がババクとあった翌日、皇后である玉艶の来訪によって中止されていた煌帝国とヴァイス王国の協議が、再び開始された。議事堂にとともに入った皇后である玉艶に、ヴァイス王国の議長・イマーンをはじめ、議員や司法庁の裁判官たちも、玉艶に頭を下げ、敬意を払う。

 だが、彼らの瞳には明らかに懸念があった。

 煌帝国の皇后がわざわざヴァイス王国に来た理由を、ヴァイス王国の行政権を手に入れるためだと考えているのだ。

 ざわりと広がる不安をは肌で感じる。



「行政権を誰が持つのか、誰が国王になるかは、考えなければならないでしょう。…また独裁がなされるようなことは、あってはならない。」



 イマーンは低い声でそう言って、煌帝国の者たちを睨み付ける。ヴァイス王国の行政官や司法庁の裁判官、の従兄弟で司法庁再編のために力を尽くしてくれたフィルーズも、怖い顔で煌帝国の面々を見ている。

 国王ヴィルヘルムに長らく虐げられ、愛しい者たちすら失った彼らにとって、行政権を誰が持つかというのは、重要な案件だ。次の行政権を持つものがヴィルヘルムと同じ強権を振るえば、また同じように彼らは苦しむことになる。

 ましてやそれが煌帝国という後ろ盾を持つ皇族であればなおさらだ。

 敵意。疑念。不信。不満。憂慮。恐れ。暗い感情が人々の中に広がる、煌帝国とヴァイス王国の人々の間に、溝を作る。互いが互いに恐怖し、恐れはまだ何もしていないのに不安を生み、溝を作る。違う相手を知ろうとしない。



、貴方はどう思うのかしら。」



 玉艶はゆったりと顔をの方へ向け、発言を促す。



「…、」



 神官であるジュダルが、の肩を叩く。それと同時に、イマーンをはじめとするヴァイス王国の人々の目も、に向けられる。



「わたしは、紅炎おじさんが、国王になって、そのぎょーせーけん?を持つのが良いと思うよ。」



 つたない言葉は、それでも高い声音とともに行動に響く。ヴァイス王国の面々は当然ながら、それに指名された紅炎や煌帝国の面々も驚愕した。



「…紅炎は皇太子だって。」



 ジュダルがこそっとに耳打ちをして言動を正す。は軽く首を傾げて、ぽりぽりと頬を人差し指でかいてから、一応覚えようと「こーたいし」という言葉を口元で反芻した。



「属国となれ、とおっしゃるか。」



 イマーンはに怒りの眼差しを向ける。はその質問に首を横に振った。



「うぅん。そういうわけじゃないよ。だって、この国の行政権は、大臣の人たちとか他の人も一緒に話し合うんでしょう?」



 行政権のトップは当然国王であるが、実質的には国王は大臣とともに決定を下し、行政官がその指示に従って下々に通達する。



「しかし、国王の横暴によって、どれだけの人が死んだのか…」

「でもそれに協力した人たちが、たくさんいたんでしょう?」



 は何の裏もなく、問いかける。それに息をのんだ者は決して少なくはなかった。



「わたしを殺しに来た、ババクさんもそうだった。国王のためって、言って、でも人をたくさん殺したんだと思う。」



 国王に仕える魔導士だったババクは、国王の命令でを殺しに来た。恐らくだけではなくを匿って育てていた辺境の村のファナリスたちも、殺したのだろう。



「王さまも、人間なんだよ。ここにいる人たちと何も変わらない。紅炎、こーたいし?も一緒でしょ?」



 国王とはいえ、国王もひとりの人間だ。それが例え恐ろしいといわれる煌帝国の皇太子であったとしても、単独ではひとりの人間であることに変わりはない。



「ババクさんは、国王のためにって言ってたけど、殺したのはババクさんだった。人を殺すなんて、本当はいけないのに、いけないって言えないから、言わないから、そういう人がたくさんいるから、こんな残酷なことがおこったんだと思う。」



 ひとりの力はとても小さい。しかし、国王が命令することによって動く人がたくさんいる。国王のためだからと言い訳をし、唯々諾々と人を殺し、罪悪感から逃れる。行っている罪は、殺される人たちにとって何も変わらないのに、人のせいにする。自分も同罪なのに。

 そうして言い訳をして罪を重ね、国王に荷担し、たくさんの人が、ヴァイス王国では国王の名の下に犠牲になった。

 そうして殺された人々の中には、の両親や義父母、を育ててくれた辺境の村のファナリスたち、の従兄弟であるフィルーズの両親やイマーンの家族、たくさんのヴァイス王国の民が含まれる。

 ひとりの国王は小さい存在だ。しかし唯々諾々と従う人々によって権力は大きくなる。



「でもね、ここにいる人たちは、それを恐れずに、おかしいって、殺さないって言った、勇気ある人だと思うんだ。」



 はまっすぐとイマーンやヴァイス王国の面々を見る。

 少なくとも国王に向かって立ち上がった彼らは、悲劇に見舞われることもあった、多くの犠牲を伴ったけれど、国王に従って他人を殺すことを良しとはしなかった。そういう勇気ある人々ならば、誰が王さまでも、どんな横暴な人が上に立ったとしても、また追い出せる。

 恐れる必要はない。



「わたしには、難しいことはわからないけれど、王さまが間違ってる時に、違うって言える勇気のある貴方たちなら、何も恐れる必要はないと思う。」



 は誰が行政権を持ったとしても、王さまになったとしても、問題はないと本気で思っている。例え何があったとしても、彼らは決して屈したりはしない。



「一応誰かいるから、王さまがいるけど、みんなひとりひとりが、この国のおうさまとして、考えなくちゃいけないんだよ。」



 本当に正しいのか、正しくないのか、答えを他人に委ねてはいけない。例え王さまが板としても、自分で考えて、生きていかなければならない。そうして皆が考え続ける限り、誰が王さまになったとしても、ヴァイス王国は間違えずに歩いて行けるだろう。

 そしてもう一つ言えば、




「それに、紅炎こーたいしは、わたしみたいにバカじゃなくて、賢いから、無茶苦茶はしないと思うな。」




 はちらりと紅炎の方を見る。彼の眉間には皺が刻まれており、それはいつものことだったが、心底呆れたような瞳をこちらに向けていた。

 紅炎は非常に賢く、には全く話がわからないが、統治者としても一定の理念や方法論を持っている。その彼がわざわざ自立心の強いヴァイス王国の自尊心を逆なでし、無理矢理従わせて反乱の渦に巻き込もうとは思わないだろう。

 今のヴァイス王国を無理矢理属国化すれば、それぞ国民全員の抵抗に遭い、国自体が滅びる可能性がある。そうなれば煌帝国にとって、何のメリットもなくなってしまう。



「はぁ、」



 紅炎は深く、髪をかき上げると、腕を組んで大きなため息をついた。




「行政権を認めること、あとは・スールマーズの身柄をこれまで通り煌帝国に引き渡してくれるのであれば、自治権は認めるつもりだ。」



 ヴァイス王国は自立心が強く、長らく優れた政治体制を持つ、制度のしっかりした国だ。国王の独裁が終わったことでまた、官僚主義が進み、強固な国家として再建されるだろう。別段攻撃的な国家でもない、鉱山資源の豊かな国だ。

 商業で煌帝国が利益を得るには適しているが、人々を虐げたところで、意味はない。鉱山資源の輸出などで友好的に関係を築くのが、一番互いにとって利益のあるものとなるだろう。

 また、保険として正式に司法権を持つを煌帝国側で実際としては人質だが、名目上は煌帝国の第二皇女として遇し、預かることが出来るのならば、煌帝国の軍隊や紅炎に従う軍人たちも十分に納得するはずだ。



「うん。わたしはバカで、なにもよくわからないから、何も出来ないけど、一杯頑張って考えるし、フィルーズを信頼してるよ。」



 はこれまで通り煌帝国で、ジュダルの下で過ごすことになる。代わりにの主席魔導士としての権利を行使するのは従兄のフィルーズだ。フィルーズは少し驚いた顔をしていたが、小さく笑って頷いた。

 の言葉を聞いたイマーンや、ヴァイス王国の面々が小さく笑い、煌帝国側もつられて吹き出す。



「そうだな。これからあるだろう実務者協議はおまえにとっては大層退屈だろうな。」



 紅炎が公の場にしては珍しく、彼らしくない皮肉を口にする。



「うん。フィルーズ、よろしくね。」



 が悪気もなくあっさりと任せると、こらえきれなくなった人々が大声で笑い出した。






幻想の夢と現実