ヴァイス王国の議長イマーン・パールシャーが覚えているは無邪気でぼんやりとした子供だった。

 レーム帝国のマギ、シェヘラザードによって選ばれた、ヴァイス王国の次期首席魔導士。母親であるマフシードの後を継いで司法を司る首席魔導士になる予定の幼女は、魔導士としての資格でもあるルフを見る目も、何も持っていなかった。

 だが、何故か彼女は生まれながら歌とともに他人を治癒する力を持ち、それを人々は神の娘の力だとして受け入れた。本人はきっとその気はなかったし、頭の方は別段良くなかったは、恐らく自分の立場をちっとも理解していなかった。

 そのためなにかと勝手にファナリスや、周りの者たちとともに出かけていた。

 は生まれながら足が悪く、一人では出かけられない。だが幼く、無邪気なの周りにはいつも人が集まっていた。親子どころか既に初老の粋だったイマーンも、辛くなるとの元に愚痴りに行っていた。

 彼女は何もわかっていなかっただろう。だが、うんうんと聞いてくれる彼女が酷く心地よかったし、たまに口にする言葉も、のんびりしていて、そのくせ本質をついていて、もう一度考え直そうと思える時も多かった。


 きっと皆同じだったのだろう。

 国王派と議会派の対立。司法を司り、公正を旨とする主席魔導士マフシードはその間で、公に横暴な国王を非難することが多くなっていた。既にが生まれた頃から始まっていた対立は、国を揺るがすようになっていた。

 そんな時、まだ幼いを、当時は王太子であったヴィルヘルムは突如現れた迷宮に突き落とした。幼く足の悪いを助けるために多くのファナリスや魔導士が中に入ったが、どうしようもなく途方に暮れていた。



 ――――――――――――どきなさい!私が、私が行くわ!!



 マフシードは立場も忘れ、迷宮に入ろうと必死になったが、ファナリスたちが止めた。次期首席魔導士であるが迷宮で行方不明、その上主席魔導士であるマフシードが死んでは国家として成りたたない。

 取り乱すマフシードの代わりにを助けるべく迷宮に入ったのは、商売をするために来ていたシンドバッドという男だった。

 そしては“王の力”を手に入れて戻ってきた。彼女は本当に特別な子供になった。




「よくわかんないけど、王様と直接お話し合いがしたいな。」



 翡翠の大きな石のついた銀色の杖を携えた長い銀髪のおさげの少女は、口にしているのは真面目な話だったが、カウチに座ってヴァイス王国名産、バームクーヘンをむしゃむしゃと食しているので、正直滑舌も悪く、どうしても内容が頭に入ってこない間抜けさがある。



「おまえさぁ、いい加減ちょっと取り繕うってことおぼえろよ、」




 ジュダルは同じカウチに座ってはいるが、肘置きに肘をついて、頭痛がするとでも言うように額を押さえる。



「そう、かな?」



 はのんびりと穏やかに首を傾げてジュダルを見る。



「かなぁじゃねぇだろ!?こいつヴァイス王国の議長だろ!?」



 ジュダルはイマーンを前にしてを怒鳴りつける。

 その行動もまた大いに問題だったが、彼はマギだ。首席魔導士に対するその無体が許されるだけの立場にある。だが、は違うだろう。ただにはそんなこと理解できない。

 目の前にいるイマーンはヴァイス王国の議長で、今回の戦いにおいてはヴァイス王国の議会派の最高指導者でもある。

 も一応首席魔導士という立場にあるし、煌帝国の後ろ盾もあるが、誰が見ても煌帝国の皇太子である紅炎が煌帝国軍を率いているし、言ってしまえばはお飾りだ。そのお飾りと実質的な立場を持っているイマーンとでは本来立場が違う。

 なのに、はイマーンから形式上の菓子をもらった途端、それを食べたいとぼやきはじめ、むしゃむしゃ食べながら会談をするという常識を逸した事態を作り出していた。同席している白瑛もあまりのの行動に注意する言葉も失い、凍り付いている。



「え?あ、え、あ!イマーンさんと白瑛も食べるのかな。美味しいよ。」

「違ぇよ!!」



 一応国家同士の会談なのだから、取り繕えと言っているのだ。ただにそう言った感性は理解できないのか、首を傾げるばかりだった。

 記憶をなくしてから、はずっと辺境の村で育っている。そこにはヴァイス王国の税官吏すらも訪れなかったため、上下関係というのが未だにいまいちわからないようだった。

 煌帝国でもなんだかんだいって、マギであるジュダル付きの巫女であるため、身分や地位からは一線を画す、聖なる存在だったし、煌帝国で一番の権力者である皇后・玉艶がそれを認めているため、相変わらず身分制度や上下関係から浮いていた。




、し、神官殿、そのへんに…」




 白瑛が議長のイマーンを気にしながら、二人を止める。つまらない口論もまた、この場にふさわしくない。失礼なのは正直、ジュダルもも一緒だ。しかし、議長であるイマーンは別に気にしていないようで、穏やかな笑みを浮かべ顔についた皺を深くする。



「よろしい、よろしい。お元気なようで何よりです。」



 イマーンにとってみればは幼い頃から知っている娘のような存在だ。主席魔導士という肩書きはわかっているし、後ろに煌帝国があるのも知っているが、年相応に騒ぎ合っていたとしても、別に気にならない。



「だって美味しいもん。煌帝国はみんな蒸すでしょ、焼かないと。」



 煌帝国の菓子は小麦を使わないことも多く、焼くより蒸す方が多い。それに対してヴァイス王国の菓子は小麦と卵を使った焼き菓子が多かった。牧畜も盛んであるため、チーズやクリームをたっぷり使ってあるところもが好む一因だ。

 やはり辺境とは言え、はヴァイス王国で育っているだけあって、小麦や乳製品が好きだった。



「うまいとかの話じゃねぇ。国王派の軍隊はもう平野に集まってんだろ?」

「だから王さまとお話し合いできないかなってお話だよ。ほら、おじさんにも言ったでしょう?やっぱり人がいっぱい死ぬのは良くないよ。」



 はバームクーヘンを口に運びながら、ね、と言う。



「ね、じゃねぇよ…。おまえ本当に甘ぇ、」

「あ、これ甘くて美味しいよ。ジュダルも食べる?」

「そっちの話じゃねぇよ。もう良いわ。アホくせ、…食う。」



 疲れてきたのか、諦めたのか、ジュダルもため息をついて、からフォークを奪い取った。ケーキはふっくらしていて美味しいし、ほんのり温かい。女官が柔らかくなるように少し温め直したのだろう。



様、国王であるヴィルヘルムは、残酷な男ですよ。話し合いなど、何の意味もなさないでしょう。力で押さえようとするだけです。」



 イマーンは穏やかに、だがはっきりとに言う。



「それフィルーズも言ってたよ?みんな同じことを言うんだね。」




 はのんびり言って、フォークを降る。せめて魔導士ならば杖を振って欲しいところだが、は自分の魔法の杖をカウチに立てかけていたが、ずり落ちて床に転がって、拾いもしない。



「でも、父さんたちを、返してもらわなくちゃ。それに母さんももしかしたら、生きているかも知れない」



 自分を育ててくれた義父たちが、既に死んでいることはわかっている。きっと拷問で酷い殺され方をしただろう。遺体は決して良い状態ではないことを覚悟しろと、紅炎からもはっきりと言われた。恐らく捕らえられたというの従兄・フィルーズの両親も無事ではないだろう。

 義母も同じく生きているかはわからない。

 だが、どんな姿だったとしても、彼らを国王のところに置いていくわけにはいかない。それはきっと国王に人質をとられ、殺された議会派の人々の遺族も同じ思いだろう。

 必ず首都のゾフルフに行かなければならない。




「…それは、皆、同じ思いですが。」




 が伝えた悲しみと哀悼、そして自分たちが前に進むために首都のゾフルフにある遺体を引き取ることは、悲しみを裏塗りするためではなく、二度と同じことを繰り返さないように、前へと進めるように、必要なことだ。

 その認識は、議会派の中にも共通のものとして根付きつつある。だが、が国王と直接話し合うことに、皆の身を案じて反対した。

 確かに彼女が直接話し合えば、煌帝国の後ろ盾もあるので戦いではない形で妥協が引き出せるのかも知れない。だが国王がどれだけ残酷な人間かも知っているため、の身の安全を考えれば誰もが彼女が国王と直接話し合うことに賛成できなかった。




「でも、戦いになったら兵士さんも、大変だし、白瑛やジュダルや、紅炎おじさんが戦って死んじゃうより、お話でそれが止められたら良いと思うんだ。」




 は翡翠の瞳を細める。その美しい瞳は、遠く魂に刻まれた悲しみを写す。



「わたしは弱いし、何も出来ないけど、みんなのために、出来ることがしたいんだ。」



 戦いになるより、よく話し合って、少しでも戦う可能性を減らした方が良い。模索した方が良い。あの遠い日のように、全てを奪われる前に。






幻想の夢と現実