人がたくさん集まっているのを、上から見下ろす。
人々の視線がこちらに集まっていて、何やら怖くて近くにいた彼の服を掴むと、彼は気づいたようにこちらを振り返り、目を細めた。
―――――――――――――――おいで、見てごらん
抱き上げられ、視線があっという間に高くなる。
熱狂的に叫ぶ人々。期待のまなざし。穏やかな世界の中で彼らが抱いていたのがなんだったのか、わからない。
―――――――――――――――おまえが、背負わなければならないものだ、
生まれながらにして、正しく生きなければならないと定められていた。よくわからないままに、すべてを背負うことを義務づけられていた。優しい手が愛情だったのか、それとも彼が課した義務だったのか、よくわからない。
それは生まれる前の、遠い記憶。
―――――――――――――――俺はおまえに、何も背負わせたくないんだよ
優しくて低い、父親の声が響く。抱きしめられている、その腕の温かさを忘れたことはない。例えどれほどに記憶を消されようとも、愛情も全部全部この身に宿ってすべてを満たしていく。それが引き裂かれたのは、人の残酷さを知ったから。
ぱっと緋色の血が辺り一面に広がる。
人は他人に対してならば残酷なことが平気で出来る。自分は関わりがないと他者になることだってある。拷問を繰り返され、頭すらもおかしくなり、情報もすべて教えたにもかかわらず、見せしめのように殺されていく。
それを目の当たりにした時、あの遠い日を思い出した。
―――――――――――――――ごめん、ごめんね、愛してる、愛してるアル、だから、
亜麻色の髪の女性がこちらに手を伸ばしてくる。優しく抱きしめられ、宥めるように背中を撫でられる。温かい感触はがこの世界で生まれてから、否、前からずっと与えられていた愛情というものすべてだ。
与えられなかったものも、与えられたものも、奪われたものも、奪ったものも、にとっては全部全部、愛情の証。
「・・・」
瞼を開ければ、そこには見慣れた天井がある。お腹あたりが重いなと思って見てみると、ジュダルの腕がのお腹の上にあった。
格子窓からは日の光が差し込んでいて、もう朝だとわかる。
ももう少し眠りたかったが、浅い眠りはまた夢を呼び起こすだろう。それが徐々に過去の記憶を引きずり出していることを知っているは怖くてもう一度眠り直す気にはなれなかった。ただジュダルの胸に頬を押しつける。
「神官様!もうそろそろ起きなければ、紅炎様とのお約束のお時間が・・・」
女官が扉の外からたちを呼んでいるのが聞こえる。
「…ジュダル、起きて。女官が何か、言ってるよ。」
「あぁ?こんな時間に?」
ジュダルはうざそうに手をぱたぱたさせて、枕に顔を押しつける。
「もう10時過ぎてるみたいだよ。」
近くの機械時計を見ると、10時は過ぎている。本来なら十分起きて当然だろう。
ジュダルもも、用事がないことが多いので実に怠惰な生活を歩んでいる。たまに皇族に会いに行ったり、散歩をしたり、市街地にでたりするが、それでもたいていの場合時間に拘束されることがない。多少の遅刻は大目に見られているため、ジュダルにはあまり時間を守る感性はなかった。
「神官様!!」
今日会うのが皇太子であるためか、女官の声は必死だ。ジュダルは不機嫌そうに耳をふさいだが、ため息をついて身を起こす。
「仕方ねぇな。」
「またおじさんに会いに行くの?」
「あぁ。でもおまえは白瑛から呼ばれてるから夕飯はそっちに行けよ。」
ジュダルは素っ気なく返して、女官を部屋に入れ、一言二言言ってから隣の部屋へと服を着るために言ってしまった。残されたは翡翠の瞳を瞬いていたが、女官がやってきての着替えを手伝う。
「あー、たりぃなぁ。またどうせヴァイス王国の話だろー、」
すぐに顔を洗い、用意をして戻ってきたジュダルは、が着替えを待つ間に面倒くさそうにぼやいた。
ヴァイス王国は今二つに割れている。司法を司る主席魔導士の権限を持つを殺して司法権を手に入れたい国王派と、とその後ろ盾の煌帝国と結んで司法権を手に入れたい議会だ。国王派はが王に成り代わると思っている節もあり、魔導士や金属器使いもいる。
議会派は戦力が少ないが、国民の投票の元にあるので、国民からの支持を得ている。その議会派を助けるために軍事行動をする可能性が高く、その準備が、当面の煌帝国の重要課題だった。
本人のはヴァイス王国の国王派に狙われているが、6歳まで暮らした祖国の記憶は全くない。出来れば関わりたくないというのが、今の正直な気持ちだ。
しかし、主席魔導士の権限を持っているのがであるため、そういうわけにもいかず、基本的に交渉その他はジュダルと煌帝国の皇太子の紅炎に任せっぱなしだった。ジュダルもの意図を察して、できる限り政治的な話し合いからは遠ざけてくれていた。
「白瑛と会えるのは嬉しいな。」
着替えの終わったは、女官に食事の席に運んでもらいながら、にっこりと笑う。
白瑛はとても優しく、の事もよく気にかけてくれるため、は大好きだ。ジュダルとそれほど良い関係ではないようだが、心からを心配し、ジュダルに進言してくれることすらもあった。
にとっては宮廷で一番仲の良い友達と言っても良い。
「おまえ、白瑛に惚れこんでんなぁ。」
「だって、まっすぐでとても綺麗。きっと大きななんていうのかな、理想があるし、それを綺麗なやり方で手に入れたいって思ってると思う。」
妥協しないその姿勢は、単純でよくわからないにすらも伝わり、にとっても白瑛はとても素敵で、潔癖で、綺麗な人だった。
「白瑛の奴も軍事行動についてくるらしいからなぁ」
「あ、そういえば将軍さんなんだよね。」
「金属器使いだしな。」
金属器使いの価値は、金属器を二つも持つにはわからない。しかもはうまく金属器を使うことすらも出来ないので、なおさらだ。興味もない。最近は魔法の方が使えるようになったため、金属器を使用するのは治癒能力だけだ。
出来るならの従兄弟で、を殺そうとしていた魔導士のフィルーズが、改心した上、祖国には帰れそうにないので、の武官にと思いジュダルが誘ったが、答えはまだもらえていない。のみの安全を考えれば、ジュダルはおそらく軍事行動に参加しなければならないので、置いていくしかない。
ならばなおさら、信用の出来る武官や皇族は多ければ多いほどよかった。
「・・・」
ジュダルはテーブルに並べられた食事と、茶器を見る。中に入っている緑の液体を見ながら、ふわりと柔らかくのぼる湯気に、変なにおいが混じっていた。
「これって、」
「女官の人たちが間違って入れたのかな。」
は苦笑して、茶器を持ち上げる。
それは白瑛とジュダルがの母親に会った時にもらってきたお茶で、ジュダルが生まれてこの方飲んだことのないくらいまずい。
「体には良いらしいけど、わたしも嫌いなんだよね。」
は口をつけたが、やはり眉を寄せた。
女官たちは多分が好きだと思って出したのだろうが、やはり何度味わっても懐かしい味とは言え美味しいとは感じられないようだ。
―――――――――――――――を守って。人として生かし、死なせてあげて。
の育ての母が言ったことを、ジュダルは忘れていない。初めてと言っても良い、自分に託された命だ。
「仕方ねぇなぁ。」
ジュダルは眉を寄せながらも、その茶に口をつけた。
そのままの君を愛す