煌帝国からヴァイス王国に侵入した、最初の要塞は結界も強固だったが、ジュダルにとっては問題ではなく、結界を破壊すると、後は要塞の中にいる議会派と国王派が争い、煌帝国軍が議会派に賛成する形で、完全に国王派を追い出した。



「あぁ、神よ、マフシード様、様を遺してくださったことを、心から感謝いたします!」



 ヴァイス王国の議会派の兵士たちは主席魔導士への賞賛とマフシードへの感謝を口にしながら、たち煌帝国の一考を要塞の中に招き入れた。

 どうやらの母親であるマフシードは、兵士たちには絶大な支持を受けていたらしい。それは未だ十年たっても変わっておらず、その支持はそのまま娘のに向けられていた。は母親のことを覚えていないがために酷く戸惑っていたが、要塞に入ると、なにかに呼ばれたように顔を上げた。



「どうした?」



 が唐突に顔を上げたので、ジュダルが不思議そうに首を傾げる。

 昼の移動に疲れて魔法で飛べなくなっているはジュダルに横抱きにされている。二人とも一応煌帝国での枠組みは神官なので、政治的な話にはつきあわず、行軍以外の時は結構のんびりさせてもらっていた。

 たまにに会いたいと言い出すヴァイス王国の要人もいたが、に実際に会うと何故か最近の話をして、政治的な話などそこそこに帰ってしまうのだ。の記憶にはない昔のことを知っている人もいるが、彼らもになにかを強制することはなかった。

 記憶をなくしていると聞くと、「仕方ないなぁ、」みたいな反応で終わるのだ。昔からそこそことろかったらしくて、ちっとも期待されていない。

政治的なことは大局的な意志決定のみに委ね、結局実務は全てそれに沿った人々がやっていた。

 そのためは相変わらずジュダルの腕の中でのんびりしている。一番ジュダルの腕の中が安心するのでありがたい限りだった。



「うぅん、」



 は首を横に振って、ジュダルを見上げる。ジュダルは一瞬怪訝そうな顔をしたが、また前を向いた。


 要塞には大きな中庭がある。ふとそこに目を向けると、赤い髪の毛の少年が、何人かの他の少年たちとともに中年の男とともに立たされていた。




「あれ?」



 その赤色には見覚えがある。養父母と同じ、特徴的で独特な赤色の髪だ。が彼に目をとめた途端、太った男が鞭を振り上げた。

 鞭が空を切るひゅっという音がして、は目をつぶって肩を震わせる。次の瞬間、酷くいたそうな音が響いて、悲鳴が舞った。



「奴隷だな。」



 ジュダルが渋い顔をして、ため息をつく。

 今でこそジュダルに買われ、煌帝国の巫女としての地位を与えられ、その上ヴァイス王国首席魔導士の娘だったとわかっているために地位も保証されているが、もヴァイス王国の村から売られて遊郭にいたときや、宮廷に買われたときの身分は一応奴隷だった。

 とはいえは容姿が美しく、足が悪いとは言え竪琴を弾いたり歌を歌える技能持ちであったためまだ食事の量が足りないなどはあったが、扱い自体はましだった。

 だが他の奴隷たちはむち打たれたり、食事を与えられずに餓死することもあった。



「…ひどい、」




 には何も出来ない。呟くことしか出来ないけれど、勝手に目尻に涙がたまった。

 何故叩かれているのかはわからないが、何度も鞭を振り下ろされるほどの津実が彼らには会ったのだろうか。




「あれ、ファナリスか?」




 むち打たれている少年の一人に目を向け、ジュダルは首を傾げる。




「おまえの知り合いじゃねぇの?」

「…違う、よ。でも、…助けられない、かな、」




 ひどすぎるよ、と空気だけで漏らすように呟く。

 にはそれらを止められるだけの力なんてないし、どうしようもない。でも、悲しいと思う気持ちは本当だ。



「なんで…、」



 くしゃりと表情を歪めれば、ジュダルが大きなため息をつく。



「仕方ねぇな。今回だけだぜ。」

「え?」




 はジュダルを見上げる。彼は眉を寄せていたが、少しはにかんでいるように見えて、それを誤魔化すように不機嫌さを装いっているようだった。それが何故かわからなかったが、ジュダルは一歩庭の方へと足を踏み出した。



「おいおい、たいそうなことやってんじゃねぇか。」



 ジュダルが太った男に声をかける男は一瞬悪態をつこうとしたが、ジュダルとの顔を知っていたのだろう。一瞬にして表情を凍り付かせた。

 黒の神官と白銀の巫女。その相反する容姿のせいか、ジュダルとは非常に目立つ。しかもある程度の地位の者は皆、ジュダルがマギであることを知っており、これでもかと言うほど敬って接するのが普通だった。



「こ、これは奴隷ですので、」



 男は言い訳を口にする。は目尻を下げた。

 どうして同じ人だというのに、ただ奴隷だという理由だけで、これほどに酷い扱いが出来るのだろうか。改めて見ると、鞭で打たれていた少年たちの躰にはたくさんの裂傷が出来ており、ひどい状態だった。特にファナリスの少年の傷は深い。



「奴隷ねぇ、じゃあ俺が買っても問題はねぇ訳だ。あとで紅炎に言いに行けよ、」

「え、はっ?えええ!?」 



 太った男は驚いたようにジュダルを凝視するが、ジュダルは気のない様子で言って、を片手で抱えなおすと、膝をついている少年たちに近づき、自分の杖を彼らに向けた。魔法で足かせ、手かせを壊すためだ。





「え、良いの?」

「良いんじゃね?別に。」



 紅炎に言えば、見事なまでに値切って買い取ってくれるだろう。ジュダルには神官として、そしてマギとして莫大な金銭が与えられている。紅炎が奴隷たちを買った金を請求したいならすれば良い。ただおそらく紅炎はそんなことしないだろう。



「あ、あの…」



 改めて数えてみるとファナリスの少年も含めて男が2人、女が1人。計4人を助けたことになるわけだが、奴隷だった彼らに雇い先などない。奴隷として生きてきたならなおさら、働き場所などいくらでもあるのだが、探し方も知らないだろう。



「おまえら、字ぃ、読めるか?」



 ジュダルは自分の杖をしまってから、彼らに尋ねる。奴隷、今この瞬間元奴隷となった彼らは互いに互いの顔を見合わせ、女と男の一人がこくんと頷いた。



「あ、そ。じゃ、そいつらはあの太っちょについて、紅炎に仕事くれって言ってこい。神官が言ったっていえ、」




 ジュダルが適当に言うと、彼らは戸惑っていたようだったが、おずおずと元飼い主の太った男へとついて行った。紅炎も呆れるだろうが、紅明を首都に置いてきてしまったため、雑務がたまっていたはずだ。字が読める奴ならば役に立つから、喜んで使うはずだ。

 残ったのは男二人。ファナリスの少年は、12,3歳くらいだ。明らかにジュダルやよりも年下で、身長もよりもまだ低そうだった。



「どうするかね。」



 ジュダルは少年をじっと眺める。ただはどうしても彼の怪我の方が気になったらしい、自分の長い銀色の杖を彼に向け、傷を治す。



「大丈夫?」



 はジュダルの腕の中から、彼に手を伸ばす。自分の傷が治ったことに少年は酷く驚いたらしいが、その緋色の瞳でを見つめ、その途端、涙がたまった。



「…あ、あれ?」



 少年は自分が泣いているのが何故なのかわからないのか、首を傾げ、自分の頬に触れる。だがはたとの伸ばした手をじっと見て、その手をまるで壊れ物でも触れるかのように恐る恐る、そっと両手で額に押しつけるように触れた。



「…」



 心にわき上がるのは魂に刻まれた願い。誓い。それをまだ、彼は知らなかった。







刻印