「…おまえ、誰だよ、」 




 ジュダルは長い銀色のお下げを揺らす彼女に、声をかける。くるりと振り向いた彼女は、2、3度翡翠の瞳を瞬かせたが、すぐに瞳を細める。




「おまえ・・・マギ?」

「はぁ?!」


 の顔で、まったく彼女とは異なる軽口を見せる彼女が不気味でたまらない。だがどうしても杖を向けるのが躊躇われて、懐の杖を掴んだまま出せずにいると、の顔をしたなにかは、ジュダルの心情を理解してか、けらけらと笑った。



「あはは、わりぃな、すぐ終わらすわ。」



 そう言って、くるりとの銀色の魔法の杖をひっくり返し、バラバラの遺体たちに目を向ける。



「・・・パズマーンとファナリスたちか、そっか。おまえとセピーデフが、を育ててくれたんだな。」



 翡翠の瞳を細め、愛おしそうに彼女−いや、口調から恐らく彼だろう。の姿をした彼は杖を彼らに向けた。



「もう良いぞ。ルフにお帰り…」


 炎が傷つけられた遺体を包み込む。これ以上悲しみの遺体をに晒すことを、彼らとて望んでいないはずだ。彼らはを守り、愛し、そして死んでいった。その事実がの中に残るのならば、の記憶に残らなくても良い。



「き、貴様!」



 ヴィルヘルムは目の前にいるを化け物でも見るかのように呆然と、それでいてに向けていたよりも大きな憎しみとともに睨み付け、後ろにいる金属器使いや魔導士たちに彼女を攻撃するように目で指図する。

 だが、魔導士たちは先ほどルフを周囲から大量に吸い込んだを見て彼女がマギかと恐れ、金属器使いも可視化されるほど高密度のルフを見ておののいており、ヴィルヘルムの命令に従う様子を見せなかった。



「さて、と。俺には状況がよくわかんねぇが…」



 遺体が燃えたのを確認し、翡翠の瞳はくるりと振り向いて、ジュダルや後ろにいる白瑛、紅炎、そして紅覇の方に視線を向けた。



「ほぉ、おまえら王が多いし、マギまでいんのか、」



 少し不快そうに翡翠の瞳を細めて、彼は肩をすくめる。

 浮遊魔法で上空にいるため、冷たい風に煽られて、長い白銀の髪がお下げとともに揺れる。彼はちりちりとなる翡翠がついた長い魔法の杖を軽く振って、紅炎にそれを向けた。



「俺はさ。起きたばっかりで状況はに聞いただけだからよくわからないんだよ。」



 だから教えろと、言外に彼は言いはなった。



「…」

「なぁ、今、魔導士が出来る最大のことで、こいつの一番嫌がる事って、何?」




 こいつ、とはヴィルヘルムのことだろう。の躰を支配している彼は、ヴィルヘルムのことをよく知る人物であると同時に、この事態の細かい理由や状況は理解していない。ただ間違いないのは、少なくともを傷つける気がないということと、ヴィルヘルムを好ましく思っていない。

 ならば、素直に答えても問題ないだろう。



「首都にはられている、結界を壊すことだ。」



 紅炎は間髪入れずに口にした。首都のゾフルフを守る、マギのジュダルが手を焼くほどの強固な結界が平野を挟んでその先にある。人柱まで立てた、結界だ。




「なるほどなぁ、」




 彼は顎に手を当てて、一つ二つと頷いてから、銀色の杖を軽く振った。途端に魔法式が彼の背後に出現する。



「ふ、不可能だ!そんなことは、おまえはもうっ、」



 ヴィルヘルムはあざ笑って結界を壊すなど不可能だと笑う。だが、彼は知っていた。



「馬鹿だな、おまえは。これもまた、王の器だろ?」




 自分の右手を胸元に当てて、左手で杖を構える。魔力がの太ももにある金属器に集まり、青色のジンが出現する。

 七つの、煌々と光る赤い目を持つ山羊の頭、14本のカエルの足、そして鳥の体を持つ黄金の蜘蛛。酷い歪な体躯、ジンと言うだけではない異様なそれは、一度、玉艶とが初めて会った時、彼女を守るために現れたジンだった。



『あぁ、王の器よ。愛しき大王の娘よ。』



 不格好な水かきのある手の三つを躰の前にして、恭しく頭を下げる。



「あははは、じゃなくて悪いんだけどな。」



 高い声音でケラケラ笑う姿は、の姿をした別のなにかだ。日頃のを知っているジュダルや紅炎としては、何やらぞっとする。

 だが、それが誰であるかを理解しているのか、いないのかはわからないが、ジンは顔を上げた。



『構いません、例え姿がどれほど変わろうとも、我らが仕える王はあの日から様のみ。』

「わりぃな。」



 一言謝ると、浮遊魔法での姿をした彼は、高く空へと上がる。



「さぁて、名前を借りて悪ぃけど、まぁ、その資格はあるだろ。」



 白銀の長い髪がひらりと翻る。その様は十数年前、政治という戦いの場の一番前に立ち、誰よりも誇り高くその任を全うしたひとりの女をヴァイス王国の者たちに思い出させる。司法権を司る、最も潔白で、孤高の存在。



「主席魔導士・スールマーズと、司る司法権の下に、命じる。」



 高らかに響く、澄んだ声音。それが魔法によって増幅され、戦場の全てを制する。

 白銀の金属器が強く輝き、白金がの白銀の杖を包み込み、強化するように絡みつく。それは翡翠の石のついた杖を、戒めるようですらあった。

 視認出来るほどの量のルフを周囲から一気に集め、極大魔法と同じように、八芒星を浮かび上がらせる。



「国王による不当な首都の結界を、違法とし、破壊する。死にたくない奴は、すぐに後ろに下がるか逃げろよ。」




 宣言すると同時に八芒星が光を帯びる。金属器と、マギと同じ周囲からのルフを得て、巨大な魔力の元に作り出した魔方陣の威力は、恐らく極大魔法に勝るとも劣らない。

 首都のゾフルフまでここから何キロも距離がある。



「で、出来るはずがないっ!」



 国王であるヴィルヘルムが、大きな声で叫ぶ。

 国王派の牙城であるゾフルフの結界を破ることは、もちろんヴィルヘルムの力を押さえることには直接的にはなり得ない。だが、ここに集まる国王派の兵士の心は、そして首都にいる人々の心を折るには十分だろう。

 ましてやは司法権の名の下に国王に正当性がないことを宣言した。その意味は大きい。



「金属器などで、何が出来る!ましてや貴様の後任者はすでにいるのだ!おまえには資格など。」



 ヴィルヘルムは呆然とした面持ちで首を横に振る。の中に宿る男が誰なのかを、彼は痛い程に知っている。



「おまえ、本当に馬鹿だなぁ、なんでを恐れたんだったか、忘れたのか?」



 が、ヴィルヘルムに冷たい眼差しを向ける。

 ルフが恐ろしい勢いでの周囲に集まり、魔方陣の輝きを増大させる。それは金属器をいくつも保有する紅炎やマギであるジュダルですらもぞっとする程の量だ。



「本当にやる気か、」



 紅炎は上空にいるを睨み、注視する。

 本来であればマギのジュダルですらも手を焼く結界を、こんなに距離のある場所から破るなど不可能だ。しかし、恐怖を感じるほどの大きな力を、あの少女が、いや、誰かが彼女の躰の中から操り、集めて、可能にしようとしている。

 あたりが真っ白に染まる。形容しがたいきぃいっという空気を鳴らす音とともに、酷い爆風だけがあたりを走り抜けた。

 武器を取り落としたのは、一体誰だったか。


 確認しなかったとしても、例え遠くゾフルフの結界が見えなかったとしても、この戦場を制したのが誰かと言うことだけは、理解している。


 全ての者が、ひとりの少女を見つめる。


 白銀のお下げが風に揺れる。遠く、遠く昔の光景。彼女が人の上に立っていた頃と同じように、人の期待と不安、そして恐れを一身に受け、それでもまっすぐ、それが何でもないことのように人々を睥睨していた。