戦場には白い、雪交じりの冷たい風が吹き抜けていく。




「ぜってー俺の防御魔法から出るんじゃねーぞ?」



 カウチに座っているに、毛皮をひっかぶっているジュダルは念を押すように言う。

 当然だが周囲からルフを集められるマギであるジュダルの防御魔法は誰よりも固く、の防御魔法よりも遥かに範囲も広い。自動的に出るボルグ(防御魔法)は先制攻撃から身を守るためには一番良い方法だ。

 それに咄嗟の攻撃に対応できないであろうと違い、ジュダルは戦いになれている。

 ジュダルがいれば、ジュダルの固いボルグの中にのボルグが入る形になり、金属器使いからまともに攻撃を受けたとしても、この二つのボルグを破ってを傷つけることはほぼ不可能だ。ボルグが攻撃を弾いている間に、ジュダルが相手に攻撃することも出来るだろう。



「金属器使いはどうしても魔装をするのに時間がいるからな。先制攻撃の対策にはジュダルが一番だ。」



 紅炎もに注意を促す。

 国王がとの会談を望んでいるのはを何らかの形で殺すか、脅すために決まっている。そのため、なんとしてもは煌帝国や議会派にとって、国王を断罪する正当性であり、の命は何よりも誰よりも守る必要があった。



「軍隊については、紅覇、白瑛、おまえらに任せるぞ。」



 紅炎はと国王の会談に同席する。そのため軍隊の最高指揮権は紅覇とついてきている将軍たちに与えられることになっていた。



「安心してください、兄王様。何かあれば僕たちがどうにかします。」



 紅覇はいつものふざけた調子が嘘のように、真面目に言ってみせる。はというと、わかっているのかわかっていないのか、返事もしないまま銀色の長い杖を抱えたままカウチから浮遊魔法を使ってゆっくりと上空へと上がり、勢ぞろいしている軍隊を眺める。

 ぱたぱたとが羽織っている毛皮の裾が、白銀の三つ編みとともにひらひらと揺れた。



「おいっ!今さっきの話、聞いてたか?俺の防御魔法から出んなっていってんだろーが!」



 上空へと浮遊魔法を使って追いかけてきたジュダルがの頭を軽く叩く。



「いっ、えっと。」

「なんだよ。矢でも飛んできたらどうすんだ、バカ!」




 ジュダルは一応危機感のないに注意するが、この場所はまだ随分と国王派の軍隊とは離れている。国王との会談が行われるのは、国王軍と、煌帝国軍の中央に用意される席でということになっている。まだ、上から見るくらいならば大丈夫だろう。

 下では渋い顔で紅炎がこちらを見ているから、怒鳴られる前には降りなければならないだろうが。



「風が冷たいね。」



 がジュダルの方を見て言う。

 銀と黒、二つの三つ編みを揺らす風はとても冷たい。雪も交じっている。いつもと違い、毛皮を着ているが、それでも寒いのだから、きっと毛皮すらも着ていない兵士たちはもっと寒いだろう。あまり戦いが長引いて夜になれば、凍死してしまうかも知れない。

 煌帝国の緋色の旗。そしてヴァイス王国の議会派の掲げる、青い旗。遠くにはヴァイス王国の国王派の黄色い旗が見える。ヴァイス王国の首都を数十キロ先に臨むこの平野には今、2国の兵士たちが集結している。

 かつてヴァイス王国は立法を議会、司法を主席魔導士、行政を国王が担う、世界でも有数の大国だった。だが今はこうして、煌帝国の協力を得てかつて死んだはずの主席魔導士の娘・を主席魔導士として遇そうとする議会派と、を恐れ、殺して司法権を取り込もうとする国王派にわかれてしまった。



「…」



 兵士たちの凍り付いた、緊張の面持ちからは、死への恐怖や諦念、期待や渇望など、様々な感情がうかがえる。だが、それぞれ従軍している兵士たちは、国王にも、議会にも、本質的には何ら関係はないものばかり。主に引き連れられただけの、本当は戦いに関係ないものばかりだ。

 は馬鹿で、難しいことは何もわからない。ただし、国王と和解出来なければ、彼らが死んでしまうことだけはわかる。



「壮観だろ!」



 ジュダルは大きく手を広げ、笑う。歪んでいる、なのに清々しい笑顔。

 力のある彼にとって、世界は退屈でたまらないのだろう。その酷くつまらなそうで、冷め切った緋色の瞳がぎらぎら輝いている。彼は退屈で、だからこそ戦いが好きで、戦争が始まると聞くとなんだか生き生きしている気がする。

 輝く白い鳥が、舞っている。



 ―――――――――――――ヤダー!!!!



 小さな子供が、明るい黄銅色の髪の女性に叫んでいる。行かないでと縋り付いて泣いている。己が持っている自分に不釣り合いなほど長く、紋章の入った立方体のついた杖が目に入った。これを自分に託したあの老婆もまた、自分の元を去って行った。

 青みがかった長い三つ編みが翻る。それを追う。置いていかれないように、追う。杖を持つ、だからこそ、それが許される。



 ―――――――――――――絶対、絶対わたしから離れるんじゃないわよ



 いつもは厳しい母親が、縋るような目でこちらを見て、伸びてきた手によって足下に抱き寄せられる。父がこちらを見た。優しい青みがかった漆黒の瞳が、抱き上げられたことによって近くなる。守る力を与えられた自分に出来ることをするために、幼くても一緒に行きたいと願った。



 ―――――――――――――これが、最後の戦いになる




 上から見れば、杖を持った人々が、異種族が、人々と別れを惜しんでいる。たくさんの人々が、自分の守るべきものを守るために、戦う決意を固めた。誰もが最後の戦いで、この戦いが終われば幸せに過ごすことが出来るようになると、信じていた。疑わなかった。

 残されるのが幸せだったのか。遺されるのが幸せだったのか。どちらもが不幸だったのか。幼いにはよくわからなかった。

 ただ、父の言葉は、嘘になったのだけはわかった。



「…あいしてる、」



 桃色の唇が勝手に小さく、あまりに言われ慣れた言葉を呟く。

 魂に刻まれた、誰に言われたのかすらも、いや、すべてのものに言われた、言葉。記憶がなくとも、この世に生を受け、いや、この世に生を受ける前から、知っている言葉。みな、そう言って去って行った。を愛し、去っていった。



「は?なんか言ったか?」



 空にいるせいか、風が強く、小さな声は隣のジュダルには聞こえない。




「ん?え?」




 はこちらを振り返った彼に、不思議そうな顔で返す。



「?」



 彼は少し訝しむように眉を寄せたが、その太い三つ編みを揺らして眼下の兵士たちに再び視線を向けた。はなぜだかわからないが、ふつふつとわき上がる不安を自分ひとりで払拭することが出来ず、指先から冷えるような心地がして、ジュダルの手に自分のそれを重ねる。

 ジュダルはちらりとを見たが、黙ってその手を握り返してくれた。

 漆黒と銀色のお下げが寄り添うように同じ方向へと揺れる。ちりりと冷たい風がジュダルから贈られた、の耳飾りを、音を立てて揺らしていく。

 過去からの声は、もう聞こえない。でも、刻まれている。



「なんだよ、怖いのかよ。」



 ジュダルの少し低い声が、ちゃかすように尋ねてくる。は頭を傾けて彼の肩に乗せる。冷たい風が音を立てて吹き抜けていく。



「わかんない、かな。」

「おまえ、そればっかだよな。」

「…だめ、かな…」



 全てを忘れ、何もかも零になってここにいるのに、繋がれる場所は結局同じ。くるくると運命に乗せられてまたひと巡り、戻ってくる。わからないなにかに絡め取られ、あるべき場所へ、いるべき場所へ。持つべきものを取り戻して、再び廻る。

 風が、運命が、廻す。



「いいんじゃねーの?」



 心底どうでも良さそうな、低い声。



「くだんねぇことぐだぐだ言ってんじゃねーよ。言っただろ。」



 ジュダルはを傍におければそれで良い。が何を考えていようが、誰だろうが、何をどう思おうが、思い合うことも、分け合うことも知らないジュダルにとって見れば、どうでも良い。だから、も傍にいられるのだ。



「はーい」



 も気のない返事をする。だがそれは気に入らなかったのだろう。緋色の瞳から不機嫌そうな視線とともに、平手が振ってきた。









過去の悲しみが呼ぶ