ジュダルは寝台に横たわって、クッションを背もたれにして竪琴を爪弾くの様子を見ながらぼんやりしていた。柔らかいぽろぽろと竪琴が生み出す音との高い声が重なって優しい旋律を奏でる。

 その竪琴を贈ったのは白瑛だという。

 多分、が白瑛のことを指揮官である有力な将軍、李舜外と話したおかげで、お飾りに過ぎなかった白瑛は将軍と円滑に意思疎通を図れるようになった。そのために対して恩を感じているようだった。

 その恩を返すためにを母親に会わせてやりたいと思っていたが、結果的に失敗したため、代わりにに竪琴を贈ったのだろう

 は白瑛がに恩や負い目を感じているなど考えてもいないだろうから、素直に受け取って今こうして竪琴を奏でている。の声は高い割に優しく、柔らかい竪琴の音とよく合っていたし、ことのほかジュダルを楽しませてくれた。

 ぼんやりとジュダルはの姿を眺める。

 彼女の後ろからは漆黒の闇と、白銀に輝く月が見える。の白銀の長い髪も月に照らし出されて同じように輝いていて、酷く幻想的だった。



「眠たい、」




 しばらくするとはくわっと欠伸をしてそう呟いた。竪琴を近くの椅子において、足が悪いので腕だけで器用に寝台の中央へと移動する。

 は特別寝相が悪いわけでもないのに、たまに勝手に寝台から落ちることがあるから、本人も警戒しているのだろう。マギと同じく彼女もまたルフの流れが見えているから、それを追いかけてよく落ちるらしいが、本人主張なのでよくわからない。

 せっかく楚々とした綺麗な容姿をしているというのに、鈍くさく、大食いだ。本当に変な奴だとジュダルはいつも呆れる。



「そういや、明後日ヴァイス王国の使者がおまえに会いたいって言ってたから、紅炎のところに行くぞ。」



 ジュダルは気乗りしなかったが言う。

 煌帝国側がの主席魔導士としての権利の保障をヴァイス王国に求めたところ、ヴァイス王国の国王は酷く驚愕し、暗殺者を仕向けたりと慌てた様子を見せた。

 ヴァイス王国は司法を主席魔導士、立法を議会、国王が政治を司っている。しかし国王は横暴が多く、主席魔導士は議会側につくことが多かった。ヴァイス王国では先の主席魔導士マフシード・スールマーズが国王によって殺され、次期主席魔導士であった娘のが姿を消してから議会と国王が真っ向から争っている状態にある。

 そこに第三勢力である主席魔導士、要するにが加わることを恐れているため、どうやらを殺したいのは国王派の方らしい。

 国王とそれに強調する魔導士たちはを殺そうと画策し、逆に議会の人間たちは国王の力を押さえる手段の一つとして主席魔導士であるを手に入れようとしている。そして煌帝国は司法を司る権利を持つはずのを使って、ヴァイス王国をその領土に組み込もうとしている。


 三者三様、様々な思惑がある。

 生憎ジュダルとは神官だ。政治的な判断はしかねるということで、皇太子でもある紅炎が同席することとなっていた。




「おじさんはおもしろくないよ。」




 は珍しく少し眉を寄せて枕を抱える。



「おまえ、なんで紅炎のこと嫌いなんだよ。あいつは良いぜ−、強いし。複数金属器の保持者だ。戦争もうまい。」



 ジュダルはつらつらと紅炎を語る。本当にジュダルが王の器として憧れ、認めた男はここにはいないが、紅炎は十分とも言える資格を持ち合わせている。

 だがにはジュダルの言う紅炎の価値は全くわからなかったらしい。



「でもおじさん本ばっかり読んでいて面白くないよ。」

「まぁ、日頃はつまんねぇ奴だってのは認めるけどな。」



 個人的には紅炎は日頃は学問の人間であり、元々は皇位継承権とも無縁の人物だった。そのため文物や歴史研究に熱心で、難しい話をするのが好きだ。基本的に難しい話がわからない上に子供のと考えが一致するはずもない。

 にとって、紅炎は皇太子であれ誰であれ、本ばかり読んでいる面白くない存在なのだ。



「ねえ、ジュダル、お昼どこにいっていたの?」



 は翡翠の瞳を伏せて、ジュダルに尋ねる。



「どこって、別に?白瑛が来てたしな。」



 白瑛はが心配なのか、何かとの元に訪れたがる。とはいえ神官のジュダルのことは苦手らしく、ジュダルが出て行った時を見計らってやってくるのだ。そういう時、ジュダルも白瑛がいる間は部屋に戻らないのが、暗黙の了解となりつつあった。



「・・・そっか。」



 ジュダルが気のない返事をすると、は納得していない様子だったがしょんぼりとして小さく頷いた。

 の母親に会いに行くのに紅炎の元にを安全だからと置いて行ってから、はあまり紅炎が好きではない。それだけでなく、ジュダルがを買ってから初めて離れることになったからか、は置いて行かれると言うことに関して少し不安に思ったようだった。

 前はを部屋に置いて出かけてもは気にもかけなかったのに、今はジュダルの行き先をすぐに尋ねる。

 飼い主を待つ子犬か何かのように部屋の入り口のところでうずくまっている時もある。それがとジュダルの小さな変化だとも言えた。



「おまえ最近変だぞ。元々変だけど。」

「だって、なんかジュダルがいないとマフシードって名前を聞くと頭がむずむずするんだもん。」

「なんだそりゃ。」



 要領を得ない表現にジュダルは体を起こしてを見る。は自分の頭を抱えてきゅっと目を閉じていた。



「それになんでヴァイス王国の人はわたしのところに来るの?」

「おまえこの間の紅炎の話を聞いてなかったのかよ。勘弁しろよ。」



 ジュダルはため息をついてにクッションを投げつけた。はそれを顔面でまともにうけとめ、自分の鼻を撫でる。

 ヴァイス王国の制度やシステム、そしての母親であるマフシード・スールマーズのことをもう一回説明するなど面倒この上ない。ヴァイス王国の司法を司っていた主席魔導士。そしてはその娘であり、次の主席魔導士として定められた存在。



「ち、ちがうよ。でもわたしはそのすせきまどうし?じゃないよ。」



 は困ったような顔で目尻を下げる。



「だから、おまえは主席魔導士なんだって。」



 元々ヴァイス王国の主席魔導士が持つ正当性はマギに選ばれたというその一点のみだ。マギであるシェヘラザードが次代の主席魔導士としてを選んだ時点で、はどんなに幼かろうが、魔導士でなかろうが、前任者が死んだ時点で、この世に存在する限りヴァイス王国の主席魔導士に変わりはない。



「でも、わたし、何もしたことないし、わたしは、」



 困惑しきった表情ではぽつぽつという。

 はただ農村でファナリスの両親に育てられた、ただしあわせに育ったそのあたりにいる少女と変わりない。突然母親が主席魔導士だったとか、自分にその資格があるなどと言われても、その事実を受け入れきれないのは当然と言えば当然の反応だろう。

 ましてや国家同士の話し合いなどが出る幕はない。




「紅炎がどうにかすんじゃねーの?」



 ジュダルは出来の良い皇太子に丸投げする形で話題もついでに放り投げた。があまりの答えに情けないほどに目尻を下げるが構いはしない。



「だいじょうぶ、かな…」

「そりゃそうだろ。俺、そういうことに興味ねーから、言われてもわかんねーし、」



 ジュダルはあくまで神官で、政治のことを言われてもぴんとこない。もちろん政治的な発言力も持ってはいるが、それを行使する気はない。元々そういうことは面倒で嫌いだ。

 正直ヴァイス王国を支配できたら面白いとは思うが、明後日に行われる話し合いをどうしたいという希望はない。神官たちに圧力をかければそれも可能だろうが、どこに落ち着けたら妥当かなど、ジュダルにはわからないから、交渉の表に出る気はない。

 ジュダルはただ、を側に置けたらそれで良い。それはが持つ権利を保有したいという意味ではなく、自身が自分の傍にいれば良いのだ。付属物などどうでも良い。


 そういう点で、玉艶の言ったことは正しい。

 という存在の身柄さえ自分の傍にあればジュダルはそれで満足なのだ。彼女がどういった人物であれどうでも良い。

 なぜだかはよくわからない。初めて目が合った瞬間、これを側に置きたいと思ったのだ。理由はただそれだけ、それだけで良い。

 まだその意味を、ジュダルは考えたこともなかった。





小さな灯り