「何だよ。」




 ジュダルはセピーデフが二人での話を望んだことに驚きながら、むっとした顔で応じる。

 どうしてもジュダルはこのファナリスの女性が気に入らなかった。の両親の事情はわかったが、それでもやはり商人に彼女を売ったことが、どうしてもジュダルには許せなかった。愛情があるなら、最後まで戦えば良かったのだ。

 先ほどの実の父親の事を尋ねた時も、彼女は知っているのにはぐらかした。それがなにやら重大なことのような気がしたし、ジュダル自体も変な違和感があった。



「ありがとう。を買ってくれて。」



 セピーデフはジュダルにまず礼を言った。

 少なくとも芸妓となっていたを買い、普通の地位を与えたのはジュダルだ。それがどういう形であっても、を救ったことは間違いない。

 マギであるジュダルの地位の高さは、当然セピーデフにも理解できていた。



はあんたに会いたがってたんじゃねーの?」



 ジュダルは眉を寄せてセピーデフに言う。

 ジュダルがどんなに気に入らなくてもにとっては彼女は大事な母親だ。穏やかなの話の中に、セピーデフはたくさん出てくる。会いに行けないとは言うが、会いたがっていないわけではない。

 だが、それでもセピーデフは事実を理解していた。




「・・・私が生きていては、あの子の不利益になるわ。」




 そうでしょう?とセピーデフはジュダルに問うた。

 親族が生きているというのは、弱みがあると言うことだ。決してよい話ではない。煌帝国であれ、ヴァイス王国であれ、政治闘争は激しい。は何もわかっていないだろうが、親族というのは最大の脅しの手段なのだ。

 これから後、仮にセピーデフが煌帝国に行けたとしても、に対して言うことをきかせる駒とされるに決まっている。それはの未来を縛る行為だ。マフシードがファナリスたちを守るために国から逃れられなかったように。



「だな。」



 皇后の玉艶ですら、に興味を持っている。アルサーメンの者たちも今は黙っているが、何らかの形でに干渉してくるかもしれない。その時、が大切にしている血のつながらない親族の存在は、利用される可能性が高かった。

 の性格からしても、間違いなく母親を見捨てられない。

 ジュダルがをある程度監督し、庇護下におけると言っても、それは彼女がジュダルと同じように力をある程度持っているからだ。ファナリスとはいえ何の力も持たない上、呪いまで受けているセピーデフはの重荷になるだろう。

 どちらにしても長くない命ならば、が罪悪感を持たないうちに、そして誰にも気づかれないうちに、早く命を絶ってしまうしかない。ヴァイス王国や煌帝国に見つかって利用される前に。



「貴方は、家族はいないの?」

「しらねぇ。」




 気づいた時には、ジュダルには家族がいなかった。すでに幼い頃からいたのはアルサーメンのじじぃどもと、どうしようもない、マギという自分に群がる人間たちだけ。セピーデフはそれを聞くと目を伏せて、感慨深げに頷く。



「そう。・・・貴方があの子を迎えに来るマギだったのも、運命なのかしらね。」

「?」




 ジュダルが顔を上げたが、彼女はそれ以上言葉を紡ぐ気はないようだ。

 彼女はおそらく他のことも隠していることがたくさんある。それはもちろんのためでもあったが、他の人間のためでもあるように思えた。どちらにしても彼女はマフシードとの約束を必死で守り続けてきたのだ。

 のためでなく、マフシードのために。




「そうだ。この首飾り。なんだよこれ。」 



 ジュダルはから取り上げた首飾りをセピーデフに見せる。

 が唯一村から持っていたもので、鎖の先には立方体がついている。少し大きめはくすんだ色をしているが純金で出来ており、これを売るだけでも莫大な金になる。だが、その首飾りの裏には紋章が描かれていた。それはジュダルには見覚えのないものだったが、渡した本人であろうセピーデフなら知っているだろう。




「それはね。よくわからないけれど、生まれた時、が持っていたそうよ。」




 生まれたばかりのが手に握りしめていた、純金の小さな立方体。それをマフシードが持ちやすいようにペンダントにして、がいつも持っていたものだ。小さな立方体の中は空洞になっている高価な品で、作られた場所も、理由もわからない。立方体には文様が刻まれており、中の空洞にものを隠すことが出来るようになっている。




「中には、首席魔導士の印章が入っているわ。」




 セピーデフは苦笑して、それをジュダルが持っていることに困ったような顔をする。



「はぁ?あいつになんて危険なもん持たせてんだよ。」

「大切なものだと言ったはずなんだけど、貴方に預けちゃったの?」

「いや、俺が取り上げたけど、別にそれ以降返してって言うこともなかったぜ。」

「そうね。あの子はいつもよくわかってないものね。」




 セピーデフも母親だけあって承知のことらしい。セピーデフはジュダルからその首飾りを受け取ると、ジュダルに見えるように立方体の継ぎ目を回していく。するとかちりと何か音がなり、それをねじるようにずらすと、ぱかっと立方体が開いた。

 中には指輪の形をした印章が入っている。これが主席魔導士の印章ならば、煌帝国は重要なものを手に入れたことになる。ジュダルはその金色の印章を立方体の中に戻しながら、ため息をつく。

 ヴァイス王国の首席魔導士はマギが選ぶものだという。おそらく、マギが主席魔導士を選び、この印章を渡すのだろう。確かにこれはマフシードの忘れ形見でもあり、本来なら娘であり、次代の主席魔導士に選ばれたというが持つべきものだ。

 しかし、何故かジュダルはそれをに渡したくなかった。

 この印章は間違いなく己の母の形見としての傍にあるべき物だが、が持つべき物ではない気がする。




「ねえ、一つだけ、貴方に頼んでもよい?」




 セピーデフは穏やかにジュダルに問う。



「気が向いたら聞いてやるよ。」




 ジュダルは腰に手を当てて、そのままの首飾りを懐に入れた。偉そうな言い方にセピーデフは何かを思い出したのか目を細めて口元に手を当てて笑った。



「本当に貴方ってマギとは思えないわね。素直で結構。」



 娘と同じ年頃のジュダルがセピーデフにはどうしても子供にしか見えないらしい。それを感じてジュダルは不快になったが、彼女は気にした様子もなく、自分を落ち着けるように目を伏せて、改めてジュダルに目を向けた。



「あの子を人として死なせてあげて。」




 か細い声で告げると、ジュダルは眉を寄せた。

 それがにとって、同時に彼女と相反しながらも寄り添う運命を持つジュダルにとって、非常に厳しい願いであることを、セピーデフは承知していた。




「今はわからなくてよいわ。でも時が来ればわかる。あの子は、生まれながらに特別な子供だった。それを封じても、あの子は特別な子になった。だから、」




 十年にも及ぶ穏やかな村での生活のうちに、が生を終えてくれることを願った。マフシードに救われたすべてのファナリスたちが、魂に刻まれた近い故にそれを願っていただろう。少なくともの実の両親たちはそれを心の底から願っていた。だからのために迷いなく命を捨てた。

 だが、運命はやはりそれを許さなかった。そして今、はマギとともにいる。彼の与えた予言通り。

 ならばもうこれ以上生きていることの出来ないセピーデフが願うことが出来るのはジュダルだけだ。



「俺はマギだぜ。」




 ジュダルは手をひらひらさせて、セピーデフを馬鹿にしたように笑う。



「ま、一人くらいどうとでもなるだろ。」  



 ジュダルはマギだ。すべての生物から魔力を得て生きている。そのジュダルの庇護下にいる限りは、も大丈夫だろう。の一人くらいの一生を抱えるくらい、簡単だ。

 ジュダルの言葉は本心からのものだったが、セピーデフは酷く悲しそうな顔をした。




「・・・そうね。」





 掠れた声音とともに、そっと手が伸ばされる。ふわりと温かいものに包まれ、ジュダルは彼女に抱きしめられたのだと気づいた。

 いつもなら何をするんだと思っただろうが、何故かそれが心地よい。




「ごめんなさいね。貴方に多くのものを背負わせてしまう。」




 悲しいほどに、感情のこもった声だった。セピーデフは泣いてはいなかったけれど、その声は泣いているように震えていた。



「馬鹿じゃねぇの?俺はマギだぜ。」




 何を大げさに、そんなことを言っているのだろう。背負っているものなどすでにたくさんありすぎて、そして何もなさすぎて、ジュダルはすでにがんじがらめになっている。だから、を背負うなど別に難しいことではない。

 だが、本当の意味を、ジュダルはまだ知らない。




「さぁ、ここにあまり留まっていてはいけないわ。」



 穏やかにセピーデフはほほえみ、ぽんぽんとジュダルの背中を叩く。そんな対応をされたことのなかったジュダルは目をぱちくりさせたが、その戸惑いすらも見透かしたように、彼女はジュダルを白瑛たちが待つ外へ通しだした。





「本当にありがとう。貴方に会えて、よかった。」



 セピーデフは洞窟の奥へと戻っていく。その後ろ姿は小さく、悲しそうだったが、それでもしっかりとした足取りで奥へと向かっていった。




幻想の夢と現実