ジュダルと白瑛が宮廷に戻ってきても、の生活自体は前とあまり変わらなかった。かわったことと言えば、軍務に忙しい白瑛が時々土産や贈り物を持ってやってきてくれるようになったことだ。
「すごい良い竪琴だね!」
は白瑛が部下の青舜とともに持ってきたそれを見て手を叩いて喜んだ。
故郷には伝統の楽器として竪琴があり、はそれをよく演奏していた。遊郭でも数ヶ月の間であったが、その技術は非常に役立った。ジュダルに買われた後も竪琴自体は与えられていたが、ジュダルは歌の方が好きなので、竪琴を弾く機会は減っていたのだ。
「えぇ、貴方は竪琴が得意だし、この竪琴はとても良いものだと聞いたので、是非と思って。」
白瑛はの反応がおおむね満足だったのか、にっこりと笑ってそれをが座っているカウチの上に置いた。はそれに手を伸ばしていくつかの弦を弾く。きちんと調律してあるので音のずれもなく、ぽろんと柔らかで弾んだ、とても澄んだ音がした。
一音、一音と、音に導かれるように軽く指を弦の間で転がせば、軽やかな旋律ができあがる。白瑛の目が柔らかに細められた。
「これ、とびっきりの竪琴だよ。音が良いし、とても弾きやすい。」
「そうなの?私にはわからないのだけれど、」
良い品を買ってきたのは間違いないが、それでも白瑛にはが奏でる音が美しいと言うことはわかっても、それ以上のことはわからない。特に竪琴のことは詳しくなかった。ただが言う限り間違いないのだろう。
「うん。今までで一番いい音だし、良い弦だよ。」
が村にいた頃も竪琴を持っていたし、遊郭でも、宮廷の舞手のための楽士だった時も竪琴は与えられていたし、他の楽士や芸妓が持っている竪琴も見ていたが、形は似ていてもこの竪琴はその時のものよりも断然音が良い。もちろん遊郭にいた時のものなど比べものにもならない。
「でも良いのかな?こんなものもらって」
きっと値も張ったことだろう。は申し訳なくて白瑛を窺うように見たが、彼女は首を横に振る。
「えぇ、私にはこれぐらいしか出来ないから。」
白瑛は少し悲しそうに言って、の隣に座った。女官たちがそれを見計らったようにお茶とおやつを運んでくる。は彼女を眺めながら、竪琴を奏でた。
ジュダルがちょうどいない時に、白瑛ははかったようにやってくる。おそらく女官たちが、ジュダルがいないことを白瑛に知らせているのだろう。またジュダルと鉢合わせることも少なく、大抵彼が帰ってくる前に彼女が帰ることも多かった。
もしもヴァイス王国に出兵することになれば彼女が軍を率いるので、今も白瑛は首都の駐屯地に留め置かれている。
煌帝国は正式にヴァイス王国に対して、主席魔導士であるの身柄の保護を発表し、また主席魔導士としてのの権利を保障するように通告したらしい。国王側からは何の返答もなかったが、議会側からは首席魔導士の権限についての話し合いのため、一度に会わせて欲しいと連絡があり、数日以内に使者が訪れる予定だ。それに同席しなければならないとジュダルがぼやいていた。
とはいえの周囲は警備が厳しくなったとはいえ、それほど変わっていない。
ジュダルとともに日々部屋で過ごし、彼が出かける時は絨毯に乗って彼について行く。たまに部屋に来てくれる白瑛とお茶をする。夜も相変わらずジュダルに抱かれる時もただ寝る時もあるが、どちらにしても変わっていない。
部屋の外の警備の強化など、ジュダルなしに外に出ないにとって何ら関係ない。
「何か不自由はない?」
白瑛は毎回来るたびに決まってにそう尋ねる。
「ないよー。ジュダルが少し優しくなったかな。」
が笑っていうと白瑛は複雑そうな顔をした。最近気づいたのは、彼女があまりジュダルが好きではないらしいということだ。でも、は彼のことをどちらかというと好ましく思っているので、彼女の気持ちはよくわからない。
それに、の母親に会ってから、ジュダルは優しい。
もちろん今まで通りの髪を引っ張ったりはするが、カウチから落とされたり、髪の毛を持って引っ張られたまま床を引きずられたりすることは全くなくなった。それにたまにを抱きしめてくれるようにもなった。
抱きしめてもらうのは、温かくて、ほっとするから好きだ。
「本当に不満なんてないんだよ。」
白瑛が心配するほど、の生活は何も変わっていない。
やってくる他の国からの使者なども、ジュダルの部屋まではやって来ることが出来ない。が会うのは今までと変わらず何人かの女官と、何人かの武官、あとは白瑛くらいのものだ。勝手に外に出てこっぴどく怒られたこともあるので、ジュダルがいない時に外に出ることもない。
の部屋は、ジュダルの部屋でもあるこの広いようで狭い、鳥籠の中で満足して生きている。
ごくごくたまに紅炎が様子を見にやってきたが、それもにそれほど関係のある話ではなく、は馬鹿なのであう会話もないのですぐ彼も帰っていった。玉艶がたまにお茶に呼んでくれることもある。
白瑛も随分との生活を気にしてくれているようだが、元が無欲であるにはそれほどこの生活に不満もなかった。
改善点があまり思い当たらないくらい、困っていない。
「何かあればすぐに言って頂戴。私がなんとかするから。」
白瑛はの手を握って真剣な表情で言う。
「うん。でも何もないよ?」
は至って普通に返した。本当に不満なんて何もないのだ。
「そうだね、うん、白瑛が来てくれると嬉しいな。」
「・・・それは…もちろんよ、」
白瑛はの言葉に眼を丸くしたが、恥じらいをごまかすように目を伏せた。はそれにまったく気づかずにこにこ笑う。
にとって面倒見の良いお姉さんだと思っていたが、本当に白瑛はとても優しい人だ。見ず知らずのにも優しくしてくれて、の母のところまで無事を確かめにも行ってくれたし、今日は竪琴まで持ってきてくれた。
心得た大人などで女性の体のことや服なども気にしてくれていて、も女官よりずっと相談しやすくて助かっていた。
は紅玉とも顔見知りだが、紅玉は生憎皇女の中でもそれほど身分が高くないらしく、女官たちをすべて退けることは出来ない。それに対して第一皇女であり、今の皇后の娘である白瑛には女官たちもなかなか逆らえないのか、渋りながらもジュダルの私室であるこの部屋に白瑛を入れていた。
ジュダルも悪態をつきながらも黙認している。
「もっと外に出られれば良いのに。」
白瑛はぽつりと歯がゆそうに言う。
ジュダルの許可なしにはこの部屋を出ることが出来ない。紅玉がを勝手に外に出してジュダルの怒りを買った話はすでに白瑛の耳にも入っており、そう言った時が酷い扱いを受けることも聞いているため、外にまでは連れ出せない。
だが、はそれを別に不満に思っていなかった。
「確かに外にはあんまり出られないけど、ここは全部そろっているよ。」
鳥かごの中だったとしても、はこの中しか知らない。だから不満に思うことも少ない。
同じ鳥かごでも遊郭というのは酷いところで、はまだ幼く、芸妓だし、夜とぎを命じられることもなく、罰もせいぜい食事を与えられない程度だったが、逃げだそうとして折檻を受けていた女郎を見たことがある。
体を悪くしたまま、それでも体を売るしかないものや、客に病気をうつされ、病に伏してしまった女郎など、いくらでもいた。金ばかりを持つ年寄りたちに暴力を振るわれるそのまま死んでしまう女郎もいた。下手をすればいつの間にかいなくなっていて、殺されてしまったと噂になることすらもあった。
それに比べれば、ジュダルはに過分なくらい与えてくれている。
村にいた頃ももちろん楽しかったが、はジュダルの元がそれほど悪い場所だとは思っていない。最近ではジュダルがに酷い扱いをすることも減っている。せいぜい戯れに髪の毛を引っ張るくらいのものだ。
「・・・ヴァイス王国の国王派が貴方を暗殺しようとしているという話を聞いているわ。」
白瑛は真剣な顔での手を握る。
「食べ物に毒を盛るなどの方法もあるの。だから、くれぐれも油断してはならないわ。」
が食いしん坊なことは女官たちも承知していることだ。もしかしたらを殺そうとしている人々は魔導士であり、また金属器使いでもあるを毒殺しようともくろむかもしれない。体の中から来る毒には、誰も対処できないのだ。
ジュダルや白瑛、紅炎もの身辺には気をつけているし、暗殺者を捕らえてもいるが、が偶然暗殺者に会う可能性は否定できない。
「ん?でも聞いたことないよ。」
は白瑛の手を握り返したが、不思議そうに首を傾げる。
今のところに直接会うことの出来た暗殺者はいない。なぜならこの離宮の周りにはジュダルが強力な結界を張っており、あらかじめ許可されている人間しか入ってこられない。最近ジュダルが出かけているのは、暗殺者の撃退のためでもあった。
だが知らないは無邪気なものだ。
「白瑛は真面目だね。でも心配しすぎかな。」
いつも通り明るい笑顔では返す。それは何も知らないからだが、それでも白瑛はその笑顔にほっとした。
白瑛が何でも一人で出来るようにと育てた、今となっては少し頑なな弟とは違い、は自分で何も出来ない。知ろうとしない。なんの悲しみもろくに知らず、優しい育ての親の元で穏やかに守られて育ってきたは、酷く白瑛には弱くて危うく映る。
それは白瑛自身の後悔を反映するように、彼女が壊れてしまうのではないかという危惧を抱かせる。
「えぇ。そうかもしれない、でも。」
白瑛はこの小柄で頼りない少女のことが、心配でたまらなかった。
変わらぬ揺り籠