ジュダルは用意された会談の席を眺める。

 最初に会談の席に着いたのは、ヴァイス王国の立法を司る議長イマーン・パシャだった。白髪をきちんと一つに束ねて、聖職者が着る長い紋章入りの長衣を着用し、静かに目を閉じて時を待つ。その姿には長い時を知識とともに重ねてきた老人だけが持つ重厚感がある。

 次に席に着いたのは金色の巻き毛に青い瞳の男だった。多くの部下を連れた緋色のマントには白豹の毛皮で縁取りがなされ、彼の立派な体躯をより大きく引き立てていた。少しえらの張った顔立ちも、無表情と相まって彼を冷酷で、酷く頑固そうな男に見せる。

 ヴァイス王国国王ヴィルヘルムは、ジュダルの目から見ても、十分に国王の威厳を兼ね備えているように見えた。

 ただし、容姿という点のみを評価するならば、とて負けていない。

 いつものように誰かに抱えられるのではなく、浮遊魔法で彼女は移動し、カウチに腰をかける。ひらりと彼女の真っ白のドレスが揺れる。腰には独特の文様が入った翡翠の帯。長い翡翠と勿忘草色で描かれた長衣。翡翠で飾られた緩く編まれた白銀の髪が、カウチをゆっくりと滑る。

 愁いを帯びた翡翠の瞳、紅ののせられた唇、白い肌。真っ白の指先がまったく焦らない動作で椅子の肘掛けに置かれ、もう片方の手は白銀の杖にそえられている。

 年齢こそまだまだ若いが、黙っていれば淡い光を放つようなその美しさは目を引くし、その白を基調とした容姿と清純な装いは、まさに司法を司る清く正しい存在にふさわしい。

 例え中身がどうであっても。



「では、三者そろったな。」



 緋色の服を身に纏った紅炎が三人の様子をそれぞれに視線を向けてから、重々しく口を開く。途端にの翡翠の瞳が不安そうにこちらを窺ってきたのを見て、ジュダルはのいるカウチの後ろに立った。

 少し離れたところにはの従兄のフィルーズと、が拾ったファナリス・アルスランが控えている。紅炎の後ろには紅覇、そして白瑛がおり、紅明は後ろで煌帝国の軍を率いている。に対して何らかの危害を加えようとしたとしても、対処に事欠かないはずだ。



「既に首席魔導士である・スールマーズと、議長であるイマーン・パシャの要求は既に聞いている。要求は首席魔導士である・スールマーズの権利の保証と行使、だ。」



 紅炎は用意された書類を一瞬だけ確認し、ヴィルヘルムに目を向ける。

 先代の首席魔導士であり、の母であるマフシード・スールマーズが死に、賢者によって次期首席魔導士に指名されていたが行方不明となった。そして空席となった司法権を国王と議会が争い、すべての内乱は起きていた。

 がここにいる今、の権利を認めることで、この争いは少なくとも一端終結するべきだ。



「…小娘に何が出来る。」



 ヴィルヘルムは吐き捨てるように小さく呟いて、を睨む。その青い瞳には深い憎しみと怒りが浮んでいるのをみて、は不安を示すようにジュダルを見上げてきた。



「ま、そりゃそうだわな。」



 ジュダルからすると、ヴィルヘルムの懸念もまともなものだった。

 他国の力を借りて主権を取り戻すというのは、決して簡単なことではない。さらに現状としてが主席魔導士の地位と司法権をその手に取り戻したとしても、それを振るうのは実質的には彼女の後見をする議会派と煌帝国だ。

 日頃のアホさ加減から考えても、が自らの考えで司法権を司る、なんてことはありえない。そうなればヴィルヘルムとしては、自分に都合の悪い相手によって権利を侵害、もしくは自分の権利が制限されると思うのが当然だ。



「余は話し合いなど望んでおらん。議会派にも、そして=スールマーズ、おまえにも、そして他の人間に対しても要求は一つだ。」



 ヴィルヘルムはその氷と同じ色合いをした瞳で、を見つめる。



「持ちうる権利を渡せ。」



 理不尽そのものに突きつけられる。意味がわからず、は首を傾げた。




「けんりって、なに?」

「…ちょっ、」



 あまりに素朴な疑問を口にするを、ジュダルは止めようとする。だが、紅炎がそんなジュダルを目で制した。



「おまえが首席魔導士として持つ、司法権だ。」



 ヴィルヘルムは唇の端をつり上げ、答える。は静かな翡翠の瞳を瞬いて、小首を傾げて見せる。



「それは、人の命より、大切なものなの?」



 たくさんの命を奪い、積み上げ、ヴィルヘルムはここまで来た。権利を手に入れるためにたくさんの人間の命を犠牲にしたと言うことは、彼が纏う漆黒のルフや他の人々のルフから見ればわかる。恨みが、彼を飲み込んでいる。

 憎しみ、それをは知らない。けれど、見える。



「ここにいる人たちが死なないなら、わたしはなんでもあげる。」

様!」



 議長のイマーンが振り返り、驚きの声を上げる。だがの目には僅かな迷いもない。



「だから返して。わたしの大切な人たちを、」



 知っている。は知っている。

 何が一番大切なものなのか、失っては取り返しがつかないのか。非力なこの手にも救えるものが、今、あるということを、ちゃんと理解している。



「返して、殺した人たちも、これから殺そうとしてる、彼らの大切な人たちも、みんな。」



 翡翠の瞳はまっすぐ美しいままでヴィルヘルムを見据える。

 の容姿は、首席魔導士であったマフシード=スールマーズと同じものだ。白銀の髪に、清純で美しい美貌を持ち、たおやかに伸びる細い体躯を抱きたいと男ならば誰でも願う。幼くともその片鱗はすでにある。だが、その鮮やかな色合いの翡翠の瞳だけは違う。

 ヴィルヘルムが最も憎み、憧れた男と同じ。強く、ぎらぎらと輝く太陽を遮る新緑と同じ。

 特別な才能、予言、そして金属器という力。生まれながらにして約束された地位。世界の誰よりも特別だという、その生まれ。当たり前のように王族として、王太子として特権を甘受してきたヴィルヘルムを打ちのめす“特別”な存在。

 それを踏みつぶすために、ヴィルヘルムは遠い日、マフシードを殺し、を殺した、はずだった。



「はははははは、」



 ヴィルヘルムは高らかに笑い声を上げる。

 議長であるイマーンも、煌帝国の皇太子である紅炎も、そして神官であり、同時にあの男と同じマギであるジュダルも、高笑いをするヴィルヘルムを異様な者を見るような目で眺めている。

 だが、翡翠の瞳は変わらない。



「だからおまえが憎いんだよ。」



 ヴィルヘルムから全てを奪っていく、が憎い。



「ババク。」



 父の時代から仕える、老齢の魔導士の名を呼ぶ。彼は酷く憂鬱そうな顔をしていたが、指示に従い、大きな四角い箱を浮遊魔法で持ってくる。

 その穢れを知らぬ、美しい少女の中に隠れる、誰もが恐ろしいもの。



「運命を、殺すことこそ、すべてだ。」



 四角い巨大な箱の、扉が開く。それは小さな箱庭をこじ開ける、鍵。

 誰もが眉をしかめるような腐臭があたりに立ちこめる。ぼたり、と。なにかが落ちた。の翡翠の目が大きく見開かれる。



「な、に?」

「見るな!」



 いち早くそれがなにかに気づいたジュダルがの頭を自分の胸元に引き寄せる。警備についていた兵士たちが息をのむ中、ぼろぼろと中から重たいものが砂袋のような音を立てて地面へと落ちてくる。あたりに腐臭が立ちこめ、赤黒い液体が地面にゆっくりと染みを作る。



「貴様!!」



 イマーンがしわがれた声を張り上げ、憎しみと怒りをヴィルヘルムにぶつけようとする。その声が、遠い。

 は一瞬見えた光景と、ジュダルの温かさ、頭を押さえて彼の胸に抑えつけている手の強さを感じながら、自分の中の遠い記憶が、どくどくと脈打つのを感じた。









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