が拾った少年は、名前がなかったらしく、によってアルスランと名付けられた。彼が生まれたというヴァイス王国の北の端のトラン族の言葉で獅子と言う意味らしい。



「すごいんだよー、わたしより小さいのに、ジュダルとわたしとフィルーズをねぇ、まとめて持てるの。」



 いつも通りのんびりした声音で、はにこにこと笑う。カウチにはジュダルも腰掛けており、カウチの傍らには噂の少年が立っている。



「ファナリスだからな。」



 紅炎は素っ気なくに答えた。

 赤い髪の少年は、間違いなくファナリスと言われる戦闘民族で、怪力で有名だ。かつてヴァイス王国では司法を司る首席魔導士の元、ファナリスの部隊があった。そのため多くのファナリスがヴァイス王国に自由民として住んでいたのだ。

 しかし、首席魔導士だったの母マフシードが殺された後、ファナリスは大きな反乱を起こし、結果的に粛正され、多くが奴隷となったり隠れ住むこととなった。

 彼らは力が強く、躰も頑強で、奴隷としての過酷な労働にも十分に耐えられる。



「まぁ、良いんじゃないのか。」




 紅炎はそう結論づけた。

 これでが首席魔導士という地位を手に入れた場合、確実に雑務は増える。今まで退屈で気ままなジュダル一人だったから良かったが、がおり、は自分の身すらも自分で守れず、あまり賢くないため指示を与えることは出来ない。

 決定をジュダルが、手配をこの間雇ったの従兄弟であるフィルーズが、実務をこのアルスランという少年がやればベストだろう。ジュダル、、そしてフィルーズ三人ともが魔導士であるため、ひとり手元に腕力でものを言わせられる人間がいるのは重要だろう。

 そういう点で、は良い人間を拾ったと言える。



「国王派は首都のゾフルフにいるそうだ。副議長であるイマーンの連絡では、議会派は隣の商業都市タラーイェフを中心にしているそうだ。俺たちはタラーイェフに入り、その近くの平野で決戦と言うことになるだろう。」



 今のところ大きな戦闘もなく副議長として、ヴァイス王国に侵入してからも行軍を続けている煌帝国軍だが、国王派が多くを占める首都を制圧しなければならない。決戦は避けられないだろう。ただ、幸いなことに商業都市が近くにあるのならば補給も問題ないだろうし、煌帝国側も万全の体制で力を発揮できるはずだ。



「ふぅん、良かったね。」



 はよくわかっていないだろうが、ひとまず良い知らせだとだけ理解して、手を叩く。



「おまえ、本当に気楽だよな。俺が慎重な気がすんぜ。」



 ジュダルは頬杖をついて、の頭をぽんっと二回叩いた。比較的よく考える方ではない。だがあまりにが考えなしなので、自分が考えなければならない気がするのだ。



「ちょっとよろしいですか?」



 武官が部屋へと入ってきて、紅炎に言う。



「なんだ?」

「国王派の使者が、さんに会わせるように言いに来ているのですが。」

「何?」




 主席魔導士として、を必要としているのは総じて議会派のはずだ。国王派は主席魔導士の持つ司法権を自分たちが保持したいと願っており、を殺すことを目的としている。今もと煌帝国に協力しているのが議会派、を殺そうとしているのが国王派である。

 その国王派が、に一体何の用なのだろうか。



「罠か、それとも…」



 紅炎は髭のある自分の顎に手を当てて、少し考え込む。現在が魔導士として無能というわけではないが、おそらく咄嗟に自己防衛するだけの能力はない。必ず多くの人の同席が必要となる。だが相手もそれを予想しているはずだ。

 紅炎はヴァイス王国の副議長であるイマーンから幼い頃のの話を聞いていた。

 いくつか彼は隠していることがあるようだったが、彼はが記憶をなくしたと聞いても驚かなかった。というのも、彼女は元々のんびりしていて、忘れっぽく、あまり賢くなかったそうだ。だからこちらが自発的に動いてどうにかしなければいけない。それが常だったらしい。

 そのため彼女が大局的にこうしたいと言えば実際に動いたり、考えたり、その方法を実施するのはいつも彼女の周りにいる人間だった。

 ならば国王側も、の傍に人がいないとは思っていないだろう。




「俺たちへの、メッセージでもある、か。」



 煌帝国の、そしてヴァイス王国の議会派を取り仕切る人間がの傍にいることはわかっているはずだ。

 金色ではない、漆黒の鳥がすっと流れていく。



「どうする?」



 紅炎はちらりとを見てから、ジュダルに言った。が嫌だというに違いないと予想したからだろう。だがジュダルも最近ではほとんどの意に沿わないことはしない。



、どうする?会うか?」



 ジュダルは隣でジュダルにもたれかかるようにぼんやりしているに尋ねる。は僅かに頭を傾けてジュダルを見て、少し考え込むように目を伏せた。



「うーん、会ってみようかなぁ、」



 にとってヴァイス王国と関わるというのは、失った記憶を取り戻すことにもつながる。そのことには極度に怯えていた。その彼女としては、随分と好意的な反応だ。紅炎と武官は僅かに目を見張って彼女の判断に驚く。

 それはジュダルも同じだったらしい。



「珍しいじゃん。嫌がらねぇのかよ。」

「…んー、あんまり、会いたくないよ?でも、なんで襲われてるのかなぁって。ちょっと不思議で、」



 には政治的なことはよくわからないらしい。だから、どうしても自分が殺しに来る彼らのことが納得できないようだ。



「フィルーズさんにご意見を伺いましたが、反対しておられました。国王のヴィルヘルム4世は非常に恐ろしい方だそうで…。」



 フィルーズはの従兄弟であり、いくつも年上だ。しかも首席魔導士まで輩出し、魔導士としても名門と言われるスールマーズ家出身で、ヴァイス王国の国情にも通じている。

 彼曰く、現在の国王の年齢は40代前半で、非常に狡猾で賢いということだった。用心深く、昔は聡明で有名であったそうだが、が生まれた頃から疑心暗鬼となり、王位を簒奪されるのではないかと怯えて、大規模な粛清を行うようになったそうだ。

 時を同じくして議会とも衝突するようになり、現在は王宮があり、国王が住む首都のゾフルフと、議会派が中心的な役割を担う商業都市タラーイェフを舞台ににらみ合っている状態だという。



 ――――――――――――――――あいつは悪魔だよ、



 両親を人質に取られてを殺しに来たフィルーズは、そう呟いていた。

 賢いからこそ、恐ろしい知略とともに、人を貶める。とてもとても恐ろしい人間だと、彼は国王のことをそう評していた。フィルーズは国王が使者を使ってを脅す気だと思ったのだ。何らかの精神的な形で。



「彼はフィルーズのお父さんとお母さんに酷いことをするって言った人だよね。それはどうしてなのかな。」

「そりゃ、フィルーズに自分の命令を聞かせて、おまえを殺させるためだろ。」

「うん。そうかもしれない。でも、それはその彼がでしょう?」



 ジュダルの説明には首を傾げる。



「他の人がどうして、そんなに酷いことをするのを手伝えるのか、直接来たその使者のお話が聞きたいんだよ。」



 使者としてやってきたのは、当然だがヴィルヘルム国王本人ではない。もし酷い罠だったり、脅しだったとして、その命令を連れてくるのは使者だ。だからその使者に問いたい。



「あ、でも、…でも、攻撃されたら、わたし弱いから死んじゃうかな。」

「いやいや、おまえ一人じゃねぇよ。俺も一緒に決まってんだろ。」



 ジュダルは軽くの頭を叩く。しょんぼりして何を言い出すかと思えば、自分の身の心配だったらしい。



「それにアルスラン、おまえだって来るよなぁ。」



 ジュダルは隣で立っているアルスランに目を向ける。彼は背丈もジュダルよりまだ小さいが、ファナリスだけに力は強いし、脚力がすごいらしく俊足の持ち主だ。逃げ足も速いだろう。強靱な肉体という、一番魔導士に足りない部分を持っている。

 アルスランは一瞬きょとんとしたが、脳しんとうでも起こすのではないかと思うくらいぶんぶんと思い切り縦に頭を振った。



「当たり前だ。おまえが今死んでもらったら困る。当然、俺も同席する。」




 紅炎も呆れたようにそう言って、ため息をつく。

 こんな弱くて、頭の足りない奴を一人で会談に臨ませるなど狂気の沙汰だ。それがなんとなく意図しなくてもの手の中の気がして不快だったが、放って置いたら放っておいたで本当に一人で会談に昇るだろうから、こちらが自発的に気をつけるしかないことをもう理解していた。



己が罪