ヴァイス王国の議会派と、煌帝国軍の兵士たちが列になって平野へと向かっていく。それを空飛ぶ絨毯の上から眺めながら、ジュダルは息を吐いた。今回の主役であるはジュダルの膝の上に頭を預け、丸まって眠っている。



「だいたいね、なんだかんだ言いつつ、君はに甘いんだよ。」



 の従兄弟であり、ジュダルの武官でもあるフィルーズは心底呆れたように青色の瞳を細め、秀麗な顔立ちを歪めた。



「はぁ?良いじゃねぇか。戦いの準備が整ってからなんだろ。会談は。」



 司法を司る主席魔導士であると、ヴァイス王国の国王との会談は、軍隊が平野に集められてから、向かい合った軍隊の中間地点で行われる。相手側にも魔導士と金属器使いがいるため、も精一杯の護衛がつく予定だ。

 を失っては少なくとも煌帝国軍と、議会派の正当性はなくなる。司法を司る主席魔導士のが国王をおかしいと言うからこそ、彼を断罪することが出来るのだ。



「紅炎様も国王との会談を許すなんて、」



 正気の沙汰じゃない、とぶつっとフィルーズは口にした。

 に対して、国王のヴィルヘルムは彼女の養父の指を贈り、が死なない場合、養父を殺すと言ってきた。だが、その指についていた指輪が纏うルフは、の養父が既に死んでいることを知らせていた。

 彼はの養父を助ける気などなかったのだ。

 フィルーズもまた、両親を人質に取られ、従妹のを殺すように命じられて煌帝国に来ていた。他の議会派の人間の中にも、国王に人質をとられ、内通していた人間がたくさんいたそうだ。ただしその人質の多くは、どちらにしても殺されていた。

 国王派が本拠地とする首都のゾフルフがどうなっているのか、議会派の人間たちは自分の大切な人に遺体でも良いから会いたいと願うと同時に、現実を直視することを恐れている。

 それでも未来を見据えるために、議会派の者たちは戦うと決めた。という存在に後押しされて。



「まぁさ、正直言って、俺もじゃなければ、馬鹿だって笑い飛ばしただろうな。いや、バカだって笑い飛ばしてんだけどさ。みんな。」



 ジュダルは頭の中でと国王との会談を思い浮かべて、これを望んだのがでなければ、誰も許さなかっただろうし、馬鹿な意見だと笑い飛ばしただろう。実際に煌帝国側も議会派も、全員が一致しての決断に反対しており、望んだのはだけだ。

 ジュダルですらも、国王と会談したとしても彼が素直に引き下がるとは思えないし、が脅されたりして傷つくだけで、戦いを止められはしないと思う。

 確かに会談をする限りは面と向かうわけで、無傷で国王を捕らえるチャンスは出来るかも知れない。しかしながら仮に国王を捕らえたところで跡取りがいるだろうから国王派の軍隊が降伏するかどうかはわからない。

 それに対してこちらは、主席魔導士であるの次の主席魔導士は決まっていない。を失えば、議会派も、煌帝国も正式な切り札と言える存在を持っていない。

 が会談を望む理由は二つ。戦争になればたくさんの犠牲者が出るから、そして首都のゾフルフにある議会派のみんなの愛しい人、の養父やファナリスたちの遺体を取り戻したいからだ。だが、その目的は、を失うかも知れないと言うリスクにかなうものだろうか。

 普通なら、馬鹿だとはね除ける、陳腐な望みだ。

 だが結局は全員が、の望みを叶えるために動いている。馬鹿なの望みを笑いながらも、そして反対しながらもその行動を助けている。



「…君さぁ、シンドバッドって知ってる?」

「知ってるも何も、知らねぇ奴がいんのかよ。」



 ジュダルはフィルーズの質問を鼻で笑う。

 この世界の人間なら、の用によほど情報の入ってこない辺境にでも住まわない限りは、その名を知らない者などいないだろう。

 七海の覇王、シンドバッド。シンドリア王国の国王であり、七つの金属器を持つ、かつてない王の資格を持つ人間だ。マギであるジュダルは何度も彼と争ってきたし、顔も知っている。アルサーメンとともに彼をはめたこともある。



が国王に迷宮に落とされた時、を助けに入ったのが彼だった。一年ほど、彼とは旅をしていた時期がある・今のは覚えていないだろうけど。マフシード様が殺されたのは、彼がを国に返すために二度目に訪れた時だよ。」



 フィルーズの言葉にジュダルは目を見張る。

 世界中を旅していた彼ならば、確かにヴァイス王国を訪れていたとしてもおかしくない。だがまさかと関わりがあるとは思っていなかった。確かにヴァイス王国の議長であるイマーンも言っていた



『もし、真実を知りたいと思う日が来たなら、残り2人のマギと、シンドバッドを探しなさい。おそらくあの日と、すべてをご存じのはず。』



 何故、マギの他にシンドバッドが入っていたのか、それはとシンドバッドが有ったことがあるからなのだ。



「彼は言ったんだ。王の力は、ある意味で他人を自分の思うとおりに動かすことだって。」



 フィルーズも当時、10を数えたくらいの子供だった。はとろくて放っておけなかったけれど、まだ彼女を酷く敬う人々の気持ちはわからなかったし、王の資格なんて、もっと理解できなかった。だが、シンドバッドはの中に、違うものを見た。



は他の人とは違う、王の力があるって。」



 誰もがに甘い。厳しくしようとする人もいるが、結局の穏やかさととろさや馬鹿さ加減に負けて、正論や常識を押しつけることをやめてしまうのだ。

 には他人を率いるための“強さ”というカリスマ性はない。

 彼女は足も悪く何の力もない。出来るのは他人の傷を治すことだけで、強さで誰かを守ることも、他人を引っ張ることもない。



「強さって言うのはさ、その人が何かしら困っていたり、不幸に見舞われていなくちゃ見せる機会がないんだ。でも、は逆でいつも誰かが助けてないといけない。」



 誰かを守る、強さを示すというのは、誰かが不幸でないと出来ない。逆境でなければその強さの真価はわからない。だが、は弱くて、いつも誰かが助けなければならないほど危なっかしく、足も悪いのでいつも誰かの手がいる。

 別にが人を必要とするのに、他人の不幸はいらないのだ。





を誰もが助けてしまうんだ。何でかは、わからないけど。」



 が特別誰かからの助けを望んでいるわけではないし、助けを望んで弱いふりをしているわけでもない。自覚がないからこそ、恐ろしいし、自覚がないからこそ危なっかしくて、誰もがに手をさしのべてしまう。



「なんかさ、それ聞くとに踊らされてるみてぇで、すっげーむかつくんだけど。」

「…僕もそう思うけど、仕方ないよね。でも、一つだけ多分、を助ける僕らは、他の王を崇める人たちと違うことがある。」



 が馬鹿すぎてそんな計算すらも出来る存在でないことは、フィルーズもよく知っている。だから、もう助けるのは自分の意志なわけだし、仕方ないのだと諦めてしまう。そうなればもう、を甘やかす信奉者の一人でしかない。

 だが、一つだけ、シンドバッドは、を愛する人々が、普通のカリスマ性を持つ王の資格を持つ人々をあがめる臣下と違う点を見つけていた。



はいつも正しくないから、僕たちが考えて、を支えていかなくちゃいけないと思うことだ。」



 無茶なことを言うの意見に従いながらも、フィルーズたちはの考えが酷く足りないこともわかっている。だから、予測しうる限りに降りかかりそうな不幸や、事態を自分たちで視野に入れ、考えるのだ。

 そう、フィルーズたちはがあまりに馬鹿なことを知っているため、方法や結論をに完全に委ねることが出来ない。



「これが王の資格を持つものなら、のように馬鹿なことを言ったとしても、なにか考えがあるんだ、自分たちとは違うからって、思って従うんだろうね。」



 強さやカリスマ性は、いつの間にか人を狂わせる。

 彼がするのだから間違いない、いつしか彼の言うことは全て正しいのだと、盲目的に信じてしまう。自分とは違う強さを持っている彼は、自分たちの考えもしないことが出来るのだと、まるで自分とは違うものだと勘違いして、託してしまうのだ。同じ人間なのに。



「でも、は馬鹿だから、特別だったとしてもわかんないし、馬鹿な分、僕たちが考えてあげなくちゃいけないんだと思う。今回もそうだけど、危険性は、僕たちが理解して、カバーしなくちゃ。」



 フィルーズは、国王が残酷な人間であり、今回が望んだ国王との会談がどれほど危険なのか承知している。の言うことにも賛成していない。それでもが望むのだからと願いをかなえながらも、が理解していない危険をカバーする。

 盲目的に従うのではない、が馬鹿だからこそ、考えて動かなければを守ることなんて出来ないのだ。

 それは、受動的な臣下を生まない。




と、その信奉者はいつも対等だって、シンドバッドは言ってたよ。」




 は馬鹿だからこそ、孤独にならない。人に違いを感じさせない。そしてだからこそ、臣下と主という形は作っても、精神的に臣下は主から自立している。に盲目的に従っていては、自身を守ることが出来ないから。



「その王の資格の意味は、一体何だろうね。」



 誰もわからない、誰も知らない、誰も持っていない、だけが持つ、王の資格。それが何を生み出すのか、シンドバッドも、他のマギたちも、そして自身何も知らなかった。


王とはなんぞ