朝から銀色の髪を梳かれ、絹の柔らかそうな着物を何枚にも重ねられ、髪には瞳の色と同じ翡翠が飾られている。瞳の色に合わせた薄い翡翠色の羽織は白いの肌と白い絹の着物を映えさせた。いつも通り耳元にはちりりと鳴る金の房飾りのついた耳飾りをつけている。ジュダルから贈られたそれには翡翠色の滴の宝石がついていて、のお気に入りだった。




「ほー、正装したらまともにみえんじゃねぇか。」



 ジュダルは面白そうに唇の端をつり上げて、のできばえを褒める。

 元の容姿が良いだけに、正装をさせれば、やはりそれなりに見える。誰もが彼女を深窓の令嬢としか見ないだろう。だがそれは、座って口を開かなければの話だ。



「ちょっとお腹すいてきたよ・・・むー」



 立派な長いすに座らされているは自分のお腹を押さえた。

 風呂に入れられてごしごしこすられたり、朝から忙しかったは不満を思わず口からこぼしてしまった。ヴァイス王国の議会からの使者に会うと言われても、の顔見知りではない。こうして綺麗な服を着せられてもちっとも嬉しくないは面倒だなとすら思っていた。



「・・・くれぐれも黙っておけよ。」



 紅炎はあまりに緊張感のない軽く額を押さえてため息をはいた。心配は紅明も一緒で、困った顔をしてを見ている。

 ヴァイス王国は今、政治を司り独裁を望む国王を中心とした国王派と、立法を司り、国民投票で決められている議会派に二分されている。主席魔導士がいなくなってから、司法を司る人間はいない。どういった思惑でヴァイス王国の議会が使者を送ってきたのかわからないから、出方を見る上でもに黙っておいてもらわないと困る。

 だがはよくわかっていないのか首を傾げるばかりだ。

 彼女にとって別にヴァイス王国からの使者も、記憶にない母親もあまり興味のある話ではないのだろう。一応綺麗な格好をしてカウチの上で座っているは実に不満そうで、退屈そうに足をふらふらさせていた。

 しばらくすると、煌帝国とは違う、白い柔らかそうな服を着た人々が入ってくる。彼らこそがヴァイス王国の使節団だった。



様!」



 一番に入ってきた白髭の老人がを見て眼を丸くし、嬉しそうに目を輝かせた。

 は老人の顔をじっと見たが、見覚えがない。白髪の老人など村にいなかった。よくわからず戸惑っていると、その後ろから入ってきた中年の男もを見て恭しく頭を下げる。



「ご無事で何よりです。大きくなられましたな。」

「え?」



 は全く記憶になく、不安になってヴァイス王国の面々を見回した。

 彼らはを知っているのか、酷く親しげなまなざしをこちらに向けている。だがにはまったくといって良いほど彼らの記憶はなかった。

 きょとんとしたの表情に、彼らは皇太子に先に挨拶をしなかったことに気づき、姿勢を正す。別ににそんな意図はなかったが、彼らは無礼だったと思い至ったらしい。



「懐かしさのあまり、失礼しました。煌帝国皇太子殿下、また、マギよ。儂はイマーンと申すもの。ヴァイス王国議会の議長を務めております。」



 老人―イマーンは深々と頭を垂れて礼をした。それに続いて中年の男も頭を下げる。

 はなにやら酷く不安になって、ジュダルの手に自分のそれを重ねた。この老人を見ていると、酷く頭が痛い。内側から削られるような気がするのだ。

 ジュダルは一瞬不思議そうにの方を見たが、何かを感じ取ったのか、手をつなぎぎゅっと握り返してくれる。本当はすぐにでも部屋に帰りたかったが、隣にジュダルがいるので大丈夫だとは自分に言い聞かせた。



「今回の来訪はどういった用件で来られたのだ?」




 紅炎がイマーンに単刀直入に問う。



「議会の結論と、様の身柄の話し合いのためにこちらに。」



 イマーンはにっこりと笑ってから、曖昧な答えを返した。紅炎は彼の答えに思わず眉を寄せる。

 答えからすぐにイマーンがある程度やり手の人物であり、簡単にこちらの思惑に乗ってくれそうではないのだけはわかった。




「それにしても様、大きくなられましたな。」

「・・・あの・・・貴方はだれ?」




 イマーンには問いかける。

 この老人の顔に記憶はないし、正直の村には赤い髪の人しかいなかった。老人は数えるほどしかいなかったし、元が小さな村だったから知らない人がいるとは思えない。生まれた時からかどうかはわからないが、村以外の記憶はなかった。



「そうですか。私も随分変わりましたかな。ゾフルフの館も随分と変わりましたが、様がお好きだった噴水はそのままですよ、」



 イマーンは少し訝しんだが構わずに話しかけてくる。だがには全然覚えのない名前ばかりだった。



「あ、あの?ぞれう?ってどこなのかな?」



 はおずおずと口を開く。

 彼の口調からは彼に会ったことがあるのだろう。彼の副官であろう中年の男も優しい目をに向けており、その話が嘘ではないであろう事がうかがえる。だが、が好きだったと彼が言う噴水はおろか、ゾフルフの館の意味もわからないのだ。



「は、はぁ・・・?」



 イマーンは酷く驚いた、呆然とした顔でを見る。



「な、何も覚えておられないのですか?」

「な、何をかな?」

「ゾフルフのことです。貴方は六歳までお暮らしだったでしょう?」

「はぁあ?」



 反応の悪いの代わりにジュダルが驚きの声を上げた。紅炎と紅明も顔を見合わせて首を傾げる。

 ゾフルフは、ヴァイス王国の首都である。今までジュダルたちは、がヴァイス王国の国境近くの村で、育ての親たちと一緒に暮らしていたと聞いていた。の主で、買った本人でもあるジュダルですらも、が育ての親を覚えていないと言っていたから、てっきり本当の母親でヴァイス王国主席魔導士だったマフシードとは、一度もともに暮らしたことがないのだろうと思っていた。

 だがイマーンの話が本当ならば、は六歳までヴァイス王国の首都、ゾフルフで、おそらくマフシードとともに暮らしていたことになる。

 六歳ならば、十分母親の顔も、ある程度の事情も覚えているはずだろう。



「おまえ、早くそれを言えよ!!」




 ジュダルはの銀色の髪を引っ張る。ヴァイス王国側の人間もいるため紅明が慌てて止めようとしたが、すでにジュダルはの髪を掴んでしっかりと握りしめていた。



「い、いたたたた、し、しらないよ!」

「なっ、どうかそのお方にご無体は!!」



 イマーンが慌てて止めようと声を上げるが、ジュダルは全くやめようとはせず、いつも通りにを怒鳴りつける。




「知らないってなんだよ!こいつらおまえのこと知ってんじゃねぇか、」

「だ、だから、し、知らないんだよぉ・・・・」




 は情けない、途方に暮れたような、震えた少し高めの声を出して、ジュダルに訴える。だからジュダルは拍子抜けして、の三つ編みを掴んだまま首を傾げてしまった。


「本当にわからないのかよ」

「わ、わかんないよ・・・」



 の声音に嘘はなく、酷く狼狽えているようだった。

 の主張にジュダルは赤い瞳を瞬かせての三つ編みを持ったまま、イマーンの方へと振り返った。彼は変わらず酷く驚いた顔をしていたが、少し考えるそぶりを見せ、息を吐く。



「・・・貴方の父君とお話をさせてください。」



 イマーンはをまっすぐ見て、言った。その言葉には肩をぴくりと震わせる。



「え?」



 が父に夢の中で会えるようになったのは、戦場で魔法を使った後からだ。どうしてかはよくわからないが、それまで父は眠っていたのだという。そのことはジュダルにも言っていないというのに、どうして知っているのかわからず、怖くなったが、イマーンの瞳はまっすぐに向けられたままだ。

 それは彼がの夢の中に父親が出てくることを知っていると言うことを示していた。



「そ、それは、わかんないよ。お父さん、夢でしか出てこない、から。」



 はごまかしようもなく素直に答えた。

 夢に出てくると言っても、彼が毎日出てくるわけではないし、の事情を知らないようで、の話を聞いてくれ、たまに魔法の使い方を教えてくれるだけだ。イマーンがの夢でしか会えない父親とお話出来るかどうかなど知らない。



「はぁ?夢?おまえ、どういうことだよ、」 



 ジュダルがの髪を引っ張って目尻をつり上げる。



「・・・だ、だから、夢にしか出てこないんだよ。」



 父親がマギだと言うことは秘密にしておかないといけないと父は言っていたけど、父と夢で会えることは言っても良かったかもしれない。またジュダルに怒られるかもしれないとはしょんぼりと目尻を下げる。



「貴方のお父上はヴァイス王国のことを、何かおっしゃっていませんでしたか?」



 イマーンは縋るような目をに向ける。



「な、なにも?お父さんはわたしのお話を聞いてくれるだけだよ。」




 夢の中の父はただ、が今どんな状況にあるのか、本当に話を聞いてくれるだけだ。そういえば彼が自分の話をしたのを聞いたことがない。それ以上でも以下でもない。だからは未だに、ヴァイス王国が自分の国だという感覚が全くなかった。






過去の夢