ジュダルは眠っているをじっと眺める。



「つまんねぇの。」



 叩いても髪を引っ張っても目覚めない。面白くないし、眠ったままのが、酷くジュダルを不安にさせる。寝台に肘をついてを見ていると、背後で音がした。



「…ごはん、」



 が拾ってきたファナリスの少年、アルスランが食事を持ってきたらしく、躊躇いがちに声をかけてくる。



「飯?…あ、そうか。そんな時間かよ。」



 もう夕方なのだろう。煌帝国と違い、石造りの部屋の窓から外を見れば薄暗い。ヴァイス王国は北にあるため、冬は日が落ちるのは早い。寒さは日に日に身を切るようになっており、今晩あたり雪が降るかも知れないから温かくするようにとフィルーズは言っていた。

 ジュダルは食事に手を付けず、が寒いだろうかと近くにあった毛布を適当に上にかける。



「起きねぇな。」



 2週間、は眠ったままで起きなかった。

 国王がババクによって殺され、の中にいる“何か”によって首都ゾフルフの結界が破られたことで、国王派は勢いを失い、議会派に完全降伏した。現在は議会派と議長のイマーン、そして煌帝国軍の下、紅炎や紅覇、そして白瑛は事後処理に負われている。

 それはの従兄弟であり、ジュダルとの武官でもあるフィルーズも同じで、二人の代わりに話し合いに出席し、特にヴァイス王国と煌帝国の意見の仲立ちをするという重要な役割を果たしているようだ。

 ただし、神官であり、マギでもあるジュダルはやることもない。

 ゾフルフの司法庁の一角にはかつてが実母であるマフシードとともに暮らした館があり、眠り続けるとともに滞在することとなった。



「神官殿、起きないの、ですか?」



 白瑛が心配そうにやってきて、尋ねてくる。本日2回目。朝と夕、二回この部屋を訪ね、同じことを口にするのが、既にここ2週間の日課となりつつあった。

 そしてジュダルが返す言葉も寸分変わらない。



「まったく、」



 医官の見立てでは、身体的には何の問題もないらしい。だが、目覚めない。

 前に兵士を助けるために金属器を使った時も、は数日間眠り続けた。王と同じように金属器を使ったり、マギと同じようにルフを周りから大きく吸収するのは、の体に大きな負担を強いるのだろう。

 今回は人柱まで立てた結界を破壊したのだ。前回より遠距離だったし、極大魔法並の大規模な魔法を使ったため、は未だに目覚めない。



「そう、ですか。」



 白瑛は一言口にすると、部屋を後にする。元々ジュダルと白瑛は仲が良いわけではない。ただ白瑛としても眠り続けるが心配でたまらないのだろう。

 ジュダルはそっとの頬を撫でる。

 ルフが彼女の躰を守るように集まっているが、その顔にはいつものような色はなく、青白く見える。ただ撫でれば温もりが伝わってくる。色の薄い唇に指で触れれば、かすかな空気の流れとともに乾いた感触が手に伝わる。



「くそつまんねぇ、」



 愛情とか、好意だとか、そういう大それた感情はわからない。ただ少なくとも彼女が起きないと、ジュダルとしてはやることもなく、酷くつまらないし、時間つぶしも見つからない。それで、退屈だと口にしながらも、やはり彼女が十分に自分の退屈しのぎになっていたのだと嫌でも理解する。



「はーやく起きろよ、捨てんぞ。」



 ジュダルはそう言って、彼女の長い銀色の髪を軽く引っ張る。白瑛は眉を顰めたが、彼の行動にそれほど力がないことはわかっていたのか、黙っていた。

 と、白く細い手が、ぴくりと動く。



「…う?」



 現実味のない高い声が響いて、瞼がゆっくりと上がる。翡翠の瞳はぼんやりと何かを探すように左右して、寝台の近くの机に置かれていた食事に、急速に焦点が結ばれる。



「ごは、」



 白く細い手がご飯に伸ばされる前に、ジュダルは思わず彼女の軽そうな頭を叩いてしまった。



「し、神官殿!」



 白瑛が慌てた様子で声を上げ、ジュダルの暴挙を止めようとするが、それよりも彼がの白銀の髪を引っ張る方が早かった。



「っ、じゅ、ジュダルっ、いたい、いたいよ、」



 は自分の髪を押さえ、相変わらずのんびりした口調で抗議する。



「マジで心配して損したぜ、ふざけんなよ。バカ」



 ジュダルはすぐにの髪を離してため息をつく。だが、が何よりも所望しているであろう食事を寝台の上に置いてやった。は目を輝かせて躰を起こそうとしたが、手に力が入らないのか、寝台の上でもがくだけだ。



「何してんの、おまえ、」

「うぅ、ごはん…」



 翡翠の瞳が目の前にあるご飯を見ながら、滴がこぼれ落ちそうに潤む。

 どうやら2週間も意識がなく寝たきりであったため、躰が動かないらしい。それでも食事に対する執着だけはあるのか、諦めずばたばたするが、やはり気合いだけで筋力の衰えは超えられない。

 ジュダルは仕方なく、彼女の背中に手を入れてゆっくり起こしてやり、クッションを背中に置く。



「わ、私は紅炎殿を呼んできますね!」



 呆然としていた白瑛だったが、我に返って慌てた様子で部屋を出て行く。だがの視線は食事に釘付けだ。



「お腹すいたのに…」



 食べたいのに手が動かないため、これ以上ないほど悲しそうに、今にも泣きそうな、震える情けない声音で呟く。




「わかった!食わせてやる!食わせてやるから!!」



 ジュダルは早口で言って、の様子を窺う。



「ほんと?」



 いつも通りの食い意地を発揮し、心底嬉しそうに笑う。

 戦場で、国王によって義理の父母が無残に殺され、遺体となった姿を目の当たりにし、錯乱した。そしてそれによっての中にいた“何か”が目覚め、入れ替わった。それほどに、義父母の死はにとってショックだったのだ。

 なのに、今のからは何も感ぜられない。いつも通り、笑っている。



「ひとまず、スープだけだぜ?」


 2週間もものを食べていないのだから、本来なら普通の食事など食べてはだめだろう。だが、それを言えば泣きそうなので、ジュダルはスプーンでスープをすくって口元に持って行く。は嬉しそうにスプーンに食らいついてくる。


「…」



 そういえば昔、白龍がひな鳥を拾ってきて餌をやっていた。

 口を開いて必死で餌を強請る姿が滑稽で笑い転げて嫌な顔をされたことがあるが、案外自分がやってみると、不思議と面白いし、胸の奥がくすぐったい。



「そういえば、ここはどこ?」



 はスープを飲む合間に、ジュダルに尋ねる。

 彼女は実母が死ぬ以前、ヴァイス王国で暮らしていたことを覚えてはいない。彼女の記憶にあるのは、ファナリスだった義父母とともにあった、辺境の村での生活だけだ。



「ゾフルフだよ。」

「え、どうして?」

「どうしてって…」



 ジュダルは言葉を選ぶことが出来ず、黙り込む。の翡翠の瞳は無垢なまま、ジュダルの答えをただ待っていた。



「起きたのか、」



 ジュダルが言葉を見つける前に、紅炎が紅覇を従えてやってくる。その後ろにはヴァイス王国議会の議長であるイマーンの姿もあった。



「あ、おじさんだ。」



 は心底嫌そうな顔をする。

 常と全く変わらぬ様子に大きな違和感を覚えながらも、ジュダルはの開いた口にスプーンを押しつけ、スープを流し込んだ。






嵐の後の凪に