白瑛とその従者の青舜、そしてジュダルが帰ってきたのは一週間後の随分日も暮れた夜中過ぎのことだった。紅炎は未だに仕事がたまっているのか紅明とともに話し合っており、それをはぼんやりと長いすの上で毛布にくるまりながら眺めていたが、部屋に入ってきた白瑛とジュダルを見て、慌てて身を起こした。




「貴方の母君は、元気でしたよ。ただ、故郷に帰るとおっしゃっていました。」




 白瑛は少し早口でそう言った。




「お父さんは元気だった?」

「・・・いろいろあったようで、今はおられないそうでした。村の方々も一足先に故郷である暗黒大陸に旅立たれたとか、」



 白瑛はにっこりと笑う。青舜もそれは同じだった。




「そっか。でもお母さんたちの故郷かぁ、見てみたかったな。」




 は目を細めて言う。

 暗黒大陸に行くのでは危険もあるし、道のりも険しい。きっとを連れて行けないから、を村から出したのだろう。あそこにいる人々は皆赤い髪をしていたが、は違ったから、仕方がないことだろう。

 は納得して、小さく頷く。だから白瑛の曇った表情には全く気づかなかった。




「あーっ、たりー!」



 ジュダルは何の遠慮もなくの隣にどさっと腰を下ろす。




「そういえばどうしてジュダルはついて行ったの?」




 もともとジュダルはがどこから来たかに興味を持っていたようだったが、それでもまさか白瑛についての生まれ育った村に行くとは思わなかった。




「馬鹿を育てた奴の顔でも見に行こうと思って。」



 ジュダルはの今日は三つ編みにされている白銀の髪を掴んで、ぺしぺしとの頬をそれで叩く。




「馬鹿じゃないよ。人のことを馬鹿って言う人が馬鹿なんだよ。」

「おまえも言うようになったな、口答えすんなよ。」




 ジュダルは髪の毛を引っ張ってをカウチから引きずり落とす。




「いたたたた、」




 はそのままカウチから落ちて、絨毯の上に座り込むことになった。



「ふたりとも、あまり暴れないでくださいよ。」



 紅明がふたりのやりとりを見て酷く困った顔で言う。

 ここは一応紅炎の執務室を兼ねた部屋だが、もう夜だ。部屋には書類仕事をする紅炎のために蝋燭がともされている。暴れて蝋燭を倒せば大惨事だ。




「つまんねぇの。」




 ジュダルは一つ欠伸をして、の腕を引っ張ってカウチに引きずり戻した。




「あ、ありがとう。」




 足が悪く立ち上がれないは、素直に引きずり落とした張本人に礼を言う。



「南からの道は、通れそうだったか?」



 紅炎は白瑛に問うた。

 白瑛がどういった心持ちでの村に足を進めたのかはともかく、少なくともヴァイス王国の村に入ることが出来たと言うことだ。南の道は中央の平原よりも軍が少なく、侵入もしやすいと言うことになる。




「・・・たくさんが通れるというわけではなく、森になっていましたが、ある程度道が出来ていましたので。」



 白瑛はすっきりしない表情で目を伏せて答え、それからの様子を窺うようなそぶりを見せた。だがの方は引っ張られた髪の毛が痛むのか、自分の白銀の髪を抱えて撫でている。

 紅炎は先ほどからの白瑛の態度からただならぬものを感じ、話題を変えた。




「結局、彼女がマフシードの娘だという証拠はつかめたのか?」

「証拠というわけではありませんが、はマフシードの娘で間違いないようです。」




 白瑛はこれに関しては即答した。

 証拠と言うべきものはない、だが少なくとも育ての親である彼女が言っていたのだから間違いはないだろう。狙われるというのに嘘をついても仕方がない。紅炎は白瑛の表情から何があったかある程度察したのか、それ以上は聞かなかった。




「あ、そうです。これを貴方のお母様から預かってきました。」




 白瑛は慌てた様子で自分が抱えていた袋の包みを解く。そこには少し大きめの八角形の木造の箱が入っていた。



「お茶だそうなんですが。」



 白瑛は躊躇いがちににそれを渡す。




「これ、飲んだの?美味しかった?」

「まぁ、・・・母君も貴方があまり好まれないかとおっしゃっていました。ただ甘い香りのする葉もいただきましたよ。」




 が尋ねると、白瑛は微妙な顔をした。

 村で作られていたこのお茶は、煎じて飲むと独特の味がしてあまり美味しくない。母は好きだったが、がこれをそのまま飲むことはなかった。ただ甘い香りのする葉を追加で入れると飲みやすかったのを覚えている。ただ母はそれが嫌いでそのまま飲むのが好きだった。

 少なくともこれを持って帰ってきたと言うことは、彼女に会うことが出来たのだろう。




「ジュダルもお茶飲んだの?」

「くそまずかったぜ。」



 ジュダルは嫌そうな顔で眉を寄せる。いつも母はもてなし代わりにこのお茶を客人に出していたから、彼も飲んだのだろう。




「だよね。お母さんが好きだからって毎朝飲まされてたんだよ。」




 はお茶の葉をのぞき込みながら小さくぼやく。

 幼い頃からこれが苦手だったのだが、母は何かとこれをに飲ませたがったのだ。体が丈夫になるとか、足が動くようになるとか、なにやらよくわからない理由だったと思う。



「それは、なんだ?」





 紅炎の方がの持っている茶葉に興味があるらしい。うずうずした様子での持っている茶葉を凝視していた。



「おじさん、お茶なんかに興味があるの?」

「じじくせ。」



 の言葉にジュダルが一言いらない言葉を付け足す。




「違う。文化に興味があるだけだ。」




 紅炎はあまりの言い方に眉を寄せたが、そんなことを恐れるようなジュダルでもなく、鼻で笑った。




「文化、っていわれれば、そうなのかな。でもあまりこのお茶、美味しくないよ。」




 はそう言ったが、一応、部屋の外に控えている女官を呼び、女官に煎じ方を教える。ついでに飲みやすくするための甘い香りのする葉っぱもつけておくように指示した。あれがないとですらも飲みにくい。




「構わん、」




 紅炎はぶっきらぼうに言ったが、目は好奇心で輝いている。




「私もいただいてよいですか。」





 紅明も興味津々で女官に言う。女官は皇太子と皇子からの命令に慌てた様子で茶葉を持ち、茶器をとりに部屋を出て行った。




「美味しくないって言ってるのにね。」




 はぽつりと言って、近くのテーブルにあった桃の皮を剥きはじめた。

 今日も恐ろしいほどの食事を食べていたのに、まだお腹がすいているらしい。慎重に桃の柔らかな実を傷つけないように剥く。丁寧なその動作は、傷つきやすい桃を気遣っておそるおそるだったが、むき終わる頃にそれをジュダルが取り上げて口に入れた。




「あー、どうしてとるの?」




 は抗議としては随分とのんびりと不満の声を上げて、桃でべたべたになった手を所在なさげにふらふらさせる。




「別にもう一個むけば良いだろ。」




 ジュダルはどこ吹く風で返す。はそれを少し不満そうに見ていた。だが、いつも通りのやりとりが切なくて、白瑛は背中を向ける。




「私は失礼して、休みますね。」




 短く退出を告げると、紅炎は止めなかった。




「あ、白瑛。ありがとうね。」




 が明るい声で笑って声をかけてくる。声が震えてしまうのではないか、不安で、白瑛は何も答えることが出来ず部屋を後にした。







これまでとこれから