紅炎から見ても、は不思議な少女だった。



「おまえ、気分が悪くならないのか?」



 目の前に並んでいるのは成長期の少年顔負けの量の食事の軽く4,5倍と言ったところだろう。紅炎の隣にいる紅明も、のあまりの食べっぷりで食欲をなくしたらしい。



「何が、かな?」



 は紅炎の心持ちがさっぱりわからないのか、首を傾げるだけで、また食べていた桃を口に入れた。



「いや、もう良い。」



 紅炎は頬杖をついて異常な食べっぷりを眺めた。彼女がマフシードの娘であると言うことを抜きにしても、容姿として彼女を当初は紅炎も魅力的だと思っていたが、その意見は完全に変わりつつある。

 北方系の白い肌に白銀の長い髪、翡翠の大きな瞳、小作りで整った顔立ち。幼げでそれていてつやのある彼女の容姿は、十分に成長すれば美しいと言える女性になるだろう。芸事にも明るく、歌もうまいので側に置いてもなかなか楽しめる。

 紅炎はそれなりにジュダルがを買った理由を同じ男として納得していた。

 だが、は黙っていれば賢そうだし、見目も美しいが、集中力がなく、面白くないことには興味もないのであまり人の話を聞かない。政治の話を紅炎がしてもマフシードの話は聞いていたが、それ以外の話は右から左だ。

 さらにこの大食いとくれば、正直、百年の夢も覚める。



「・・・」



 頬杖をつきなおして、紅炎はを見やる。

 あまり綺麗に食べようという発想がないのか、桃を手や服をべたべたにして食べている姿は、幼い頃の自分の弟妹を思い出させた。あまりにも幼すぎて、自分の年齢も彼女より10ほども上だと言うことを加味しても、どう考えても手を出す対象ではない。

 これを見ても萎えないジュダルはなかなか若いと言うべきか、変わった趣味をしているとしか言いようがなかった。



「もったいない。」



 は非常に勘の良い子だ。方向感覚はないようだが人の感情をよく見ているし、物事の本質を他人の言葉に左右されずに見抜く力を持っている。策略なども、ある程度の年頃になり物事を考えれば出来るようになるだろう。

 使用には難があるようだが金属器を二つも持っており、異例ながら魔導士としてもジュダルが一目置くほど才能がある。なのに、彼女には政治的な理想もなく、金属器や魔法を使って何かしたいと言うこともない。

 普通これほどの力を持っていれば確固とした意思の一つや二つ持っていてもおかしくない。

 だが、はジュダルに興味は持っているが、別にそれが絶対ではない。マギというものに興味があるから従っているようにも見えるし、他のことに関しても、どうでもよいから唯々諾々と従うし、面白くないことは何も聞かない。

 だからこそ、ふわふわと浮くようにただ流れているは、ジュダルの動き方によっては紅炎の敵にも味方にもなり得る。しかも能力だけを見るならば強敵だ。確固とした意思もないため、歯止めとなる手段が講じにくく、非常に危険だった。

 脅すネタもないし、こういうタイプは脅したとしてもさらりと逃げるタイプだ。一番扱いづらい。




「ごちそうさまでした。」




 はたっぷり5人前とスイカと桃を大量に平らげてから、手をそろえて食事を終えた。



「・・・お粗末様でした。」



 紅明は目をぱちくりさせて、もはやそれ以外の言葉が出ないようだった。紅炎もそれは同じで、ため息だけをつく。



「ちょっと待ってくださいね。」



 紅明は仕方なくとでも言うように彼女が座るカウチまでいって、彼女のべたべたになっている手を拭く。桃の果汁で汚れていた頬なども、几帳面な紅明によって綺麗に拭き取られた。



「おまえ、昨日言ったこと考えたか?」



 紅炎はまるで親子のようなそのやりとりを眺めながら、嘆息するしかない。



「考えたけど、やっぱりわたしには別に必要ないよ。」



 はあっさりとそう言って、その翡翠の瞳で紅炎を見上げた。それは紅炎の予想通りの言葉だった。

 そう、決定的にに足りないのは、“欲”だ。

 もしも王位に就きたいとか、名誉や権力がほしいと思えば、彼女はすでに手に入れているだろう。だがジュダルに囲われていても、は何も不満を持っていない。よほどのことがない限り、は何も望まないのだ。

 彼女の育ての両親は多分、何か問題があってを手放したのだろう。彼女は穏やかな田園の生活に満足していただろうし、育ての親に何も問題がなく、を追い出す必要がなければ、彼女は小さな村で金属器にも魔導士にも関係なく、その一生を終えていただろう。

 だから、大きな問題があるまで、彼女は同じようにジュダルの元に居続けているはずだ。彼女は基本的に受動的な人間で、外的な要因でしか動かない。そしてその外的な要因は一番予想しづらいものだった。



「困ったものだな。」



 皇后の玉艶が口を出してくると言うことは、彼女はを本気で確保しておくつもりだろう。それだけの価値が、にはあるのだ。マフシードの娘だからと言うのみではない、彼女の能力的な何かが。

 それを紅炎は恐れていたが、少なくともが望まなければ、その後ろには玉艶の巨大な権力がついてくる。紅炎ですら抵抗しようがない。



「・・・幼い頃見たマフシードはまぶしいほど光をまとった人だった。」





 幼い紅炎は、の母親だとされるマフシードを一度だけ見た。

 ヴァイス王国の主席魔導士として煌帝国に訪れていたのだ。当時の煌帝国は非常に小さく、紅炎もまたまだ皇太子でも何でもなかったため、本当なら会えるような人物ではなかった。

 まだ容姿だけなら10代後半だった彼女は、りんとした雰囲気を持った聡明な女性で、遠くから見た紅炎にも彼女は輝いて見えた。当時の皇帝が司法や歴史を勉強している甥の紅炎を彼女に会わせたのはただの気まぐれだっただろう。

 話せばすぐにわかったが、非常に頭の回転の速い、賢い女性だった。はそういう点で性格的には全く彼女に似ていない。だがその思いではどちらかというと、美しいものではなく、紅炎には苛立ちすら覚えるものだった。




 ―――――――――じじくせぇ趣味してんなぁ!




 彼女の従者とか言った男は、幼かった紅炎をけらけらと笑い飛ばした。それが不快すぎて、今でもマフシードとの出会いが忘れられない。ちなみに後からその男をマフシードはしこたま怒っていたが、彼は従者のくせにマフシードの叱責をものともしなかった。

 何らかの、特別な地位を持つか。もしくはマフシードにとって何らか特別な存在なのか。誰かは今もわからないが、紅炎は彼こそがの父親だったのではないかと疑っている。




「ふぅん。おじさんは、お母さんのことが好きだったの?」

「は?言っておくがマフシードは十歳近く年上だぞ。」




 紅炎はの質問に眉を寄せた。

 女相手に10歳年上というのは少しハードルが高い。そう思ったが、はそうでもないらしく、にこにこと笑うだけだ。



「それより、おじさんはやめろ。まだ20代だ。」




 髭と容姿はともかく、まだ紅炎は20代半ばだ。流石におじさんと呼ばれるには年齢がまだ若いと紅炎は思っている。

 それをわざわざ口にすると、紅明が吹き出した。



「でも私より10歳は年上だよね。」



 は満面の笑みで答えた。




「おまえ、前から言おうと思っていたんだが、俺のことが嫌いだろう。」




 ジュダルに対しては髪を引っ張られても、絨毯から突き落とされようとも、なぜだかジュダルにきちんと従うは、しかし紅炎に対しては存外厳しい意見を保っている。従順だとジュダルは言うが、少なくとも全くといって良いほど紅炎に対して従順ではない。

 は神官付きの巫女とはいえ、ジュダルに買われ、完璧にジュダルの寵姫扱いだ。それに甘んじる神経を持ち合わせているのに、紅炎に形式上、それでも正式になわけだが、娶られるのも嫌だというのは、感情的な部分が大きいとしか思えない。

 言うと、は目をぱちくりさせながら、小首を傾げた。




「うーん、かもしれない。でもなんでかな。」




 としても紅炎に何かをされた記憶はない。嫌みは言われているが髪を引っ張られたこともいじられたこともない。だが、どうしても紅炎に素直に従うのは嫌なのだ。頼み事も進んで聞いてあげようとは思わない。

 なのにジュダルには叩かれても、髪の毛を引っ張られても、まぁ良いかと思う何かがあるのだ。やはり存外主だとか、買ってもらったとか、それ以外の感情で、はジュダルのことを好ましく思っているのかも知れない。

 は紅炎のところにいながら、退屈だから、早くジュダルが帰ってこないかなと待ち遠しかった。








これまでとこれから