「あー、そう、かな、」


 はジュダルに与えられるまま食事をしながら、心底どうでも良さそうな相づちを打つ。



ってほんとーになーんにも興味ないよねぇ〜。」



 紅覇がカウチに座ったまま、心底呆れたように肘置きにもたれたまま言った。紅炎も悪態を口にすることこそなかったが、椅子に座って、を眺めながら重々しいため息をつく。

 ヴァイス王国は現在、煌帝国と議会派の主導の下、戦争の後処理に追われている。

 行政権を司る国王がいなくなったことで、煌帝国がその役目を果たして治安などの管理を行い、立法を司る議会が殺害された者、殺害した者たちの法的扱いを話し合っている。司法権は主席魔導士であるの権利とされたが、実際には眠りこけていたため、の従兄弟であるフィルーズが司法庁と話し合って動いている状態だ。

 が目覚めれば目覚めたでやらなければならないこと、決めなくてはならないことは山積みだという説明を紅炎がしたつもりだったが、には理解出来なかったようだ。



「…一つ言っておくが、いい加減に食うのはやめた方が良いんじゃないか、」



 紅炎は軽くこめかみをおさめ、思わずそう口にしてしまった。

 が拾ったというファナリスのアルスランが、大量の食料を持ってやってきて、大量の空の皿を運んでいく。2週間も眠っていたため筋力が衰え、自分で食べることができないため、ジュダルが食べさせているが、まさに餌を欲する鳥の雛のようだ。

 翡翠の目が爛々と輝いていて、動かない手で、それでもしっかりジュダルの服の裾を餌をくれと引っ張る。容姿は楚々として可愛いが、餌を欲してぴよぴよ鳴くことしかしらない、バカのひよこのようだ。ただ、いい加減にしなければ、2週間も食べておらず、突然食べ物を胃に入れれば、消化に良い物でもお腹を壊す。

 食べられる限度を自分で知らない。そう言うところも、ひな鳥っぽいのは事実だが。



「え、食べちゃだめなの…?」



 愕然とした、真剣な表情では紅炎に尋ねる。



「お腹とか、頭は痛くないの?」



 白瑛は目覚めてから食べてばかりのを心配する。フォークで今度はリンゴをジュダルに食べさせてもらっていたはリンゴを口に入れて咀嚼しながら、首を傾げた。



「ないよ…?それよりやっぱりお肉ほしい。お腹すいた、」

「おいおい、流石にそりゃやばいんじゃねーの?それにこんだけ食って、腹減ったとか勘弁しろよ。」



 ジュダルと言えど分別はあるから、流石に2週間も食事をしていないに食べさせたのはスープと果物くらいだ。ただもとが食いしん坊の彼女にとっては足りなかったらしい。



「だって、お腹すいたんだもん。」

「おまえ、日頃でも俺の2倍は食うくせに、2週間分食おうってか?」

「わかんないけど、お腹すいた…かな?」

「もう良いわ。おい、アルスラン。肉ももらってこいよ。」



 ジュダルは諦めて、ファナリスのアルスランに命じる。彼はが食べ終わった皿を運んでいたが、こくりと頷いて厨房に行った。



「腹下してもしらねぇからな。」

「うん。」




 は幸せそうに笑う。彼女が纏う柔らかな空気は、全く変わらない。それに違和感を覚えているのは紅炎だけではないだろう。



「おまえの義父母の弔いは、他の者とともに、明後日、行われるそうだ。」



 紅炎は大きなため息をつく。

 国王であったヴィルヘルムが殺した人間は、何も戦場にを脅すために持ってきた遺体の分だけではない。議会派や主席魔導士を支持した人々の家族を人質としていたが、拷問などを行い、ほとんど殺害していた。

 当然だがその中には、本来ならば母親とともに殺される予定だったを匿い、辺境の村で育てたの義父母やファナリスたちも含まれる。



「かあさん?」



 はきょとんとして、口をもごもごさせる。



「父さんは、死んでるけど、母さんはジュダルと白瑛が会いに行って、故郷に帰るんでしょう?」

「え?」



 ジュダルと白瑛が顔を見合わせて、彼女の言葉を訝しむ。紅炎も眉を寄せ、目を見張って顎に手を当てて考える。

 確かにジュダルと白瑛がの義母に会いに行った時、彼女の義母は故郷に帰ると言っていた。だが何らかの形で国王に捕らえられたのだろう。戦場の会談で、少なくともは義父母の遺体を目の当たりにしたはずだ。



「…おまえ、戦場でのこと、覚えていないのか?」



 紅炎が重い口を開く。

 は戦場で紅炎たちとともにヴァイス王国の国王ヴィルヘルムと会い、の義父母も含む、殺された犠牲者たちの遺体を見て、錯乱し、彼女の中にいる“何か”と入れ替わった。ジュダルがいるには、それはの夢に出てくるという、おそらく彼女の“父親”だと言う。

 ただし、父親の素性はわかっていない。

 どちらにしても、彼女は殺された義父母を見ているはずだ。しかし、はリンゴを咀嚼しながら少し考えて、何度かその翡翠の瞳を瞬いた。



「戦場…?あ、そういや、国王に会いに行くんだったっけ?…あれ?でも、わたしが眠ってる間に死んじゃったのかな?」



 あまり先ほどの説明も聞いていなかったのだろう。ただ国王が殺されたという話だけは記憶の片隅に残っていたようだ。は「んー」と思案したが、思い当たる節がなかったらしく、アルスランが肉料理を持ってきたのを見て、目を輝かせて「あーお肉!」とすべてを忘れた。



「本当に大丈夫なのか?」



 ジュダルは肉をの口元に差し出しながら、一応確認する。だがは嬉しそうに肉にかぶりついた。楚々とした容姿に似合わず、その姿は子犬と変わらない。もきゅもきゅと肉を噛みながら、彼女は紅炎の方に視線を向ける。



「む、むも、なんのお話だっけ?」

「…」



 は器用に嘘がつけるタイプではないし、悲しみを隠せる程、賢くもない。だから彼女が過去を誤魔化そうとしているわけではないだろう。 

 そう、彼女は何も覚えていないのだ。

 国王のヴィルヘルムと会い、憎しみを向けられたことも、義父母の死体を見たことも、その悲しみも、何も。



「本当に覚えていないのか、おまえの母親と村のファナリスたちは、」

「黙れよ」



 国王によって殺されたのだ、と。紅炎が続けようとした言葉をジュダルが遮る。



「おまえ会談の前に、突然気絶したんだよ。ほんと勘弁しろよ。2週間も眠ってたんだぜ?」

「そう、なの?なんで、気絶したんだろう?」



 は視線を上に上げて少し考えるようなそぶりを見せる。だがその思案すらも遮るように、今度は白瑛が口を開いた。



「気にしなくて良いわ。初めての長距離移動で疲れていたのでしょう。」

「そうかな、」

「眠っとけよ。またぶっ倒れられても困るからな。」



 ジュダルは肉で汚れた手をそのあたりの手ぬぐいで拭いて、座っていた寝台から立ち上がる。途端に機嫌の良かったは、不安そうにジュダルを目で追う。代わりにの寝台に、白瑛が座った。



「さぁ、ちゃんと眠りましょう、」




 白瑛がに横になるよう促す。の目はまだジュダルを追っていたが、大人しく白瑛に従って寝台の上に体を横たえた。



「そうだな。ちょっと俺は紅炎と出てくる。、おまえ大人しく寝てろよ。」

「うん。帰ってくるまで起きてる。」

「人の話聞けよ。ホントに仕方ねぇヤツだな。」



 ジュダルは相好を崩して、くしゃっとの前髪を撫でてから、紅炎に視線をやり、部屋の外へと歩き出す。紅炎も視線の意味に気づき、椅子から腰を上げた。



「ほーんとに、ってば、食いしん坊だよねぇ〜」



 紅覇は話が終わったと思ったのか、のいる寝台へと明るい声を上げながら歩み寄る。なんだかんだ言っても紅覇はを気に入っているらしい。一瞬いらないことを言うのではないかと思ってジュダルは紅覇を振り返る。



「あはは、ちゃんとわかってるよぉー。」



 紅覇はジュダルの視線に気づき、子供とは思えない聡さを見せて笑う。それを確認して、ジュダルは部屋の外に出た。