国境付近にあった結界はあっさりとジュダルによって破られ、ヴァイス王国には簡単に入ることが出来た。しかも国境の警備隊の中にかつて首席魔導士だったマフシードの顔だけでなく、首都のゾフルフでを見かけたこともあったらしく、の姿を見ると戦意を失った。



、なにやってんの〜?下々の者と話しちゃって、」



 紅覇は楽しそうに椅子に座って、下々の兵士たちに囲まれているを見て首を傾げる。



「紅炎が情報収集のために放って置けってさ。」



 ジュダルはため息をついての様子を見守っていた。

 カウチに腰をかけているのはと白瑛だ。その近くには食事の配給所が設けられており、食事をもらいに来る兵士たちがついでにと白瑛に声をかけていく。食事を持ったまま留まって話し込む兵士もいた。

 ここにいるのはヴァイス王国の国境警備隊と、普通なら皇女や高位の神官などとは話すことも出来ないような煌帝国の下っ端の兵士たちだ。戦う意志のない国境警備隊はすぐに煌帝国に対して降参したため、別段わだかまりもない。

 どうやら首席魔導士として司法権をが保持していることを理解しており、と彼女と一緒に来た煌帝国が争いを望んでいないこと示すと、戦意を喪失したらしい。

 むしろの方を正当であると認め、首都まで付き従うといったヴァイス王国の将官もいた。



「へー、ゾフルフは綺麗なんだね−。」

様は覚えていらっしゃらないんですか?」

「忘れちゃったんだよ。忘れっぽいから、」




 兵士たちの質問にはへらへらと答えてみせる。そんな彼女を眺めながら、ジュダルも一つため息をついた。





「なんか、すごい溶け込んでるよね〜って、」





 紅覇はジュダルの座っていたカウチの所に座って、足を組み、その上に頬杖をつく。

 はどこに行っても人を集める。だがそれは決してカリスマ性があり、強そうだからではない。彼女は特別賢くもないし、上に立つほどの意志も、目的もない。それでもの元に人が集まるのは多分、彼女が作り出す空気が心地よいからだ。

 はよく人の話を聞く。それもどんなつまらない話しでも、下々のわからない話でも、楽しそうに聞くのだ。その中にはくだらない愚痴もあるというのに、にこにこしながら聞いている。それがまた、他の人が話す機会を促すことになるのだ。

 は上に立つほどの意志もない、力もない、目的もない。あるのは穏やかさと優しさだけ。

 だがそのの危うさを、周りが補っていく。危うく穏やかな彼女を守らなければ、助けなければと、必死で周りが助けようと持ち上げる。はただ、周りにある人々を大事にする。本当にそれだけで成り立っている。




の金属器の力って、ろくすっぽ見たことないけど、あれもまぁ、王の資格ってやつなのかなぁ。」





 紅覇は今まで、いつも傍にいる長兄の紅炎こそが王としてふさわしく、典型的な者だと思ってきた。

 上に立ち、時には犠牲も厭わず、戦い抜く。王として何があっても、誰が死のうとも自分の部下たちのために上に立つことを求められる。孤独で、寂しい、誰よりも強い存在でなければならないと、紅覇は自分の部下たちのためにも思っていた。

 だがは、王の違う一面を見せる。



「…んー、あぁ?、訳わかんねぇよな。」



 ジュダルはけだるそうにに目をやって、息を吐く。

 ジュダルが買った時、はただの宮廷の芸妓のはずだった。なのに、煌帝国においても、傷を治すという形で下々の者からの支持を得、その指揮官である将軍たちからも一目置かれるようになった。その上、第一皇女の白瑛と信頼し合う友人となり、皇后の玉艶とよく会話をするようになり、紅覇とも仲が良い。

 正直、は円滑に人間関係を築いただけだ。しかしそうして築いた人間関係によって、政治的配慮が周囲の人間によって行われるようになった。

 別にヴァイス王国の首席魔導士の資格を持つことが判明したからではない。


 白瑛はいつも友人としてを支えようとしている。下々の者たちもただ、怪我を治してくれたを慕い、将軍は自分の部下を助けてくれたを敬っている。玉艶はに豊かな物品を与えるという形で援助をする。

 に政治的な価値は元々なかったが、首席魔導士という地位がなかったとしても、は十分に政治的な価値を持っている。周囲からの好意的な支持という形で。

 足が悪いは移動するためには浮遊魔法を使うか、誰かに移動してもらわなければならない。だが、誰もの移動を手伝うことを拒否しないし、むしろ皆熱心にの不都合がないかどうか、目を配る。

 立ち上がらなければ手の届かないような所にあるものにが手を伸ばすと、兵士たちや隣にいる白瑛が手助けをする。それを自然に周囲がするのだ。

 それはジュダルも一緒だった。



「このリンゴは、南の方から議会側が回してくれるんですよ。北の方の食べ物は、王様がまわしてくれなくて、」

「うん。このリンゴ、美味しいね、」

、落ちるわ、」



 の言葉に、白瑛が相づちを打ちながらも、が兵士たちの話に夢中で落としかけているリンゴのついた楊枝を、手から取り上げた。



「白龍より、ぜってー手ぇがかかるよな。」



 ジュダルはと白瑛のやりとりをぼんやりと眺めながら、思わず呟いてしまった。

 白瑛には実弟・白龍がいる。年齢としては白龍よりの方が3,4歳年上なわけだが、白瑛の眼の配り具合を見ると絶対に、白龍より手間がかかるであろうことが見て取れる。



ってさぁ、すぐひっくり返るし、とろいもんねぇ〜」



 紅覇もあっさりとジュダルに同意する。

 カウチに座るだけでも、落ちる、もたれてバランスを崩す、ひっくり返るなどはお手の物だ。食べ物を落とす、零すなども日常茶飯事。面倒くさがりのジュダルですらも、こいつどうにかしなければと思う程だ。



「仕方ねぇじゃん、あいつ見てねぇとすぐ暴漢にあって殺されそうだしさぁ、」

「とかいいつつ、ジュダルくんのお気に入りじゃないか。」



 紅覇は少し意地悪く、笑う。



「まーな、」




 ジュダルとて、それを否定する気はない。

 神官であり、マギでもあるジュダルには幼い頃から利益を求めて老若男女問わず、多くの人間が近寄ってきた。皇族ですらもだ。年頃になれば女も抱くことだってあった。



「なんでだったんだろうな、」



 は、辺境の村から遊郭に売られていたが、容姿が美しく、足が悪かったが竪琴の弾けたため、その才能を買われて宮廷に入ったのだ。その容姿の美しさからどの貴族が彼女を買うかと噂になっていたのだ。

 ジュダルはたまたまを見に行き、身に纏うルフの流れを見て、変な奴だと思った。でも、ジュダルが神官だと言おうが、偉い人だと言われようが、にはよくわからなかったのか、敬語でもなく、楽しそうに笑うだけだった。

 そんな彼女を、自分のものにしたいと思ったのが何故だったのか、ジュダルはもう忘れてしまった。



「ま、どーでもいいや。あいつは俺のもんだしな。それに何勝手に、遊んでんだ。」

「一応情報収集だろ。」

「はぁ?遊んでるだけじゃん。」

「兵士たちの話は要するに、南側は議会派が、北側は国王派が指揮をしてるって言っているわけだ。」



 紅炎がたちの話を盗み聞きしていたのか、冷静に分析を加えた。

 下々の兵士たちは連絡こそ受けているが、多くのことを理解していない。ただし、知らないわけではないのだ。彼らが得ている指令や物資の出所、そう言った情報をはあっさりと雑談として兵士たちから聞き出す。

 自身はそれに意味があると思っていないだろうが、幼い頃から皇族として教育を受けてきており、聡明で、そう言った策謀なども見てきている白瑛には、ちゃんと理解できただろう。



「あいつは馬鹿だが、仲間なら役に立つ。それもかつてない方向にな。」



 紅炎は楽しそうに話しているを見ながら、冷静にの能力を評価していた。

 本人はのらりくらりとしているし、いまいち押しても脅しても聞かないので困るが、今まで紅炎が想像もしなかった質の情報を手に入れることが出来ることが、今回の行軍で明らかになった。

 は下々の者に非常に人気がある。もちろん上位の者もに対して悪い感情を抱くことはないが、下々の者から親しみがいがあるという点で絶大な指示があり、そのためには周りから助けられて生きている。

 その情報の質は紅炎が今まで考えたこともないようなものだった。



「馬鹿だがな。」




 紅炎はもう一度付け足した。そんな彼の声に応えるように、は後ろ向けにずっこけた。












いかにあるべきか