を攻撃し、ジュダルに瞬殺されたフィルーズが捕らえられている牢にとジュダルが行ったのは、ヴァイス王国の使者が来ることが決定してからのことだった。

 一応神官付きの巫女を襲ったと言うことで拘禁されているが、政治的な事も多分に含まれるため、罰されるまでには未だ至っていない。処分保留と言うことだ。

 紅炎が尋問したところによるとフィルーズは名門の魔導士の家系・スールマーズ家の一員で、の母方の従兄にあたる。ヴァイス王国の国王に両親を人質に取られて仕方なくを殺そうとしたと言う。




「やっぱ同じ銀髪だな。」




 ジュダルはフィルーズと見慣れたを比べて、ふむと一つ頷いた。

 年齢と性別は違うが、銀色のくせに目に鮮やかな明るい色合いの髪がそっくりで、同時にそれはスールマーズ家の特徴でもあるのだという。

 スールマーズ家はかつて大王を選んだマギの生家であり、誰もが知る魔導士の名門だ。いくつもの分家が存在するが、魔法に関する知識と教育は一級品で、未だに各国の宮廷魔導士の多くがスールマーズ家出身だった。

 のマギと似た特殊な力も、かつてマギを輩出したスールマーズ家の先祖返りだと言われれば、前例はないが納得できる部分がある。

 この牢は特殊で、閉じ込められた魔導士の魔力を制限している。そのため、牢の外にいるが攻撃を受ける心配はない。牢の前には足が悪いのために椅子が置かれ、後ろにジュダルが立っている。それ以外の同席者はいなかったが、マギのジュダルがいる限り危険はなさそうだった。



「・・・うるさい。」



 フィルーズは一言でジュダルの言葉を切り捨て、をにらみつける。その青色の瞳には間違いなく憎悪がにじみ出ていて、はびくりと肩を震わせた。



「うわっ、情けねぇ奴。負けて牢に入って、まだ偉そうに言うわけだ。うぜぇ。」



 ジュダルは軽い調子で悪態をついて、を見下ろす。彼女は襲われたわけだし、怯えているかと思ったが別にそういうわけでもなさそうで、けろっとした顔で、不思議そうな色合いを宿した翡翠色の瞳をフィルーズにただ向けていた。



「ええっと…、おじさんから、家族が人質に取られてるからわたしを襲いにきたって、言われたけど、」




 フィルーズがヴァイス王国の国王に命じられ、家族を人質に取られたためここにきて、を襲った。そう言った事情を紅炎に聞いたジュダルがの耳にも入れたので、ある程度はわかっている。そのため、別にには彼自身に対する負の感情はないようだった。



「…」




 ジュダルはの細い肩に自分の手を置く。するとはふっと視線を上げ、ジュダルを見てふわっといつものように柔らかい笑みを浮かべた。



「大丈夫。ジュダルが助けてくれたから、こわくないよ。」




 としては、フィルーズが自分を殺しに来たという話はきちんと聞いていたが、別にそれほど怖いとは思っていなかった。というのも、現実味がないからだ。それに、に攻撃する前にジュダルに倒されたから、攻撃されるかも知れないと言う恐怖すらもあまりない。

 しかし、フィルーズは青い瞳にまっすぐな憎しみを乗せてを睨み付けてきた。



「国王の命令じゃなくても、俺はおまえなんか大嫌いだ。」



 初めて突きつけられる憎悪に、はびくりとする。彼女の戸惑いがわかり、ジュダルはを宥めるように頭を撫でてやった。



「おまえさえいなければ俺が魔導士として、家を継ぐはずだったんだ!」



 スールマーズ家を継ぐはずの子供は、が生まれるまではフィルーズだった。彼はの母、マフシードの兄の息子であり、マフシードが偶然ヴァイス王国の主席魔導士に選ばれたとはいえ、家督はフィルーズの父が継いでいた。ましてや本来主席魔導士は世襲ではなかった。

 なのに、が“特別な力を持った子供”だったことで、大きく事情は変わった。



「父さんも母さんも、おまえのために死ねと僕に教えてきた。おまえは特別な子供だからって!」



 フィルーズはぐっと拳を握りしめる。

 特別な子を守るために、仕えるために命を張れと、改めて決められていた運命。それを彼は心から憎く思っていたのだろう。ふわりと漆黒の鳥があたりに舞い、は翡翠の瞳を瞬かせる。それはたまにジュダルや、玉艶の傍で見るそれだった。

 が持つ金色の鳥を、漆黒が押しつぶす。



「挙げ句、父さんたちは、捕らえられた時ですらおまえの心配をし、守れと言っていた!」



 彼にとって、両親の一番が自分ではなくであるという運命が何より許せなかったのだ。だから彼は運命を憎み、を憎んでいる。確かに両親を人質に取られたからを殺しに来たのだろうが、一部ではを疎ましく思っていたというのも本心なのだろう。



「おまえが何をしてくれるんだよ!どんだけ偉いんだ!!」



 は彼に会った記憶がない。一緒に育ったこともないだろう。記憶にもないくらいだから、従兄弟だという彼にがしてやったことなど皆無だろう。彼の両親に対しても同じだったと思う。それでも彼の両親にとっては何らかの形で特別で、守るべき存在だったのだ。

 魔導士としての力がなくても、マフシードの娘で、次の首席魔導士だから大切な存在。に何も出来ないのに、定められた運命がフィルーズよりを優先する。それはあまりにも理不尽だったし、受け入れがたいことだった。

 に対する憎しみは、の知らないところで、彼の過去から積み上げられてきたものだった。ただそれは、には至極当然のもののように思えて、少し考えてから、口を開く。



「そうだね。」



 は彼の言葉に促されるように、あっさりと同意して大きく頷く。



「はぁ?」



 突然の同意に、何に対して同意したのかがわからず、フィルーズは勢いを失って呆然と口を開いた。サジュダルですらも首を傾げて「は?」とぽかんとした顔でを見下ろしたが、彼女の表情は珍しく真剣そのもので、ジュダルの方が驚く。



「あなたたちのお父さんたちの言うことは、間違いだよ。」

「・・・ど、どういう意味だ、」

「命は誰でも、一つだよ。誰の命も、一緒じゃないかな。」



 誰かを守ると言えば聞こえは良いが、誰の命も一つだ。誰かを命をかけて守ることなど、本来ならあってはならない。それでも誰かに自分の思いを託したいからと、命をかけて誰かを守る。だがそれは、大切な人のためにと、納得できる大きな意志があるからだ。



「その命をどう使うかは、誰かに強制されるべきものじゃなくて、貴方が決めるんだよ。誰かが決めるんじゃない。だって、貴方の命はわたしのと同じくらい、とても大切なものだから。」




 仮にもしだれかのために命を賭けるとしても、それは決して他人が強制して良いものではない。命は誰もが一つしか持たないもので、一人のそれは尊いもので、同時にちっぽけなものだ。それをどう使うかを選ぶのは、自分でなくてはならない。



「誰かのために誰かが死ななくちゃいけないとか、そういうのは間違ってるよ。」



 には何もわからないけれど、それだけは確信を持ってはっきり言うことが出来る。誰かの命を犠牲にし、誰かに強制してまで守らなければならない命なんて存在しない。例えそれが才能を持つ人間だったとしても、人間が人間である限りは命の価値は、同じだ。



「貴方も、貴方のお父さんたちも、わたしのために死ぬ必要はないよ。」



 はあっさりとフィルーズにそう言った。フィルーズは青い瞳を見開き、呆然とした表情でを見て、掠れたように唇から戸惑いの声を漏らした。



「・・・え・・・」

「え?」



 フィルーズの驚きに、の方が首を傾げる。



「・・・普通、価値ある奴のために命を捨てるだろ?」



 フィルーズはある意味で、のために命を捨てろという両親の言葉に、心のどこかで納得していたのだ。特別なは自分より価値がある。だから彼女のために命を捨てるのは、当然だと。

 そして、だからこそ、自分の望まなかったその運命を憎んだ。

 それをあっさりと自身に否定され、戸惑いのまま掠れた声でフィルーズは問う。



「どうして?だって、玉艶さんだって、皇族だからって耳が百個あるわけじゃないって言ってたよ。わたしと貴方はなにか、違うの?」



 はフィルーズの言葉の方が不思議だとでも言うように首を傾げる。その無邪気すぎるほどに澄んだ翡翠の瞳には一片の嘘も含んでおらず、フィルーズはどう返したら良いのかわからなかった。



「・・・なんなんだよ、おまえ・・・」

「わたしは、だよ。」



 は、ただのだ。どこにいても、誰になったとしても、それだけは間違いない。フィルーズはあまりにもはっきりした彼女の態度に、言う気力すらも奪われたのか、大きなため息とともに俯くことしかできなかった。



「それじゃ僕は何のためにここまで来たんだ・・・父さんたちが生きてるかもわからないのに・・・」



 フィルーズも若いとはいえ、もう成人している。

 国王の言う通りにを殺したとして、人質に取られていた両親が生きて帰ってくるなんて甘い夢は抱いてはいなかった。国王は非常に残酷な人間であり、そもそも人質と言いながら既に両親は殺されている可能性もある。

 それに仮にを殺したとして、を殺せば議会は黙っていない。

 を殺して議会に殺されるか、を生かして国王に殺されるか、どちらにしてもフィルーズの行く道などなかった。ならばを殺して、この運命に復讐してやろうと思ったのだ。



「この人のお父さんとかって、助けられないのかな。」




 はうなだれるフィルーズを見て目尻を下げ、ジュダルの方を見上げて尋ねる。




「一応紅炎に圧力かけるようにダメ元で言ってみるけど、相手の国のことはわかんねぇぞ。」




 ジュダルは実にまっとうな意見を返した。

 もうすでにフィルーズの両親がヴァイス王国の国王に殺されているならどうしようもないだろうが、煌帝国が首席魔導士であるを利用するつもりで、の親族であるスールマーズ家の人間に興味を示せば、ヴァイス王国側は人質や交渉に使ってくることはあるだろう。

 今生きているならば、これから殺されることは絶対にない。

 とはいえそれは、あくまで殺されていないならば、という話だ。すでに殺されているならば、それを全力で隠蔽するか、宣戦布告のようにわざわざ首を送りつけてくるかのどちらかだろう。どちらにしても、フィルーズにとっては悲しい事実だし、彼がどうこうできる問題ではない。

 ヴァイス王国の議会派がを通じて煌帝国と結びついた今、国王にとって煌帝国は敵に他ならないのだから。




「でも、チャンスがあるならないより良いよね。」




 はにっこりとフィルーズに笑う。



「・・・すまない。」



 フィルーズはに頭を下げた。ぼろぼろと伝う涙をこらえることすら出来ない。結局に何の価値もない、彼女のために命を捨てるなんて、意味がないと、彼女は何もしてくれないと恨みながらも、結局フィルーズは彼女に頼るしかない。

 そのことがフィルーズにとって何よりも悔しく、それを認めるしかない自分の無力さが悲しかった。









小さな灯り