奴隷として売られていた自分たちを拾い上げたのは、白銀の少女だった。




 ―――――――――――――貴方たちは今日から私の家族よ。




 魔導士の名門・スールマーズ家の中でも一際才能を持って生まれてきた彼女は、長らく奴隷として虐げられてきたファナリスの最初の救いの神になった。

 輝かんばかりの白銀の長い髪に、大きな青い瞳。清らかな聖女のような容姿をした少女は、マグノシュタットで魔法を学び、あっという間に誰よりも優れた魔導士となり、ヴァイス王国の主席魔導士として司法を司る事になった。

 彼女は奴隷だったファナリスたちを王国内で一斉に買い取り、ファナリスによる国軍をヴァイス王国に作った。主席魔導士として司法権を与えられた彼女は国内の司法や税制度を整えてヴァイス王国を根本的に豊かにした。

 誰もが、ヴァイス王国はこれからも繁栄し、彼女とともに歩む世界は満たされたものになるだろうと思った。

 賢く、才知にあふれ、どこまでも正しい。マフシード・スールマーズは、そういう女性だった。

 そんな彼女が子供を産んだのは、ファナリスが彼女に従うようになってしばらくしてからだった。彼女が生んだ娘は、容姿だけを言うならば、マフシードによく似ていた。でも、その幼くて小さな命を抱いた時に魂に刻まれた願いを思い出して、涙がでた。




 ―――――――――――――お会いしたかった…




 遠い、魂に刻まれるほど遠い日の約束。願い。誓いを果たすために、ファナリスたちは奴隷に身を落としてまで、この世界で生きていた。会いたかった。会いたかった。心が満たされる、いっぱいになる訳のわからない感覚に、無意識のうちに涙が出た。

 覚えてはいない、でも、確かに覚えている。忘れたことがない。




 ―――――――――――――、さま、




 愛しい全知全能の神の娘。知恵という名を与えられた彼女に、ずっとずっと会いたくて、今度こそ守りたくて、ここまで来た。

 だから、後悔など、一片もない。恨みも憎しみも、その運命すらも受け入れられる。

 そう、マフシードに集められたことも、がマフシードの娘として生まれたことも、全ては遠い昔、誰もが覚えていないほど昔の、約束された運命。




「私はセピーデフよ。まさか、のお友達が来てくれるなんて。お名前は?」




 セピーデフは自分を訪れてくれた娘の友人たちににっこりと笑う。

 長い三つ編みの少年はぶっきらぼうな口調で「ジュダル」と己の名前を言い、少女は煌帝国の礼をして白瑛と名乗った。遅れて少女の従者の少年が、青舜だと自己紹介をした。

 ここは驚くほど狭く、暗い地下の抜け道だ。昔から隠れ家としても使われていて、生活できる最小限のものがそろえられている。薄明かりの中で、炎と小さな電球だけが揺れる、本当に最低限の物品しかない質素な家だ。

 元々はファナリスたちがここに村を作った時に作った避難所であり、お客に振る舞うものは、このあたりの草で煎じるお茶くらいしかない。




「なんだこりゃ。」



 独特の風味があるため、ジュダルは遠慮もなく顔をしかめた。



「あら、お口に合わない?」

「え、いや、美味しいです。」




 白瑛の方が慌てて答える。それは青舜も同じで何度も白瑛に同意して頷く。だが、どちらも微妙な顔でそう口にしていることから、あまり美味しいとは感じていないだろう。要するに白瑛はセピーデフに気を遣っているのだ。お茶を出してくれたからと。

 だがジュダルにはそういう気兼ねは全くない。



「なんか微妙な味じゃね?もっと飲みやすいもんねぇの?」

「そう?一応この葉っぱを入れると飲みやすくはなるのだけど。」



 セピーデフが言うと、ジュダルは何の遠慮もなく葉っぱを中に入れる。それを口に含んで、ジュダルは一つ頷いた。葉っぱは甘い風味があるのか、味としての甘みはないがのどに残る甘さが独特の風味をかき消し、心地よい爽快感と甘さだけが残るので、飲みやすかったようだ。




「ん。最初からそうやって出してくれれば良いじゃねえか。」

「わたしはない方が好きなのよ。」



 セピーデフは残念そうに目尻を下げて息を吐く。




も葉っぱを入れないと飲まないのよ。貴方はあの子と好みが一緒なのね。マフシード様は何でも飲んでくださったのに。」




 愚痴のようにぽつぽつとこぼしたが、ジュダルの対応はセピーデフにある青年の姿を彷彿とさせるため、悪い気はしない。ただ同時に、手放すしかなかった娘が思い出され、胸が痛んだ。

 娘として10年の間育ててきたもまた、あの葉を入れて飲まないとこの茶を嫌がった。健康にはよいのだが、味は好みではなかったらしい。対してマフシードは何でも不思議な味ねとにこにこ笑って飲んでくれたものだった。

 マフシードと隣り合い、悪態をついていた男もまた、この茶をあまり好んではいなかったが。



は煌帝国で巫女の地位を得て、元気です。」



 白瑛が気遣わしげに口を開いた。それにセピーデフは安堵の息を吐く。




「あの子、芸妓じゃなくなったのね」




 商人に売ってしまう事になったのは、セピーデフの最大の後悔だ。それ以外方法がなかったとはいえ、娘がどうなってしまったのか、いつも不安に思っていた。ヴァイス王国を出て、煌帝国の宮廷にいるならば、一応身の安全は保証されているだろう。

 それだけでも、セピーデフにとっては朗報だった。




「俺が宮廷で買った。」




 白瑛は安堵の息を吐いたセピーデフに好意的だったが、ジュダルの方は酷く冷えた声音で言った。

 彼がを直接買った本人らしい。が売られた先の遊郭でどんな扱いを受けていたかを彼女から聞いて知っているからだろう。を売った両親を信じることが出来ないと言ったところだ。仕方のないことだとわかっていたので、セピーデフも小さく頷くしかなかった。




「・・・見つかっちゃったから、あの子を外に出さなければと思ったの。酷いやり方だったとわかっているわ。」




 ファナリスの村は、ずっと隠されていた。それがヴァイス王国に見つかったのは偶然だった。セピーデフたちが気づいた時にはすでに関所や普通の商人が通るような場所はすべて閉鎖され、どうしようもない状態だった。

 国境を越えられるのは盗賊か、それと関わりのある違法な商人だけだ。



「あの子はファナリスではないから、万が一にも戦いになれば生き残れないと思ったの。」




 ファナリスならば、逃げることも、身を守ることも、戦うことだって出来る。だが、はファナリスではなく、持っている力を一度も使ったことはなかったから、手元から離すしかなかった。

 生きていれば、どんな辛いことがあってもまた笑えるからと思って、身を切るような思いで商人に彼女を売った。だが事情がどうであれ、酷い親であることに変わりはない。ジュダルからの冷たい視線は、セピーデフの罪をまっすぐと見ていた。

 それに、彼がセピーデフに冷たい視線を向けるのは、に対して情があるからだ。を買った彼がに愛情があるというのは、セピーデフにとっては救いだった。



「・・・あの、この村の人たちはどうなったんですか?」




 白瑛はおそるおそる問う。




「そうね。ヴァイス王国の国王軍に殺された人と、捕まえられた人と、隠れていて逃げのびた人がいるわ。10年前のファナリスの反乱の残党として、首謀者たちは処刑されてしかるべきだったから。」




 セピーデフは目を伏せ、ぼんやりと宙を眺めながら、事実をぼかして答えた。

 女子供のうち、この隠れ家に逃げ込み、閉じこもっていた人々はなんとか生き残り、暗黒大陸に逃げ延びた人々もいる。だが、ほとんどの男が外で戦い、死んだ。一部の負傷者は連れて行かれたが、奴隷として、もしくは10年前のファナリスの反乱の首謀者の一部として処刑されていることだろう。

 どちらにしても連れて行かれたものの末路は悲惨なものだ。

 それでも、男たちの多くは納得して死を選んだ。魂に刻まれた誓いを、自分たちは忘れたことがない。忘れられない。赤子のを抱いたとき、理解した。

 自分たちは、彼女のためにここにいるのだと。



は、やはりヴァイス王国の主席魔導士だったマフシード様の娘なのですか?」





 セピーデフが驚くほどに、白瑛は率直に尋ねてきた。セピーデフは白瑛を警戒して、じっと彼女の服装を見聞する。

 質の良さそうな絹の着物や装飾品を見ても、彼女が煌帝国でも高位の人間だとわかる。




「貴方は煌帝国の人ね。」

「はい。ですが、友の不利益に動く気はありません。」




 白瑛は疑うセピーデフにまっすぐと視線を向ける。

 煌帝国で高位の人間が、敵国のこのような辺境にたった一人のお供とともに来るには努力が必要だっただろうし、何よりもそれを果たす度胸がいる。彼女は少なくとも、のことを思ってここに来ただろう事は間違いない。




「貴方は、・・・マギ、なの、かしら。」





 セピーデフはジュダルの方に目を向ける。

 彼はセピーデフの話に先ほどから興味もなさそうだったが、の話になると目を開いて姿勢を正し、聞く体勢を作った。





「そうだぜ。だからが誰でも関係ねぇ。」





 ジュダルはあっさりと自分がマギであることを認めた。

 ジュダルにとってで、それ以上でも以下でもない。彼女が仮にマフシードの娘だったとしても、マギであるジュダルの価値に敵う人間なんていないのだ。彼女がどちらであっても些末な問題なのだろう。

 白瑛がの素性を知りたいと願うのはを思うが故に政治的な身の振り方に関わるからだろう。だが、ジュダルがの素性を知りたいと思うのは個人的な興味だ。もちろんを大切に思っているだろうが、本質は異なる。

 セピーデフは納得の上であごを引いて、口を開いた。




「あの子はマフシード様の一人娘。賢人の予言なさった、次の主席魔導士だったわ。」





 シェヘラザードが次の主席魔導士を選ぶために予言をマフシードに授けたのは、彼女が臨月の時だった。レーム帝国のマギが選定者に選ばれた原因は、利害関係が全くなかったからだと言ってもよい。だが、それが間違いだったのだろうとセピーデフは今も思っている。

 シェヘラザードはおそらく、知っていたのだ。マフシードの恋人が誰であったのかを。

 彼女はマフシードの子供が次の主席魔導士としてふさわしいと言い、同時に居並ぶ議会の人間たちにこういった。




 ――――――運命が守れば汝が子が繁栄をもたらす、運命から逃げれば子は滅びを連れてくる




 その予言の意味する物が何であったか、セピーデフは知らない。おそらくシェヘラザードですらも、その意味を正しく理解していたかどうか、怪しいだろう。




「でも、あの子は魔導士じゃなかった。」




 生まれてきた子供は、少し不思議な所はあったが、“魔導士”ではなかった。ルフも見えていなかった。他人を治癒する力は持っていたが、それだけで、それ以外の魔法も使えなかった。人々はそれをキセキの力として受け入れたけれど、やはりそれは魔導士としては不適合だというのは事実だった。

 魔導士としての資格を持たないにもかかわらず、ヴァイス王国の次期首席魔導士として選ばれた少女の運命は、権力闘争のない時代であれば失望とともに平坦に終わるはずだった。

 だが奇しくも行政を司る国王と立法を司る議会が互いに争い合い、司法権を司る主席魔導士が議会側に立つ形で権力闘争を繰り広げていたヴァイス王国において、本来であれば世襲ではない主席魔導士の地位に誰が立つのかは重要な問題だった。

 そのため議会派は母親であるマフシードと同じ意見を持つであろうが主席魔導士の地位を継いでくれることを願っていたし、国王派はを邪魔に思っていた。



「国王がを殺そうと、迷宮に落としたのは、あの子がいくつの時だったかしら。・・・が魔導士ではないとわかっても、怖かったのでしょうね。」




 国王は予言を恐れると同時に、いつか自分の地位が奪われることに恐怖していたのだ。彼は自分の手を汚さず、迷宮にを落とし行方不明と言うことにした。ファナリスの何人かがを助け出そうと挑んだが、結局誰も帰らぬまま、三日ほどがたった。




「少年が、やってきたのよ。」

「少年?」

「えぇ、彼がその話を聞いて、を助けると言い出したの。」




 少年は、を探すと言って迷宮に入り、二週間後、や助けに入ったファナリスとともにひょっこり帰ってきたのだ。




「迷宮から帰ってきたは青い化け物をつれてたわ。」




 セピーデフには表現の仕方が見つからないようだったが、それは金属器に宿ったジンだろう。

 首席魔導士にふさわしいと予言されながら魔導士としての力を持たなかった少女は、金属器を手に入れた。歩き出したばかりの幼女が持つにはあまりにも大きな力。それを何の偶然か、彼女は手に入れてしまった。

 確かに彼女は魔導士としての資格は持っていなかった、だが、王としての資格は多分に持ち合わせていたのだ。




「彼がに力を与えたのか、それとも、が自力で迷宮で何かをしたのかはわからないわ。でも、それはのものだった。」

「いくつだったんですか?は。」

「4,5歳の頃の話よ。」





 それが真実ならば、彼女はたぐいまれなる才能を持って生まれてきたのだろう。だが白瑛にもジュダルにもいつものには何も特別なものが見えなくて、本人とあまりにかけ離れたもののように思える。

 をつれて戻ってきたのは才能ある少年だった。現在では七海の覇王と言われ、迷宮をいくつも攻略したという、あまりにも輝かしい経歴を持つ少年は、ともに迷宮を攻略した銀髪の幼女を気に入った。も彼をいたく気に入り、同時に少年もを連れて歩くようになった。

 無邪気だった。少年も、そしても。見たこともないようなもののたくさんある迷宮が、そして様々な見たこともない物品が、少年にとっても、まだ幼いにとっても楽しくてたまらなかったのだろう。

 彼女にとって、迷宮より現実の方が危険だと、幼い彼女にはわからなかった。金属器という未知の力を秘めたものが、どれだけ危険を呼ぶか、運命はくるくる回りながら、その力を封じられながらも、いつの間にか進んでいた。









これまでとこれから