にさらし、困らせることになるだろう。戻るところがないから、ここにいる。でも本当は両親が心配でたまらないだろう。

 は芸妓として売られるという形で今まで守ってくれていた両親という後ろ盾を失ってしまった。だから今の後ろ盾であるジュダルが例え理不尽でも、留まろうとするのは当然だし、不安定なまま、怯えているかもしれない。

 頼るものがない不安を、白瑛はよく知っている。父が亡くなり、兄たちを殺された遠い日、味わった孤独と不安は、おなじものだ。

 白瑛はの手をそっと握り、笑いかける。




「私が貴方の村に行ってみるわ。」




 の翡翠の瞳が丸く、丸く見開かれた。




「で、でも。」
「貴方は帰っては駄目なのでしょう?でも私は関係ない。私が貴方の代わりに貴方の母君と父君にお会いしに行くわ。」




 本当はを養父母に会わせてやりたいと思う。だが、は育ての親たちから言われたとおり、ヴァイス王国に戻ってはいけないと思っているようだ。また足の悪く、まだ魔法などの使い方もよく知らないが宮廷から離れることは危険だ。狙われているのはである。安全のためにもはジュダルや、紅炎の元にいた方が良いだろう。

 だが、白瑛ならば違う。国境近くの村だと聞いているし、ある程度調べて少数で入れば別に問題はない。ましてやが商人に買われて煌帝国まで来たという経緯を聞けば、間違いなくそのルートは残されているはずだ。






「で、でも、危ないよ。白瑛に何かあるかもしれない。」



 は白瑛の服を握って、首を横に振った。




「貴方は李舜外に私のことを話してくれたのでしょう?」




 白瑛はにっこりと笑っての小さな手に自分のそれを重ねる。

 今日の会合が穏やかに進んだのは、の話題があったからだった。古参の将軍である彼は恐らく彼は神官であるジュダルを警戒しているため、白瑛とが関わりがあるのを知り、倒れたの見舞いに訪れたいと打診したのだ。

 李舜外は自分の兵士の病を癒やしたに心からの感謝を示していた。彼は老齢だが古参の将軍で、たたき上げで将軍の地位まで上り詰めており、一兵卒時代には随分と苦労したのだという。将軍として上に立つ時には一兵卒のことも無駄にはしないと誓ったというのに、に自分の下で苦しむ兵士のことを指摘された時、まさに身をつままれるような思いだったと言っていた。

 それは白瑛も同じで、皇女として育った白瑛は、が病になった下級兵士を助けるまで、そう言った兵士がいること自体にも目を向けていなかった。

 が何度か兵舎を訪れたときに彼に白瑛のことを語っていたらしい。優しいし、まっすぐで強い人だと舜外に何度も言ってくれたおかげで、皇女だから高飛車で横暴だろうと固定観念を持っていた舜外も、白瑛の話を聞いてくれる気になったのだ。

 人を率いるために崇高な理想があって、一兵卒に対しても並々ならぬ思いがあって、事情や身分は違えど、互いに目指していたものは同じで、だからこそ白瑛はの話題とともに彼と打ち解けることが出来た。




「話した、けど?」




 にとってそれは別に意図的にやったわけではなく、ただ優しくて強い白瑛がすごいと言いたかっただけなのかもしれない。だがそれでも、彼女が生み出した効果は変わらないし、彼女に白瑛を素直に褒める以上の意図がなかったからこそ、彼も白瑛の言うことに耳を傾けてくれたのだろう。




「少し、わたしも恩返しをしたいのよ。だから任せて頂戴。」




 白瑛はそっとの長い銀色の髪を撫でる。

 きっと彼女の養母はのことを心配しているだろう。この頼りなくてお人好しな少女を、きっと心から愛していたに違いない。ならば白瑛が出来ることは、彼女の母親に会い、彼女の無事を知らせ、彼女がどうやって自分を助けてくれたのかを、話すことだ。

 そして彼女の養母に聞くのだ。彼女を苦しめる運命とは何なのか。どうやったら彼女の力になれるのか。



「わたしも貴方を元気づけたいの。」




 白瑛はぎゅっとの手を握って、懇願するように言う。そのまっすぐな瞳には困った顔をしていたが、感情に負けたのか、小さくこくりと頷いた。