金色のルフはを守るように舞う。



「ねえ、貴方は知っているのに、黙っている。」



 ババクはが死ねば、の生まれ育った村にいたファナリスたちを助けてくれると言った。

 はただ、自分が辺境の村で育ってきたと思っていた。実母の記憶もない。ファナリスである養父母に育てられた、それがの知る自分自身だ。

 それは今も昔も、変わっていない。それ以外知ろうとは思わない。でも、



「もう、この指輪の持ち主は、死んでる、」



 は目を伏せて、瞼の裏にある自分の故郷を思い浮かべる。

 歩けないはふわりと宙に浮いたまま、俯く。この指輪の持ち主は、自分の養父だ。ファナリスで、誰よりも強い、自分をずっと育ててくれた人。実父母なんて、記憶にない。でもいつも抱きしめ、笑いかけてくれたのは、養父と養母だった。

 それに、指輪が纏っているルフは一つではない。

 金色の鳥が俯くの頬を優しく、慰めるように撫でていく。無念だっただろう。でも、後悔はないと悲痛な思いで、心から満足して、犠牲になったことが、伝わってくる。死した者から出てくるその率直で嘘のない感情が、突き刺さるように痛く、悲しい。



「貴方はどうしてそれを、言いに来たのかな、」



 は翡翠の瞳をまっすぐとババクに向ける。その人は決して誰かを責めない。だが悲しみにも、背を向けない。

 ただ、どうしてかと、ただ、問う。



「わ、私は、王に仕えてきたんだ、王の意志に従うのが、」



 ババクは言い訳を口にした。はゆっくりとした動作でふわりと浮いて、カウチに戻る。その白くて小さな手には、指輪が両手で握られていた。




「王様は、なんでもできるの?いつでも正しいの?」

「それは、」

「わたしは、いつも間違うよ。」




 の細い声が、ババクの声を遮る。




「わたしはなにもできないし、わからないことがたくさんある。でもそれをみんなが教えてくれる。」



 は足も悪い。辺境で育ったが故に知っていることも少ない。記憶もない。でも周囲の人々はにそれを感じさせないし、大切にしてくれる。だから、は自分がいつも正しくないと知っているし、わからないことが多いのも、出来ない事が多いのも理解している。



「だから、それで考えるの。わたしの考えていることがあっているのか、間違っているのか、だってわたしがすることは、わたしの責任でしょう?」



 は馬鹿だ。自覚もある。だからたくさんのことを聞いて、それから自分の責任で、答えを出す。それには納得している。だからが選んだ選択の責任は、どんなことであっても全てにある。

 そう心から思っている。



「貴方は、どうなのかな。」



 は言葉を失っているババクに、答えを求めなかった。ただその銀色の小さな指輪に自分の右の人差し指を通す。確かこの指輪は父の小指にはまっていたはずだったが、それでも躰が大きかった彼の指輪はの人差し指にもぶかぶかだ。

 もう一度外して、血の挟まったその指輪を窓の光にかざすと、翡翠の石と裏側に刻まれた文字がきらきらと光る。



「これは、返してもらうね。お父さんのものだから、」



 指輪は男物なのだろう。そして、恐らく元は実父のものだったのか、サィードと職人が掘った字が書かれている。だが、その反対側にはバデルへ、と小さく、小石かなにかで歪に刻まれていた。それは汚かったが、に対するものだろう。

 バデルとは、「神の娘」の意味だ。



「す、少なくとも、貴方が死ねば、貴方の母上に助かる可能性はありますが。」



 ババクは狼狽えながらも、そう言った。

 確かに、がここで死ねば、義母は助かるのかも知れない。だが、保障はないし、が死ねば少なくとも義父が命を賭けた意味は水泡に帰すことになる。



「…もう良いよ。帰って。」



 はいつもと変わらぬ、のんびりとした穏やかな口調で言って、自分の白く美しい服で指輪についた血を拭う。



「ちょっ、おまえっ、」



 ジュダルが白い服が汚れるのを危惧して、それを止める。



、手ぬぐいがあるわ。」 



 白瑛が慌てての手に、自分の持っていたハンカチを渡した。紅炎もため息をついて近くにいた衛兵に、濡れた手ぬぐいを持ってくるように指示をする。それを眺めていたババクはどうして良いかわからず立ち尽くす。



「され、俺たちは脅迫するような交渉は受け付けない。」



 黙っての様子を見ていた紅炎が低い声でババクに退出を命じる。彼は狼狽した様子を見せていたが、頭を下げ、衛兵たちに促されるまま立ち去った。

 は白瑛から借りたハンカチでこしこしと指輪を拭いていたが、ふと俯き、手を取る。



「ふっ、」




 ぽたりと指輪に滴がこぼれ落ち、血を落としていく。



「父上からの最期の贈り物を、悲しみで満たしてはいけないわ。」



 俯いてぽろぽろと涙をこぼすの指輪を持ったその手に、白瑛がその手を重ねる。

 それはきっと、に届くことを願って残されたものだろう。だがそれは、悲しみにとらわれるためにあるのではない。



「みんな、おまえのこと愛してるって、」



 ジュダルは素っ気なく言ったが、の頭を抱えるように片手で自分の方に寄せて、抱きしめる。

 金色の鳥があたりに舞っている。きっと悲しい死に方をしただろう。無念だっただろう。でもに会えて、ルフたちはただ、落ち着いている。寂しがらないでと慰めるそれは、彼女の父や、辺境の村で一緒に過ごしていた人々の者なのだろう。

 ジュダルの目に見えるルフたちは、これ以上ないほどにを心から愛している。



「うん、わたしも、みんな、だいすき、…」



 養父のことが大好きだった。村を出るその日まで、は彼が実父だと思っていたし、それだけの愛情をいつも与えてもらっていた。養父は酷くに甘くて、よく養母と喧嘩をしていた。いつもを愛していた。

 村の人も、歩けないをいつも大切にしてくれていた。ジュダルからファナリスは強靱な肉体を持っていると言っていた。だから、を身体が弱いと笑いながら、色々な場所に連れて行ってくれたし、いつも優しくしてくれた。

 はあの場所が愛しくてたまらなかった。もう、戻ることは出来ないのだと、実感する。



「みんなが、待ってる、から、行かなくちゃ、」



 遺体はきっと国王派が支配する首都のゾフルフにある。彼らを弔うためにも、脅しに屈したとしても死んだ彼らに何の意味もないから、は脅しをはね除け、ゾフルフに行かねばならない。

 そしておそらくが生き続ける限り、人質としての利用価値がある義母は少なくとも生きていられるだろう。



「でも、…行きたくない…」



 見たくない。ルフを見れば、すぐにわかる。義母はわからないが、他の彼らはもう死んでいる。遺体はきっと国王の下にあって、それを取り戻さなければならない。でも、それを目の当たりにはしたくない。

 養父母には、村から売られた時に、帰ってきてはいけないと言われた。いつかマギが迎えに来てくれるからと。実際にマギであるジュダルが自分を買ってくれた。養父母が言うとおり、あの穏やかな日々に戻ることは出来ないのだと、理解はしていた。

 でも、いつか、いつか生きていれば、義父にも、義母にも会えると信じていた。



「それは、おまえの自由だ、」



 ジュダルはの長い銀色の髪を撫でながら、強く言う。

 紅炎はをつれて首都のゾフルフに入るつもりだろう。はヴァイス王国の首席魔導士の地位を今、保持している存在だ。ヴァイス王国へ煌帝国が侵入する正当性は、の地位の確保である。

 煌帝国にとってはがいないと困るし、とともに攻めていくのが一番良いに決まっている。だが、ジュダルには別に煌帝国のことなんてどうでも良い。だからの意志を守るためにその地位や力を使うことを別に何とも思わない。

 恐らく随行している他の神官を使って玉艶に連絡を取れば、を気に入っている玉艶が動いてくれるはずだ。彼女にとって紅炎を黙らせて煌帝国にを戻らせることはそれほど難しくないだろう。だから、ジュダルの言葉に嘘はなかった。

 は少し身体を離し、じっとジュダルの真意を探るようにその翡翠の瞳で見上げる。潤んだその翡翠の瞳は綺麗で、ジュダルは嫌いじゃない。




「冗談じゃないぜ。好きにしろよ。」




 愛しさという感情がどこにあるのか、親を知らないジュダルにはよくわからない。でもに寄り添うのは、悪くない。

 は少し眉を寄せ、考えてからジュダルの肩に自分の頬を押しつける。



「…ジュダルも行くから、行く、」



 情けない声音でが呟くように言うと、隣で白瑛が小さく吹き出しての小さな手をぎゅっと握る。紅炎はその答えに満足げに頷き、の頭を軽く叩いた。

 ひとりじゃないよ、と。

 声なき声が、温もりとともにに語りかける。いつも、そうだった。愛されている、そのことだけは、誰よりも知っていた