ジュダルとが行軍に参加することになると用意などで忙しくなった。



「上着、上着が必要だよ。」



 そう言い出したのは、昨日付でとジュダルの武官になったの従兄のフィルーズだ。華奢な体躯に銀髪、より3,4歳年上の彼は、とジュダルが行軍に参加することが決まると、てきぱき行軍用意を始めた。



「あ?上着?」



 ジュダルは勝手に衣装入れをひっくり返して用意をしている彼に、首を傾げた。に至っては彼がどうして荷物を用意しているのかもわかっていないのか、「旅行に行くの?」などと尋ねて、ジュダルにはたかれ、黙る。



「ヴァイス王国は北にあるんだ。この時期だと雪もあるかもしれないし、寒いんだよ。」

「はぁあ?マジで?たりぃ。」

「だから僕が上着を用意してるんじゃないか。」



 女官のようにうるさい奴はまっぴらごめんだと思い、武官を選ぼうと思ってフィルーズにしたわけだが、彼は存外小うるさい。使える男なのはわかるし、魔導士として才能もあるが、何事もきちんと用意したいらしく、ジュダルの用意はすでに彼によってすべて片付きつつある。

 また、の用意に対しても女の白瑛に聞きに行き、的確に済ませたようだ。

 フィルーズはジュダルがを抱くことにも、私生活のことに関しては何も言わず、ただ淡々と必要なことをこなしていく。元々ジュダルにもにも特定の女官はいなかったし、武官もついていなかったため、いろいろと困っていた連絡事項はすべてフィルーズに行くようになった。

 彼もまたそれを処理する能力に長けているので助かっている。



、それ以上反り返ったら椅子から落ちるよ。」

「はーい。」



 しかもフィルーズは非常にめざとい。とろいのやりそうなことを、よそ見をしていても気がつき、注意する。一応6歳くらいまでの近くで暮らしていたと言うから、何となく感覚がわかるのかもしれない。

 長らく離れていたフィルーズがこれほどうまくをあしらうと言うことは、彼女は記憶をなくす6歳以前も結構とろかったのではないだろうか。

 ジュダルはくだらない思案を巡らせながら、を見る。は椅子から少し遠いテーブルにあった果物が食べたいのか、手を伸ばしていた。先ほど椅子ごとひっくり返りそうになった原因はそれらしい。足が悪く、浮遊魔法は出来るが面倒くさいらしい彼女は、手を伸ばすだけでものをとろうとするから、椅子がひっくり返るのだ。

 夕飯はすでに済ませた後なのに、まだお腹がすいているらしい。




「おまえなぁ。」




 ジュダルは呆れながらもを椅子から抱き上げ、テーブルに近い寝台の上に運んでやる。テーブルの果物がとれたは嬉しそうにそれにかじりついた。



「僕はこれで白瑛様の所の青舜と話に行って部屋に戻るけど、の方は明日白瑛さんとの面会だから、朝に起こしに来るからね。」



 フィルーズは用意した荷物に魔法をかけて浮遊させ、に言う。



「おいおい、荷物どこ持って行くんだよ。」

「用意されている馬車に先に置いておくんだよ。君、使っちゃうだろ。」



 ジュダルが言うと、フィルーズはジュダルを睨んで言った。

 この間面倒になってジュダルが着替えを用意されている荷物からとったのだ。どうやらフィルーズは存外そのことを根に持っているらしい。



「だって便利じゃん。おまえ口うるさいなぁ。一応俺の武官だろ?」

「僕は君がマギだと言うことにびっくりだよ。まぁマギも人間って事だよね。知ってるけど、認めたくないし、まぁそうだよね。」

「失礼な奴だな、おい。」



 フィルーズはジュダルがマギだと言うことで思う所はあったようだが、態度は全く変えなかった。従妹のに注意するのと同じくジュダルにも生活態度までしつこく言う。年齢的にはジュダルよりまだ5歳ほど年上なので仕方ないのかもしれないが、口うるさい。おかんのようだ。

 母親など、ジュダルの記憶にはないのだが。



「ひとまず明日は11時には起きてもらうからね。」



 フィルーズはそう言って、部屋を出て行った。急いでいるのは青舜との待ち合わせの時間があるからだろう。




「おまえの従兄だってのにしっかりしてんなぁ。おまえ、父親の血が悪かったんじゃねぇの?」

「かも?」




 は首を傾げた。

 の容姿は母親似で、母方の親戚であるフィルーズともよく似ている。ただし、の母は冷静沈着で穏やかな人物で、しかも実務面でもかなり優秀だったと言うから、何をやらせても鈍くさいとは似ても似つかない。

 父親の方に似たのだろう。軍人だったという父親がどんな人物なのか、誰も知らないので詳しく聞いたことはないが、ヴァイス王国に行けば、わかるのかもしれない。

 は夢の中でたまに会うというが、それがどういうことなのか、また父親の素性についてもはあまり興味がないようだった。

 そう、彼女は自分の素性について興味がない。むしろ知ることを怖がっている。だから本当はジュダルが行かなければ、彼女はヴァイス王国にも行きたくなかっただろうし、主席魔導士としてヴァイス王国に関わることもなかっただろう。

 ジュダルが、彼女を自分の物として囲わなければ、宮廷の芸妓として穏やかに竪琴を奏でながら暮らしていたかもしれない。



「ジュダル、桃いる?」




 は手をべたべたにしてむいた桃をジュダルに差し出す。



「もらう。」



 ジュダルはそれに手を伸ばした。

 果汁が服にこぼれ落ちるが、どうせあとは着替えて寝るだけだ。は近くにあった盆の水で手を洗う。



「んー、あんま甘くねぇな。」



 ジュダルはぼやいて、ぺろりと自分の手についた果汁をなめる。だがそれをぼんやりと眺めているに気づいた。



「なんだよ。」

「ちょっと不安になっただけ、かな、」



 は膝を抱え、目を伏せる。

 行軍の用意は誰が見ても進んでいく、来週には出発し、その4日後にはヴァイス王国の国境近くにつく予定だ。村を出てきて以来、初めてはヴァイス王国の姿を見ることになる。それが彼女にとっては不安の原因そのものだ。



「あのなぁ、」



 ジュダルは寝台の上に上がり、の肩に自分の腕を置き、の頭の後ろで手を組む。怖がるように彼女はジュダルを見た。



「記憶もなんも関係ねぇよ。おまえはだろ?」



 には特別な力があるのは事実だ。6歳以前の記憶は覚えていないのか、忘れてしまったのかわからないし、彼女自身思い出すのを怖がっている。だがそう言った彼女を取り巻く事情が、彼女自身の価値を下げることはない。

 ましてや、ジュダルにとって何ら関係ない。



「おまえは、俺のもんだ。」



 ジュダルはそのままの躰に手を回して抱きしめる。最近、の温もりが心地よくて仕方なくて、こうして寄り添うことが多くなった。



「く、苦し、よ、」

「ちょっとぐらい我慢しろよー」

「ぎ、ぎぶっ、ぎぶ!」



 はばんばんと寝台を叩く。
 二つ違いと言っても、10代半ばともなればもう男女の力の差は歴然だし、戯れでレスリングが出来るような年齢ではない。



「のりわりぃなぁ。筋トレしろよ。おまえ魔導士だって言っても体鍛えた方が良いぞ。」



 ジュダルは腕を放して、腰に手を当てて笑う。




「きんと?」

「ほら、こうやってさ、腹筋とか。」




 ジュダルが寝台の上に転がって腹筋をしてみせる。もまねしてころんと転がってみたものの、お腹の力だけで起き上がることは出来ないのか、魚のようにぴちぴちと跳ねるだけだ。何度やっても起き上がることが出来ない。




「あははははは、間抜けな奴!」




 ジュダルはを指さして屈託なく笑う。彼女はあまり浮かない顔をしていたが、釣られるように一緒に笑い始めた。

 紅炎の言うとおり、は自分と向き合うべきなのかもしれない。でも怯えたり、悲しい顔をしている彼女よりも、笑っている彼女の方がジュダルは好きだった。








安穏たる夜