ジュダルがの従兄弟に当たるスールマーズ家のフィルーズに会いに来たのは、別に遊びではなかった。話が終わり、を後から来た白瑛につれて行かせたジュダルは、椅子を反対に向けて座り、背もたれに頬杖をついてフィルーズを見やる。
「なぁ、が特別な子供って、どういうことだよ。首席魔導士になるって予言を受けてたからか?」
ジュダルが知りたいのはそこだ。
はマギのジュダルの目から見ても変だ。ルフを見る目を持ち、莫大な魔力を抱えており、防御魔法も使える。所謂生まれながらの魔導士という奴だ。にもかかわらずは魔導士と相性が悪いはずの金属器を保持している。
の育ての親であるセピーデフの話が正しければ、は人として生まれており、魔導士としての力はなかったのだという。ならばなおさら、人間のをどうして迷宮に落として殺そうとするほど、ヴァイス王国の国王は恐れたのだろうか。
単純に主席魔導士になる人間だと予言を受けていたからなのだろうか。
の金属器はマギであるジュダルの呼びかけにすらもまったく答えようとはしない。唯一出てきたのは玉艶を襲った時だけだ。自身もジンと会ったことはなかったらしく、青色の化け物が出てきたと表現していた。
幼かったせいでいまいち覚えていないと言うこともならありそうだが、どちらにしてもが何者なのか、を庇護下に置く身としてはジュダルも知っておきたかった。
「・・・確かに、は魔導士としての力が全くなかった。ルフも見えなかったしね。」
フィルーズは目を伏せ、小さく息を吐く。
「見えていなかった?」
ジュダルは眉を寄せて彼の言葉を反芻する。
今、は完全にルフが見えている。魔導士としての力もうまくはないが、十分にある。周囲から魔力を得ることもあり、マギと似たような力を保持している。だが、フィルーズは、が当初、魔導士としての力はなかったという。それは大きな矛盾だ。
だが事情を知らないフィルーズは、ジュダルの戸惑いも知らずにそのまま続ける。
「でも、なんでかわからないけど、元々、歌を歌って、治癒をする力があったんだ。そりゃ、物心ついた頃からね。特別なのは、そこだけ。それ以外は本当に、普通のこともだったんだよ。」
他人を攻撃するような力ではない。確かにその治癒能力は魔法と言われるものだったが、はそれ以外の魔法は使えなかったし、ルフも見えていなかった。小さな特別。誰も攻撃できない、何の影響力もない小さな存在だった。
でもそれは、政治的な影響力を含んで大きくなる。
「どちらにしても、政治的な理由で、は意味があった。マフシード様はいつも議会側にお立ちで、国王と対立していたから、はある意味で旗印の一つだったんだ。」
の母・マフシードは首席魔導士で、常に国王と対立していた。
ヴァイス王国において首席魔導士は司法を、議会が立法を、そして国王が行政を司るのが常だが、国王の行政には横暴が多く、議会と対立するのが常だった。そして司法を司るマフシードは常に議会の側につき、国王と争っていた。
娘のが特別な力を持っていたとしても、いなかったとしても、マフシードの意志を継ぐ可能性があり、予言で魔導士の力すらないのに次期首席魔導士に定められたは、国王にとって疎ましいものだった。一方でマフシードの後援者や議会にとっては歓迎すべきもの。
元々司法権の首席魔導士の選定はマギに任されており、それ以上でも以下でもなく、歴史上魔導士でない人間が継いだ例もあったからだ。
「それに、あの子は足も悪いのに、最年少で金属器を持って帰ってきた。…彼女は馬鹿なくせに人に慕われる性格でね、確かに王にふさわしいんだろう。」
王の資格がなんであるのか、フィルーズにはわからない。そして誰もが想像する王というのはカリスマ性があり、聡明で、誰よりも強く賢いというのがセオリーだろうと思う。
だが、は幼い頃から、あまり賢くなかったし普通だった。他人を治癒できる以外は、拍子抜けするほどに考えは甘く、難しいことには興味がない。首席魔導士になるとの予言を受けていながら、魔導士としての力はその治癒能力以外はほとんどない、よく言うならば他人より少しのんびりした子供だった。
だが、彼女はその穏やかで危なっかしい性格によってたくさんの人を周りに集めていた。彼女ののんびりとした話し方は、何故か心地が良いのだ。いつの間にか弱くて甘い彼女の周りには彼女を心配する人々が集まり、無邪気に笑うの傍にはいつも人が絶えなかった。
そう、は優秀だという形で人を集めるカリスマ性ではなく、自分では何も出来ない、頼りないというそれをもって、人を集めていた。それは皆が想像する王とはまったく異なる形。
だが、どちらにしてもそれは国王にとって恐るべき“資質”であり、フィルーズの両親の目にもそれは特別に映った。そしてなにより、彼女は偶然国王に落とされた迷宮で、それが“王の資格である”と認められたが故に、金属器を持って帰ってきたのだろう。
期待されてきたフィルーズにとって、彼女が特別で自分が彼女より劣ると言うことは受け入れがたいものだったが、当然だと心のどこかで感じてしまうほどに、の周りにはいつも人がいた。がすごいのではない、彼女の周りに集まっていた人々がすごかったのだ。
まだ幼かった彼女に引き寄せられた人々は、を心から信奉した。彼女が魔導士かどうかなど関係ない。人を集める力こそが、王の“資格”なのだというならば、彼女はまさに王の器にふさわしいのだろう。
「国王は、予言を恐れてるんだ。王位を簒奪されるかもしれないと思ってる。」
フィルーズは自分の体を抱きしめ、ぶるりと震える。
―――――――――運命が守れば汝らが子は繁栄をもたらす、運命から逃げれば子は滅びを連れてくる
を首席魔導士に指名した時、シェヘラザードはそう告げた。まだが母親のお腹の中にいるときだ。確かに当初には魔導士としての力はなかった。予言も所詮は不確定なものだとされた。
しかし、その予言はが迷宮を攻略し、王の資格である金属器を手に入れたことによって現実化した。
国王であるヴィルヘルムは残酷で狡猾な人間だ。ファナリスに殺された先代の国王も酷かったが、彼は幸い粗野だった。今の国王は残酷で狡猾、しかも慎重な人物で、処刑や人の心を操るような方策も、平気でとってくる。
だからこそ、国民の大半の支持を得ている議会もなかなか手を出せないのだ。
「ま。このまま行けば。その通りになるだろうけどな。」
ジュダルは腕を組んで、息を吐く。
ヴァイス王国の議会派は自治権を認めてくれるならば、煌帝国の属国となっても良いと言っている。国王は廃されるだろう。おそらく政治を煌帝国が、立法は議会が、そして司法は主席魔導士が担う国になる。煌帝国とヴァイス王国を結びつけているのがだと言うことを考えれば、まさにに墺伊を簒奪されるという国王の懸念は当たっていると言えた。
「なぁ、が特別だって言われたのは、本当にそれだけなのか?今のはマギに似たような力があるんだけど、スールマーズ家にはさ、みたいにマギに似た力を持った奴が生まれてきたことはねぇのかよ?」
ジュダルはフィルーズに問う。
はあたりのルフから力を得る時がある。僅かだがそれはマギにしか出来ないはずの力だ。スールマーズ家はかつてマギを生み出した名門の魔導士一家であり、先祖返りのような形でそう言った例があるのかもしれないとジュダルは考えていた。
「マギの子供たちにはそう言った例があるって聞いてるけど、それはマギの子供だけで、それ以外はまったく。それには、魔導士じゃないだろう?」
スールマーズ家のマギがいたのは、もう数千年も昔の話だ。
子供たちは力を持っていたという話がある。だがそれ以降、優れた魔導士は輩出したが、マギと似たような力を持つ人間がいたなどと言う前例は全くない。
「ガキの頃、は本当に治癒能力以外、魔導士としての力はなかったんだな?」
ジュダルは確認するように尋ねる。
「治癒能力以外はね、少なくともルフは全く見えていなかったよ。…今は違うの?」
フィルーズは訝しむようにジュダルを見ていた。彼の表情から嘘は見えないし、嘘をつく意味もないだろう。
彼の知っている昔のに、魔導士としての能力はなかったのだ。
「じゃあ父親の方はどうなんだよ。あいつの父親は。」
「・・・のお父さんだった人の素性はよくわからないけど、なんか傭兵だったよ。とはいえのお父さんについては、見た目ぐらいしか記憶がない、詳しくは…」
ジュダルが聞きたいのは父親の素性だろうが、それはフィルーズにもよくわからない。
ただ、容姿や雰囲気、話し方などは印象的だったので良く覚えている。漆黒のおさげに翡翠の瞳のかなり適当で、傭兵らしく粗暴で、変わった人だった。幼かったフィルーズが彼の素性として覚えていることは少ないが、それでも明るい彼をよく覚えている。
太陽のように明るく笑う、粗暴そうに見えて繊細なことも理解してくれる、おおらかな人だった。
「が生まれてすぐに亡くなった。」
魔導士だったのか、ただの傭兵だったのか。それすらもフィルーズはよく知らない。彼もまた幼かったから詳しい事情を知るに至らなかった。ただそれでも、記憶すらも全てなくしたよりはよく知っている。
「彼はレームのマギのシェヘラザード様と仲が良かったみたいで、いつも手紙やら何やらが来ていたよ。でもそれ以上のことはわからない。」
フィルーズは幼い頃の光景を思い出す。シェヘラザードと彼女の父親が懇意だったからこそ、次の主席魔導士を指名する時にシェヘラザードに頼んだのだ。
ジュダルはじっとフィルーズを見ていたが、息を吐く。
彼はある意味で親族としてはに一番近しいし、の過去を身近で知る人間だろう。だが、彼ですらもこの程度の情報をしかしらないのだ。これ以上聞くだけ無駄だとジュダルは判断して、話題を変える。
「紅炎に言えば、も怒ってねぇし、おまえは釈放されるだろうけど、おまえ、これからどうすんだよ。は安易に考えてるけど、を暗殺しようとしたってばれりゃ、帰れねぇんだろ。」
ジュダルは牢の向こうにいるフィルーズを見て、息を吐く。
既に彼にはに対する殺意は見えない。だが、国王派は暗殺を失敗したことを知ればフィルーズを始末しようとするはずだ。議会は逆にを暗殺しようとしたフィルーズを糾弾するに違いない。彼には祖国に帰る場所がないのだ。
「ど、どうしようか・・・ね」
フィルーズは途方に暮れたようなつぶやきを漏らした。彼にはもう帰る場所がないのだ。
「おまえ、邪魔なんだよなぁ。」
ジュダルはしみじみと言う。
彼が路頭に迷ったところでジュダルの知ったことではないが、それを知った時、はどうするだろうか。ましてや親族だ。彼は魔導士だし、スールマーズ家の魔導士なら弱いと言うことはないだろうが、このまま放置されていて組織や煌帝国に利用されるのも困る。
かといって死ねと言っても、無理だろう。殺すのもなかなか手間がいる程には、彼は魔導士として十分な力を持ち合わせていた。
「なぁ、おまえの武官にならねぇ?」
「武官?」
「ヴァイス王国ではなんて言うんだ?騎士?りったーだっけ?」
ジュダルは北方の文化や言い方などよく知らないが、意味は伝わったらしく、フィルーズは眼を丸くした。
「で、でも、僕はを殺そうとしたんだぞ!?」
「もう憎いとか思ってねぇなら、良いんじゃね?」
ジュダルには黒いルフが見えている。
彼が纏っていた黒いルフは、と話をした途端にすべて消え失せ、金色に戻っている。例え人質に取られていた彼の両親がヴァイス王国側に殺されていたとしても、にせいだと逆恨みすることはないだろう。
「うぜぇ女官みたいなのはごめんだからよぉ。が出かける時だけ、ついて行ってくれりゃ良いし、」
これから軍事行動となれば、常にをつれて歩くのは厳しい。だがが必ず自分の身を守れるとは思えない。は白瑛とも仲が良いが、彼女も忙しい身であり、常に一緒にいる事は出来ないだろう。
が出かけたいと言った時に、ついて行ってくれるような武官は絶対不可欠だった。
「別にのために死ねって言ってるんじゃねぇし。あいつが危ない方面に行かないように、止めてくれりゃ良いさ。」
は鈍くさいし、正直、危ないことと危なくないことの区別がつかない。危機管理能力が薄い。警戒心もない。ジュダルは今までを野放しにはしてこなかったが、常に彼女を側に置くことも出来なくなるだろう。
白瑛は信用できる相手だが、これから戦争が始まるにつれて皇族は出陣してしまう場合が多い上、身分が高すぎる。
だから口うるさく、の行く方向に文句を言ってくれる人物がベストだ。そういう点では従兄弟で、敬っているようで疑っているフィルーズくらいの方が、おそらくにとっても良いだろう。
「・・・考えさせてくれ。」
フィルーズは即答を避けた。
「良いぜ。どうせおまえ、あと三週間は牢の中だしな。」
拘禁されている人間の釈放は結構時間がかかる。仮にジュダルが紅炎に言ったとしても、彼が釈放できるのは2,3週間後だ。
「ゆっくり考えろよ。」
ジュダルは笑って、牢を後にした。おおかた彼がとるべき方向は、分かりきったものだった。
小さな灯り