「えええええ、ジュダルも白瑛と一緒に出かけちゃったの?」
は紅炎から報告を聞いて、驚いて目をぱちくりさせる。
「知らなかったのか?」
「聞いてないよ。ジュダル、何も言ってなかったから。」
昨日の話し合いの後、も沈んでいたが、ジュダルも何か考えているようだった。彼が気まぐれなのはいつものことだが、今日朝起きたら部屋におらず、女官たちに公園の部屋に連れて行かれ、白瑛とともにヴァイス王国の国境近くへ偵察に行く部隊について出かけたというのだ。
昨晩、白瑛はの故郷でもある南の国境付近の村を探すと言っていた。が戻ることが出来ないなら、自分が行ってくると言ってくれた。
村を出てからずっと育ててくれた両親のことが気がかりだったので気持ちはありがたかったが、無事に帰ってくるかとても心配だった。その上ジュダルまで行ってしまったとなれば、白瑛の安全度は上がるのかもしれないが、二人が帰ってこないかもしれないと思えば、二倍心配がかさむ。
しかも絨毯で片道2日の道のり、4日は帰ってこないだろう。
「まぁ、二人なら大丈夫だろう。」
紅炎は楽観的で、淡々と事務処理を片付けていた。
がどうして宮廷の彼の執務室にいるかというと、彼もまた金属器使いで、しかも複数保持しているという強者らしい。要するにジュダルや白瑛がいない今、狙われているは彼の傍が一番安全だと見なされたのだ。
おかげで紅炎のつまらない書類仕事をカウチの上から眺めていることになっていた。
「ついでに南側からの横道を探してくれれば良い。」
ジュダルと白瑛の公の目的はヴァイス王国の偵察だ。ヴァイス王国は多くの魔導士や金属器使いを抱えており、正面突破は得策ではないので、重要な任務なのだろうが、にはジュダルと白瑛の方が心配だった。
「それにしても、マフシード・スールマーズにそっくりだと思っていたんだが、顔はともかく、性格は全く似ていないな。」
紅炎はを鼻で笑う。何となくそれが嫌で、は思わず眉を寄せた。
ジュダルはの髪を引っ張ったり、頭を叩いたりするので痛いが、この紅炎という男は、なにやら精神的に非常にむかつく。簡単に人を馬鹿にしてくるその態度が何となく好きではなかった。否、嫌いなのかもしれない。
最初からなんだか嫌な感じがしていた。
「そんな顔をするな。別に他意はないが、随分単純だと思ったんだ。」
「・・・馬鹿ってこと?」
「そうとも言う。」
ジュダルものことを馬鹿だ馬鹿だとしょっちゅう言っていた。確かには記憶力の良い方ではなく、耳がおかしいのではないかと言うほど聞き間違いがきわめて多い。しかも興味がないことは何をやってもからきし出来なかった。
確かに幼い頃からつまらないことは大嫌いで、育ての親に勉強を教えられてもちっとも覚えず、蚕を眺めてのんびりしている方が好きだったので、仕方がない。
「育ててくれた両親は、わたしのことをスールマーズなんて言わなかったんだよ。だからわたしは・だって言ってた。だから、」
「なら父親がだったんだろう。基本的に父親の名字を名乗るのが一般的だ。おまえは実の両親が誰なのか、気にならなかったのか?」
紅炎はに問う。だがは幼い頃からあまりに満たされすぎていて、育ての親が実の両親ではないと考えたこともなかった。
「・・・一度水辺で遊んでいて、鉄砲水に遭って流されたことがあるけど、その時もお父さんたちは命をかけてわたしのことを助けてくれたの。」
両親を、疑ったことがなかった。確かに髪の色が全然違っていて、村の人たちもの両親が実の両親ではないことを知っていたのかもしれないが、それでも心から大事にしてくれた。満たされ、愛されていた。
両親にとっては一番大事な子供で、それを疑ったことはなかったのだ。
「・・・本当の親じゃなかったって言うのは、寂しかったけど、でも育ててくれたのは、わたしのお父さんとお母さんだって事は、変わりないかな。」
確かに夢の中で会えるお父さんも、知らない、偉大な人物だったかもしれないお母さんも、にとっては大切な人なのだろうが、夢みたいにふわふわしていて、現実感がない。抱きしめられたこともなく、実際の記憶は全くないのだ。
でも、育ててくれた両親は違う。
泣けば抱きしめてくれた。一緒にたくさんの時間を過ごし、一緒に笑い、食事をし、時には喧嘩をし、十数年の間ともに過ごしてきた。その一緒に過ごし、大切にしてもらった時間が嘘になることは、が生きている限りずっとない。
それは本当の両親が見つかったとしても変わらない、の大切な記憶と思い出だ。が与えられた愛情は、例え血のつながりがなくても、変わりはしない。
「そこまで両親に思い入れがあるのは、うらやましいな。」
紅炎は机に頬杖をついて、小さく息を吐く。
「・・・どうして?」
「俺たち皇族はほとんど両親とは疎遠だからな。そこまで両親が好きだとは言えないな。」
皇族の親子関係はきわめて希薄だ。愛情などというものはほとんどなく、下手をすれば憎しみの方がありふれているほどに、遠い。実際に紅炎も父親を尊敬したことはないし、今の義理の母親などもってのほかだった。
「やはり、おまえは惜しいな。」
紅炎はしみじみと言う。その意味がわからずが首を傾げていると、彼は続けて口を開いた。
「おまえは還俗しないか。」
「がぜく?」
「おまえ相当耳が悪いな。巫女ではなく、皇族の妃にならないかと聞いているんだ。」
は驚いて眼を丸くしたが、彼の口調は淡々としている。
「何なら俺でも、俺が気に入らなければ誰でも良い。皇族に娶られれば皇族に準ずる扱いを受ける。そうすればおまえは巫女ではなくなるし、地位も安定する。こちらもマフシードの娘を手に入れられればヴァイス王国を手中に収められる。」
それは酷く政治的な話だった。
皇族がを妃にすれば、が持つマフシードの娘として、またヴァイス王国の主席魔導士の地位を煌帝国の皇族が持つことになる。相手は別に皇太子でなくても、皇族であれば誰でも良い。が嫌がるなら触れないように命じれば良いのだ。
形だけの妃は山のようにいる。
「でも、わたしは何も困っていないよ。」
「ジュダルがつるんでいる奴らは、おまえを欲してるだろう。おまえ魔導士としても、金属器使いとしても使えるんだろう?いつか食われるぞ。」
は清濁併せ持つような性格をしていない。比較的潔癖な彼女はいつか、それらを受け入れきれなくなるだろう。
「ジュダルが、つるんでいる人?」
「おまえは練玉艶にあったのだろう?」
が宮廷で会った、綺麗な女性。それをジュダルはこの国で一番の権力者だと言った。紅玉は彼女のことを皇后陛下と呼んでいた。ジュダルがヴァイス王国に来たのも、皇后陛下の命令である。
『どれほど姿が変わろうとも、我らが彼女に使えていることに変わりはない。穢れたおまえなどに渡す訳にはいかない。』
まだがちっとも使えない金属器のジンは、それでも玉艶に襲いかかり、そう言っていた。には綺麗な女性に見えたが、あのジンは必死でに何かを言おうとしていたが、その時は何もわかっておらず、何も聞かずに彼を金属器に戻していた。
彼女の周りには黒いルフが見えていた気がする。
「あれは、神官を従えた魔女だ。」
紅炎は宙を睨んで言った。
「このままではおまえも、取り込まれるぞ。」
には何もわからないが、それは思ったよりもぞっとする響きを含んでいた。は与えられている地位に何ら不満はなかったが、それはマギのジュダルを元に構成されている。もしもそのジュダルそのものがに牙をむけば、には何もないのだ。
が持つのはこの身と、この身に宿る希少すぎる力だけ。それはまた神官たちが欲しているものそのものだ。
「俺や紅明あたりなら、触れないことも確約する。地位だけ手に入れられると考えてくれれば良い。俺は貴重な金属器使いを守りたいだけだ。」
二つの金属器を持つを、使いこなせていないとはいえ、まだ若いことを考えればこれから十分に役立つだろう。敵に回すのはやっかいだし、同時に味方にしておきたいと思うのは当然のことだ。恋愛感情や他意はあっても微々たるものだと紅炎は示す。
また、が完全に敵にまわると言うならば、殺すしかない。
「・・・でも、ジュダルは悪い人じゃないよ。」
気まぐれだ、でもに意味のない暴力は振るったことがないし、食事もふんだんに与えてくれるから、ここに来てからが飢えたことはない。それに、育ててくれた両親は、マギとともにあると言っていた。紅炎はマギではない。ジュダルはマギだ。
の実父と同じ、マギ。
「もう少し、このままでいたいんだよ。」
は紅炎に明るく笑う。それに彼は納得した風ではなかったが、何も言わなかった。
これまでとこれから