皇后である玉艶は到着するなり、別室で控えていたとの面会を望んだ。

 部屋に入るなり、同室にいた紅炎への挨拶もせずの元へと歩み寄ると、「会えて嬉しいわ。可愛いわたしの娘、」と、長いすに座っているを抱きしめる。隣に座っていたジュダルは思わずぎょっとして身を引いたが、玉艶は少し身を離して柔らかに微笑むと、の前に膝をつき、にっこりと笑った。



「娘の白瑛は軍に身を置く身。第二皇女が亡くなってから、わたくし寂しくて、寂しくて、だから皇帝陛下に貴方を娘にしてくれるように、お願いしたのです。」



 玉艶の言葉に、紅炎やヴァイス王国の面々も目を見張る。ジュダルは長椅子からずり落ちそうになった。

 彼女がを好んでいたのは知っている。だが、一体どうしてを自分の娘にしようなどと思ったのか、わからない。ましてや“娘”とはどういう身分のことを言っているのか、ジュダルが戸惑っていると、玉艶はの手を取る。



「皇帝陛下は快く、貴方を第二皇女として遇すると約束してくださいました。」

「こーじょ?」



 は聞き覚えのある単語を反芻したが、具体的な意味まではわからなかったのか翡翠の瞳でただ玉艶を見上げる。



「難しいことはわからなくても良いのよ、貴方は今度こそ、わたくしの正式な娘、ということですよ。」



 玉艶はふふっと笑って、を優しく抱きしめる。

 柔らかい躰、ふわりと薫る、懐かしい匂い。肩に頬を預ければ、さらりと玉艶の長い黒髪が肩からこぼれ落ちた。肩に頬を寄せたまま彼女の顔を見上げれば、長い睫に彩られた漆黒の瞳が愛情とともに優しくこちらに向けられている。

 灯りが髪の間からおちて、きらきら光る。



 ―――――――――――大好きだよ、



 母はいつも厳しかった。父はいつも忙しかった。だから、傍にいたのはいつも彼女だけ。時間も温もりもまた、一番覚えているのは、




 ―――――――――――俺はおまえに、何も背負わせたくないんだよ



 漆黒が揺れる。全てが遠ざかる。



「え…、でも、ジュダルは?」



 は弾かれたように顔を上げ、隣に座っているジュダルを見てから、玉艶に尋ねる。




「もちろん、巫女に変わりはないわ。正式に賢者に捧げられた巫女、と言うことになるけれど、」

「そういうことか。」



 紅炎が、小さく舌打ちをする。

 前に、紅炎はに、巫女などの地位は捨てて、皇族の妃にならないかと問うた。紅炎の息のかかった、例えば紅明や紅覇と結婚すれば、ジュダルの背後にいる組織も簡単には手を出せなくなるし、身分というのは身を守る盾になる。

 もともとなかった、ただ単にジュダルのお気に入りだからと言う理由だけの、神官付きの巫女という不安定な地位は、にとって何の足しにもならない。ヴァイス王国の首席魔導士であると言うことがわかればなおさら、そのとってつけたような地位は、不釣り合いになっていた。

 煌帝国はを正式に第二皇女に遇し、きちんとした地位と身分を保障することで、ヴァイス王国側からの譲歩を得ようとしているのだ。また、皇女が神に捧げられることは何らおかしなことではないし、斎王としての前例はある。

 をそのままマギであるジュダルに捧げることで、現在のの生活はそのまま。ただし完全にジュダルのものと言うことになるため、還俗もしないし、皇族とは兄妹ということになるため、皇族との結婚もありえない。

 紅炎たち皇族が、を手に入れる可能性は、少なくとも消えたことになる。



「母上、」



 白瑛が戸惑いがちに玉艶を呼ぶ。



「白瑛、貴方とがとても仲良しだというお話は、から聞いています。貴方も嬉しいでしょう?妹が出来て。」



 玉艶は口元を袖で隠しながら、にっこりと白瑛に微笑む。白瑛は複雑な心境をどう表現して良いかわからず、思わず視線をそらしてしまった。

 が自分の妹になるのは嬉しい。だがそこに紅炎との政治的な対立が含まれることを、白瑛は百も承知だ。己の母が父や兄たちの死から変わってしまったことを理解している白瑛にとって、純粋で何も疑っていないが玉艶と関わることで傷つくのではないかと不安にすら思っていた。

 玉艶はそんな白瑛の思案を知ってか知らずか、の座る長椅子の向かい側に椅子を用意させ、腰を下ろす。神官たちがせっせとお茶を用意する様子を眺めながら、ジュダルは隣に座っているを見下ろした。

 肩書きがかわると言うことは、何となくわかったのだろうし、ジュダルから離されることがないと言うことも理解している。だがやはり不安が残るらしく、躰をジュダルに寄せてきた。



「本当に貴方はジュダルにべったりね。」



 玉艶は神官が用意したお茶を飲みながらその様子を眺める。



「大丈夫。わたくしは何も貴方から奪ったりしないわ。貴方が望むのならば、何だって許してあげる。」



 皇后としての地位をもつ玉艶が口にする約束としては、あまりに大きい。だが、降り注ぐ優しい眼差しには一片の嘘も含まれない。

 彼女の周りにいる神官たちが膝をつき、に深々と頭を下げる。それはマギであるジュダルにするのと同じで、そして同時に異なるものだった。



「本当よ?皇帝陛下はヴァイス王国のことに関して、第二皇女である貴方の判断を何よりも優先するとおっしゃっています。」



 玉艶は自分の服の袖を整えながら、椅子の背もたれに躰を預ける。



「母上、それは、」



 白瑛が戸惑いがちに口を差し挟み、紅炎を見る。

 玉艶の言葉が本当であれば、皇帝がヴァイス王国に関する事柄の采配を、正式に全てに委任した、ということになる。ただし、紅炎は玉艶がを第二皇女にと言い出した時点で、ある程度予想していたのだろう。特別驚くことはなかった。



「…?」




 は玉艶の言っている意味がわからず、ジュダルを見上げる。



「要するに、ヴァイス王国のことは、おまえの好きにして良いってことだ。」

「…ぎょーぜーけんの喧嘩も?」

「行政権な。喧嘩ってさぁ、」



 会議で行政権を争うことも、事情のよくわからないから見ればただの喧嘩にしか思えなかったのだ。



「貴方が決めるのよ。貴方はどうするのかしら?」



 穏やかに、艶やかな声で尋ねられて、は困って、ジュダルの方を見た。ジュダルも目をぱちくりさせてから、首を傾げる。ジュダルにも行政権を誰にするかなんて言われても正直、わからない。

 紅炎は、これからのことを考えればヴァイス王国の行政権を欲しており、行政権を用いてヴァイス王国を併合したいのだろう。ただ彼の「併合」はまさに、文化まで全て根絶やしにし、全ての制度を煌帝国に合わせる。

 歴史や文化、ヴァイス王国の誇る三権分立の制度などは、失われるだろう。



「えっと、」



 ジュダルから明確な答えが得られなかったは、怖い顔をしている紅炎を見て少し考え込む。



「煌帝国の誰かが、行政権を持つべきだ。」



 紅炎ははっきりとそう口にする。はというとよくわからず、必死に足りない頭を働かせた。



「行政権を持つのが、王さま、だよね。」

「一応名目上はそういうことになるでしょうね、」

「でも、王様を決めるのは、ジュダルじゃないの?」



 創世の魔法使い、マギ。ジュダルは次世代の王を決めるが故に、神官として尊ばれる存在なのだ。にはよくわからないけれど、それがジュダルの役目だろう。だがジュダルは肘置きに肘をついて、の言葉を聞いて「なら、」と口を開いた。



「なら、おまえが決めろよ。それがこの国にとって一番良いんじゃねぇの?」



 この国にとって、なんてマギのくせに初めて口にしたなと自嘲しながら、ジュダルはの背中を叩く。

 少なくとも司法を司る権利を持つが、次の国王を推薦するのは悪いことじゃない。それに、マギとはいえヴァイス王国に関係のないジュダルより、先代の主席魔導士で、絶大な人望があるマフシードの娘であるが決めた方が、皆納得するだろう。



「さぁ、、貴方の答えを聞かせて。」



 玉艶の涼やかな声がの答えを促す。神官たちもまた、をその空虚な瞳で見つめ、答えを待つ。

 遠い日、幼すぎてに求められなかった答えを、神官たちは欲している。ただそれだけだった。






過去の正しい答えを欲す