「なんて、ことを…」




 白瑛は口元を手で押さえて、真っ青な顔で遺体を放り出してきたヴァイス王国の国王ヴィルヘルムを見つめる。だが彼は何も感じていないのか、むしろ白瑛たちの態度が満足だったらしく、深く頷いて見せた。


「国賊の末路だ。」



 酷く生臭い、そして腐敗を伴うにおいが充満していた。

 目の前に放り出されたのは、ばらばらに切り裂かれた人体だ。腐敗も進んでいるそれらは、色もくすみひどい状態で、拷問を受けたことがわかるほどの傷が多数ついており、そう言った者を見るのになれている紅炎ですらも目を背けたくなるほどのものだった。

 いくつも見える頭の髪の色はほとんど白銀や金色など北方系だったが、所々赤が混じる。

 おそらく、を育てたファナリスたちの者だろう。寒いこの国でこれほど腐敗が進んでいると言うことは、殺されたのはここ1週間の話ではない。恐らくがヴァイス王国の辺境の村から売られてすぐ彼らは捕らえられ、そして殺されたのだ。

 ファナリスとはいえ、そしてを匿っていたとはいえ、彼らとてヴァイス王国の民であったはずだ。なのに国民を何とも思わない態度に、そして彼の残酷さに、同じ上に立つ者として、白瑛はぞっとする。

 そしてそれを真っ向から向けられたがショックを受けているだろうと彼女に視線を向けた。

 ジュダルに抱きしめられ、光景を見せないようにされていたも事態はわかっているのだろう、ゆっくりと彼から離れ、国王のヴィルヘルムへと目を向ける。

 そして、ゆっくりと浮遊魔法でカウチから放り出された遺体の方へと飛ぶ。



「…おとう、さん…、おかあ、さん?」



 は呆然とした面持ちで物言わぬ屍を直視することしか、出来なかった。

 遺体の腐敗は進んでいたが、生前の姿を知っていれば誰かを推測出来るものもある。崩れた肉の間から骨が見えるようになっても、十数年ずっとともにあった、育ててくれた存在を、が見間違うはずもない。



「ど、どうして?」



 震える高い声が国王であるヴィルヘルムに問う。



「おまえさえいなければ、彼らはこんなことにならなかったさ。おまえさえ、あの日死んでいれば、な。こいつらはおまえを助け、匿い、国王に逆らった。」



 ヴィルヘルムは低い声でクツクツと笑った。それは酷い憎しみとともにぎらぎらとの潤いを奪い、きりきりとの首を絞めていく。は翡翠の瞳を瞬き、杖をぐっと握りしめる。ちりりと、杖の飾りが小さな音を立てる。



「お、とうさん、おかあ、さん、」



 ぼろぼろになった、骨と皮、赤い髪が所々に残る、傷だらけの頭蓋骨には呼びかけた。

 答えは返らない。半年ほど前、を煌帝国に売った時、初めて彼は自分たちがの養父母であることをを抱きしめて口にした。



、いいえ、様。貴方は行かなくてはなりません。そして我らはこの役目を担えたことを、後悔しておりません』



 はじめて、敬語を使われ、父としてではなく、を自分の恩人の娘として、に敬意を示した。



『だから、ここに戻ってきてはいけない。私たちの分まで、貴方は強く生きねばならないのよ。なんとしても生き抜かねば。それが、村のみんなの願いだと思って頂戴』




 養母はそう言って、を抱きしめた。村の人々も出てきて、を順に抱きしめ、別れを惜しんでくれた。

 戻ってきてはいけないと言われた。村に二度と戻ることが出来ないと言うことは、覚悟していた。

 でも、生きている限り、いつかきっと会えると心の中で思っていた。自分が生き抜けば、いつかどこかで会えるなんて、いつも、そんな夢を見ていた。



「化け物は、死んで当然だ。おまえが生きている限り、俺はどこにいたっておまえを追い詰めてやる。」



 ヴィルヘルムはただただ憎しみしかに向けない。


、話し合いは無意味だ。」



 紅炎は話すだけ無駄だと判断し、浮遊魔法で宙にいるを呼ぶ。



「その通りだ。侵略者よ。おまえらもこうなる。」



 ヴィルヘルムはにやりと笑って、後ろにいる金属器使いや魔導士たちに攻撃態勢に入るように合図をする。

 引き際を間違えば、ここは戦場のど真ん中で、戦いに慣れていないでは殺されてしまうだろう。



、戻れ。」



 戦いは、ジュダルや紅炎、そして白瑛の仕事だ。もう交渉の余地などないし、ヴィルヘルムはそもそも脅迫する気はあっても交渉をする気などないだろう。同席している議長のイマーンや、議会派のヴァイス王国の面々も、話し合いなど出来ないと既に理解している。

 ジュダルが舌打ちをしてを引き戻そうと宙に足を踏み出そうとした時、の纏う魔力が爆発的に増えた。



「っ!!」



 周囲から可視化できるほど集まってくるルフに驚き、ジュダルと紅炎はから距離をとる。それはマギが本気で魔法を使うため、ルフを集めるのと全く変わらない。急速にふくれあがるの魔力が、長い彼女の白銀の三つ編みを揺らす。



「どうして?…は、はそんなこと望んでない…」



 ぽたぽたと翡翠の瞳から涙がこぼれ落ちる。たどたどしい言葉が、ヴィルヘルムに向けられる。だがその目は、目の前の光景を写していない。漆黒が、あたりを支配して、大切だった人たちが死んだ日。そして本当に悲しい日々の始まりの、あの日。



 ―――――――――――みんなを、守ってね、



 杖とともに託された力は、誰かを守るためのものだった。みんなを守りたいと思って戦いに赴いて、別の守りたかった者を失った。は託されたはずの願いを叶えることが出来なかった。無力でどうしようもなく弱かった、あの日。



 ―――――――――――テス〜〜〜〜テス…ああ、あああ〜〜〜〜〜どうしてこんなことに……!



 皆が悲しみに揺れて、泣いていた。それでも彼女はの事を助けてくれた、を一切責めなかった。



 ―――――――――――愛してるよ、



 にとって大切な人々が争い合った、あの遠い日。

 それでも杖を渡して、彼らはを守ろうとした。愛情をめいっぱい与えて、愛して愛して、皆がを愛して、たくさんのものを託した。遺した。でもそれを託されたはいつも何も出来ない。

 どれほど愛されても、何も出来ないのだ。





「わぁああああああああああああああああああああああ!!」




 視界が真っ赤に染まっていく。それが遠い日の力を、記憶を、そして己の力を引きずり出していく。記憶を封じられたくらいでは止められない、父たる神から与えられた過分な祝福は、を愛し、同時にを何よりも苦しめる。

 だが、それを優しい声が遮る。



 ―――――――――――――――――ごめん、ごめんね、まだ、まだ、全部戻ったわけじゃないアル、



 緋色に覆われた世界、銀色の長い髪の女性の遺体。目の前にいる、母を殺したであろう女性の姿に、目を見開いて思わず名前を呼んだに呆然としたのは、そして傷ついた顔をしたのは、きっと彼女の方だった。

 泣きじゃくるに優しい手が伸びてくる。もう良いよと、たくさんの愛情とともに、温かい腕がを抱きしめる。



 ―――――――――――――――――-忘れて、今度こそ、どうか、どうか、幸せに、生きて、



 は彼らの愛情を疑ったことはなかった。誰に酷いことをしていても、にとって彼らは等しく愛しい同胞だった。大切な人たちがどれほどに争い合っても、にとってはどちらも守りたくて、大切な存在だった。

 八芒星が、を取り囲む。それは複雑な、ずっと昔の魔法式だ。

 途中まで目覚めてしまった力を封じることは出来ない。持って生まれた力を、奪うことは出来ない。だが、その記憶を封印してしまうことは出来る。を愛した誰もがファナリスたちの下、が穏やかに人生を終えてくれることを願っていた。

 運命はもう、を見つけてしまった。逃げられない。

 を愛しながら、たくさんの人が多くの道を選んだ。それでもやはり、を愛していることに変わりはない。誰もがの幸せを願い、のために力を託し、時に力を奪い、記憶を奪った。



『みんな、おまえのこと愛してるって、』



 は知っている。だから、愛して与えられるのも、奪われるのも、拒まない。なぜなら彼らのことをもまた、深く深く愛していたから。

 細い手が意識を失う寸前に掴むことが出来たのは、銀色の杖だけだった。









 

 急速に魔力がの躰の中に吸い込まれていたが、それがふと止まる。それと同時にぶんっと軽くは魔法の杖を振って、眼下にいたヴィルヘルムを見下ろした。



「はー。これ、に相当負担かかるんだぜ?」



 いつものの高い声音が、幾分か早口でそう言って、彼女は肩をすくめてから、長い銀色の魔法の杖をヴィルヘルムの方へ慣れた動作で向ける。それと同時に彼女が纏うルフが円形を描き、魔力が彼女の統制下に置かれる。

 長い銀色のおさげが風にひらりと翻る。それを鬱陶しそうによけた彼女は、にいっと笑った。その笑顔は目尻の下がった、へらっとした無邪気なものではなく、匂い立つように妖艶で、怪しい。



「老けたなー、ヴィルヘルム、」



 粗暴な口調で、けらけらと笑う。

 今まで余裕の表情を見せていたヴィルヘルムの顔色が変わり、一歩、二歩とから僅かでも距離をとりたいとでも言うように、後ずさる。




「き、貴様、まさか・・・!」

「あはははは、久しぶりだなー。」




 煌帝国の面々がの変化に呆然とする中、、否、の皮を被ったなにかは、にこやかに笑ってかつての旧友に挨拶をした。


会談