禁城の前庭に軍隊と皇族が集まる。
出陣式を見守るのは皇帝だけではなく、神官や武官、女官など禁城の人すべてが集まるのが通例だ。当然神官のジュダルとともに、神官付きの巫女であるも行かねばならない。だが今回はヴァイス王国の主席魔導士として出席することとなった。
「まともに見えんじゃねぇか」
庭を望むバルコニーに出なくてはいけない皇族が集まる中、ジュダルは椅子にちょこんと座っているを見て言う。
「、かっわい〜」
紅覇に言われて、は頬を染めて俯く。
一応今回はヴァイス王国の国賓という扱いになるため、皇子の下、皇女の上として席を用意されている。そのため、きちんとした格好をせねばならないと紅炎から指示があったらしい。
はそう言われても首を傾げるだけだったし、の庇護者であるジュダルもそういったことには疎かったが、助け船は玉艶から出てきた。先ほどまで、は皇后の玉艶との謁見という名のお茶をしていた。その時贈り物という名の用意を下賜され、それに玉艶の前で着替えることになったのだ。
いつもは三つ編みの長い銀色の髪を解き、翡翠と翠玉で作られた雨の滴を連ねたような繊細な髪飾りと、青色の鮮やかなショール。ギリシャと同じ白のワンピースは翡翠と銀糸で文様の形取られた帯で止められている。
派手にならないように僅かに頬紅だけがはかれているが、唇に乗せられた口紅は少し赤めで、それが艶やかだ。元々容姿が楚々としているため、落ち着いたその装いはにぴったりきていた。
「そう言えば今日はお腹すいてないのぉ?」
紅覇は少し意地悪くに尋ねる。
彼女はいつも二言目にはお腹すいたが口癖だ。実際に魔力を少し使ったりすればいつもお腹がすくらしい。だが今日は一言もそれを口にしていなかった。
「それはねぇ、玉艶さんが食べさせてくれたからかな。」
は満面の意味で答えた。
謁見の席に、彼女は何故かちゃんと食事まで用意してくれたのだ。しかも結構お腹にたまる肉などもあって、今もあまりお腹がすいていない。
「ってぇ、皇后陛下との謁見でばくばくたべたのぉ?それって・・・・なんか言ってたぁ?」
「え?玉艶さん?なんかにこにこして見てたかな。」
紅覇としては、普通皇后の前で大食いを披露する気にはなれないし、一体どんな反応をしたのだろうかと恐ろしく思ったが、玉艶はに対してだけは実に寛容だ。
謁見という名のの装いを整える会は実に穏やかに終わった。もきゅもきゅと食べるを皇后である玉艶はにこにこしながら見ていたし、の服も玉艶が整えてくれたもので、自ら楽しそうにしつらえた服を着付けてくれた。
「、よく似合ってるわ。」
白瑛がやってきて、ににっこりと笑う。
だがは白瑛の後ろに、少し彼女に似た少年がいることに気づいた。彼もまた今回の出陣式のために綺麗な格好をしている。それにここは基本的にはバルコニーに出る国賓と皇族だけだから、皇族だろう。
「には紹介していなかったわね。第四皇子の白龍、私の弟よ。」
白瑛は後ろにいる弟を示してにっこりと笑う。
「初めましてさん、貴方の話は姉から聞いております。」
白龍という少年はやけどの痕が痛々しいが、明るくに頭を下げる。は笑って手を振り上げた。
「はじめまして、だよー。白瑛とよく似てるんだね。」
「そう、でしょうか?」
白龍は少し戸惑ったような、困惑したような顔をしていたが、外から聞こえる歓声に顔を上げた。もそれにつられて外に目を向ける。
「今日は軍隊だけでなく、一般の民衆も集まるからな。」
紅炎が体の大きな部下を引き連れ、やってくる。皇族たちは皇太子の出現に臣下の礼をとったが、はどうして良いかわからずきょろきょろしていた。足が悪く、椅子に座っているため膝をつくことも出来ない。それが明らかに目にとまったのだろう、紅炎がの前で立ち止まる。
「おまえ、」
「え?」
「あ、そういやこいつどうすんだよ。浮遊魔法?車いす?そのまま出すのか?」
ジュダルが紅炎に尋ねる。
は足が悪く、自力で立ち上がることは出来ない。バルコニーに立つと簡単に言うが、そもそも立てないのだ。
「・・・来い、」
紅炎はの細い手を掴む。
「え?」
は大きな手に驚いて声を上げたが、途端に突然視界が高くなった。下を見ると、自分が紅炎の肩に抱き上げられたと気づく。
「おいおい、そいつは俺のだぜ!」
ジュダルが紅炎に抗議の声を上げる。
「わかっている。別に取り上げる気はない。だがどうせだ。煌帝国を見せてやろうと思ってな。」
紅炎は澄ました声で言って、を見上げた。彼の力のあるぎらぎらした目も、上から見下ろすとそれほど怖くない。彼の体が大きいから、いつもは蛇に睨まれた蛙のようになるのだろう。
「ちぇっ、」
ジュダルも仕方がないと思ったのか、舌打ちをしたが、それ以上抗議をしなかった。
紅炎はを肩に乗せたままバルコニーへと最初に出る。それにマギであるジュダルを初め、多くの皇族が続いた。
わぁっと耳が割れんばかりの歓声が沸き起こり、兵士たちが剣を振り上げ、民衆が手を振る。期待、羨望、希望、すべての入り交じった視線がこちらに注がれる。それを上からどうしたらよいのか戸惑いのままに眺める。
それをは知っていた。
「見ろ。これが煌帝国だ。」
紅炎がに下を見るように促す。翻る臙脂の旗。乱れなく居並ぶ兵士たち。歓声を上げる民衆。すべての期待を一身に受ける皇族たちの姿。
つきんと、心が痛む。
「懐かしい光景でしょう?。」
後ろからやってきた玉艶が、柔らかな声でに言う。
「ねえ、そうでしょう?」
頭が痛む。そう、はあの日も民衆を、そして彼女を見下ろしていた。期待する民衆のまなざしの中央に座していた。
―――――――――――――――――――王の中の王、ソロモン王よ
人々が、王がこちらにまなざしを向ける。
―――――――――――――――――――おいで、見てごらん
そう言って示された期待も、羨望もすべて、が背負うべき物だった。与えられた力とともに、重くのしかかるそれが何だったのか、は何も知らなかった。喜びに満ちあふれた全てが、ただ、ただ悲しかった。
悲しみに、目を背ける人々の声が、痛くてたまらなかった。
「あぁ、」
は小さく声を上げた。あっという間に涙が浮かび、ぽたぽたとこぼれ落ちる。細い手が民衆に伸びる。
満たされた期待。希望。あの日誰もが、一人の男に向けていた期待も、羨望も、希望もすべて、永遠に失ってしまった。漆黒の太陽とともに、すべての命が絶えたあの日を。にとって愛しい人たちが、争いあった。滅ぼしあった日。
「わたし、は、」
与えられた力ともに、重すぎる義務を果たさなければならない。
金色のルフをの意志が集め、それらがあたりに舞い、舞っていた黒のルフを晴らしていく。だが、次の瞬間、の魔力が揺れた。
黒のルフを払っていた金色のルフがの中に収束されていく。
「なんだよ。これ。」
ジュダルの目が、明白にのルフをとらえる。
マギのごとき大量のルフと魔力を集めていただったが、すぐにそれはの体にある何らかの魔法の命令式に吸い込まれ、消える。
翡翠の瞳が閉じられ、次に開かれる時、のルフの流れはいつも通りに戻っていた。
「すごい人だね。」
は笑って紅炎を見下ろす。
「だろう。これが煌帝国だ。」
何も気づかなかったであろう紅炎もに笑い返しただけで、また民衆たちを見下ろした。その姿は先ほどのように追い詰められた様子もなく、普通だ。
「ふふ、本当に、可愛い子。」
玉艶はの様子を見て、小さく呟いたが、その呟きは確かにジュダルにも聞こえていた。
出陣