が夢の中で父親に会ったのは、ヴァイス王国へと向かう行軍が始まる前日のことだった。

 実に数週間ぶりの父親は相変わらず姿でそこにいる。いつもなら、は柔らかい光に満たされた空間で、現実には味わったことのない父親の膝に頭を預けて、最近のことを話すのだが、今日は珍しく父親に尋ねた。



「ねぇ、ねぇ、お母さんが主席魔導士だって言うのは本当なの?」 



 きっと、母方の従兄だというフィルーズと出会ったこと、そして暗殺などといった形で自分に深く、“母親がヴァイス王国の首席魔導士である”という事実が、全て自分にも降りかかってきたからだった。




「あぁ、そうだな。マフシードはヴァイス王国の主席魔導士だったな。」



 あっさりと彼はにその事実を認めた。



「言ってくれれば良かったのに、」

「言って、俺の話に興味あったのか?」

「・・・なかったかな。」



 非常に的を射た答えで、は思わず拍手をしたくなった。流石父親だ。彼は娘の性格をよくわかっている。

 仮に父から母親がヴァイス王国の主席魔導士だと言われても、は興味ない話は右から左だ。聞いていたとしても記憶に残らなかったであろうことは間違いない。ジュダルに言われるまで、父親に聞いた母の名前であるマフシードという単語すらも思い出さなかったほどだった。



「お父さんのお名前は、なんて言うの?」



 は今まで父にたくさんの話をしていたが、父の話を聞いたことはなかった。それに思い至り、ふと彼に尋ねる。隠すかと思ったが、意外なことにあっさりと答えた。



「サィード。」 

「さいーど?どういう意味?」

「幸いなる者。」

「ふぅん。お父さんは幸せ?」

「全部が全部って言うわけじゃなかったけど、生まれたばかりのおまえを抱いた時に心から幸せだと思ったよ。」



 は優しい声で言う父の顔を彼の膝から見上げる。風もないのに彼の長い漆黒の三つ編みが揺れている。向けられる自分と同じ翡翠の瞳は、幸せと確かな自分への愛情に満たされていて、も嬉しくなった。



「わたしが忘れちゃったことの中には、お父さんの記憶もあるなら、少しだけ思い出したいな。」

「記憶を取り戻すのは、嫌なのか。」

「だってなんか、怖いんだよ。」

「そうだな。」



 大きな手がの頭を優しく宥めるように撫でる。



「おじさんは記憶を取り戻すべきだって怖い顔で言っててね、だからヴァイス王国に行くべきだって言うんだ。」



 紅炎に言われた言葉を、思い出す。彼はきちんとが記憶と向き合っていけば、不安も解消される。そうすべきだと言ってジュダルと喧嘩になっていた。



 ―――――――――――おまえは一生そうしてジュダルの後ろに隠れて生きていくつもりか?




 ジュダルの元にいるようになってから、困っていることはすべて彼がどうにかしてくれる。確かに髪を引っ張られたりはするが、外部の事はすべてジュダルが窓口になってくれるし、敵が来ても彼が庇ってくれる。

 そうやってジュダルの庇護下で彼に守られて生きることは、とても気楽で、穏やかだ。ヴァイス王国のことだって、彼がほとんど対応してくれている。




 ――――――――――記憶なんて関係ねぇよ。おまえはだろ?




 彼はいつも、でいることを許してくれる。だからいつもはジュダルの傍にいるのが好きだ。一番安心する。

 でもそれは果たして良いことなのだろうか。



「おじさんは怖いから。ジュダルにくっついておかないと。」 



 それにジュダルといると頭がざわざわしない。記憶のことも何も気にならないのだ。だから、彼と一緒にいたい。



「なんだよ。そのジュダルって奴が好きなのか?」



 サィードは複雑そうな表情での顔を見下ろす。



「好きだよー。髪引っ張られるのは痛いけど、大丈夫だよって言ってくれるし、わたしが嫌って言うとちゃんとみんなに嫌って言ってくれるよ。」

「・・・なんか好きって言うか、便利な伝言屋かなんかか?」



 恋愛感情とは違うことがわかったのだろう、サィードは複雑そうな表情の中に哀れみを浮かべた。それが誰に向けられているのか、はよくわからない。



「違うよ。でもみんなジュダルはマギだから、ジュダルが言うと良いよって言うんだよ。なのにおじさんは良いよっていわないから。」



 大抵のことはジュダルが言えば鶴の一声のように彼の言葉通りに進んでいく。

 だが唯一の例外が紅炎で、彼はジュダルと同等、もしくは彼よりも高い地位を持っているのか、ジュダルとまともに言い争いをする。の処遇に関しても、紅炎は公然と口を出すことがあるので、ジュダルと離されたくないは彼が苦手だ。



「マギなぁ。」



 サィードはの言葉を反芻して、翡翠の瞳を細める。



「そういえばお父さんもマギなんだよね。マギってたくさんいるらしいね。」

「そんなにたくさんじゃねぇよ。今いるのは3人だけだぜ。俺は死んでるから。」

「3人しかいないの?」



 マギについてよくわかっていないは首を傾げる。

 マギが複数いると知ったのも、イマーンがそんな話をしていたからだ。元々育ての親が、マギが迎えに来てくれると言っていたのでマギに興味があったが、まさか複数いるとは知らなかったし、ジュダルも教えてくれなかった。



「そのジュダルって奴に教わらなかったのか?」

「んー、多分?あ、そうせいの魔法使いって言われてて王様選ぶからすごいっていってたよ。でもよく覚えていないかな。」



 マギとは何かを聞いた時、ジュダルはマギの人数の事については何も言わなかった。自身もよくわかっていないため、教えたが、彼女が忘れただけの可能性もある。

 お馬鹿な娘に苦笑しながら、サィードは口を開く。



「今なら多分そのジュダルって奴と、レーム帝国のシェヘラザード、あとはふらふらしてるユナンって奴、あとはまぁ…知らない方が良いだろうな。」

「ふらふら?」

「旅をしてるんだよ。いろんな所を、俺もしてたことがあるから。」

「ふぅん。」




 はあまり想像が出来なくて、父親の膝に頬を押しつけたまま、目を細める。

 が言ったことがあるのは、煌帝国と、ヴァイス王国の中にある、村だけだ。6歳までヴァイス王国の首都に住んでいたと言うが、そんな時のことは覚えていない。どちらにしても、は二つの国しか見たことがない。



「わたし、明日からヴァイス王国に行くんだって。軍隊を率いて、なんかよくわからないけど、議会のひとに協力するとかで、おじさんが行くって。行きたくないけど、ジュダルが行くから。」

「ふぅん。」

「白瑛も行くって、まぁ護衛もつけるし、安全は保証するって言っていたけど、ちょっと怖いなぁ。襲われたりするのは嫌だし。」



 前にも一度襲われたが、やはり怖かった。ジュダルは平気そうだったが、はそういう暴力的なことは苦手で、いつも庇われてばかりいる。あまり金属器をうまく使うことも出来ないし、魔法は使えるようになったが、咄嗟に防御できるかはわからない。

 記憶の問題以外でも、不安は山のようにある。



「おまえはまだまだ一人では立てないから、そのジュダルって奴に頼れば良いじゃん。」

「でも、おじさんはいつまでもジュダルに隠れてるのかって、怒ってたよ。」



 紅炎の言葉は、確かにの本質を表しているようで突き刺さるようだった。だが、サィードは落ち込むの頭を優しく撫でる。



「そのジュダルって奴は怒ってねぇんだろ?で自分の出来ることを一つ一つしていきゃ良いじゃん。」



 まだに出来ることは小さい。受け入れられることも決して多くはない。でも少しずつ受け入れていけば良いのだ。すべて自分で出来るようになるまでは、彼に頼れば良い。




「そう、なのかな。」

「あぁ、それに父ちゃんはいつでもおまえの味方だぞ。」



 サィードはにっと屈託なく笑う。その明るい笑顔にもつられるように、明るい笑みを返した。

 現実の世界で彼がにしてくれることはない。でも、こうして話を聞いてくれて、励ましてくれるだけでも心強い。

 深い愛情に満たされながら、は静かに目を閉じた。



夢の夢