ヴァイス王国の首席魔導士は賢者によって選ばれるとされる。またその承認も時の賢者が行うのが常だ。

 母親の腹の中にいたを首席魔導士として選んだ賢者はシェヘラザードであったが、今回正式な首席魔導士の承認を行ったのはマギであるジュダルだった。

 昔魔導士が司祭として、そして司法庁が宗教的な役割を担っていたことから、頭に赤色で金に縁取りをされたミトラ(司祭冠)をかぶり、白く長いワンピースのような服の上に、同じく金で縁取りをされた緋色の布を羽織る。

 本来であれば祭服は行事ごとに色が決められている。本来であればこう言った儀式には純真を表す白を着用することが普通なのだが、はあえて白を選んだ。

 それはかつて、殉教の色とされ、殉教者のための祝日に着用するものだった。多くの人々の犠牲の上にヴァイス王国があることを示すためだ。


 王城のバルコニーの前に、たくさんの民衆が集まっている。

 バルコニーには立法権を司る議会の議長イマーンと、行政権をこのたび殺された国王に代わり、持つこととなった煌帝国の皇太子紅炎が並ぶ。そして空には司法権を司り、杖に腰を下ろした赤い服を身に纏ったがたたずむ。

 民衆が沸き立つような歓声を上げた。

 ヴァイス王国においては三権分立が原則で、国王であっても優越権は認められないし、彼が持つ行政権が他の権利より下に位置づけられることもない。三権平等が原則なのだ。だから、王城で民衆に顔を見せる時も、必ず三人が一緒であるというのが原則となっていた。

 民衆への顔見せが終われば、次は議会の議事堂へと入る。

 そこで所信表明に近い演説をしなければならない。当然議長のイマーンや皇太子の紅炎はそれに慣れているわけだが、はど素人で、しかもそういう威厳を口に出して醸し出すことは苦手だった。なんと言っても芸妓時代のあだ名は“残念な美人”である。

 だが、そういう所も正式に第2席魔導士となり、実際に主席魔導士の執務を預けられることとなるの従兄弟、フィルーズは優秀で、抜け目がなく、しかもの性格をよく理解していた。



「わたしたちは、母である先代の首席魔導士の死から続いていた混乱を超え、議会と国民、煌帝国の援助、様々な人々の助けによって再び平穏へと立ち戻ることが出来ました。」



 は手に持った紙をゆったりとした口調で読み上げる。たまに正しいかどうかを問うようにフィルーズやジュダルの方を見て間を開けるのだが、それまた絶妙な間合いで、高い涼やかな声音を議事堂に響かせる。

 もともと早口ではない上、焦りもしない。ゆっくりなので噛むこともないので、それなりに威厳があるような雰囲気だけは醸し出していた。

 ただ、の表情の変化を見慣れているジュダルには、彼女が段々長い文章を見るのに退屈し、飽きているのが目に見えてわかっていた。段々彼女の眉間に日頃は全くない皺が寄り、いつもは下がった目尻が上がる。

 とはいえその方が少し精悍に見えて、美貌は冴えるのだが、せっかく難しい顔をして上がっていた目尻がどんどん下がってきている。どうやらフィルーズの考えた原稿は少し彼女には長かったらしい。



「目が疲れたー。長いお話は退屈だし、きらいかな。」



 いつもののんびりした調子で言って、が原稿を放り出す。ぱらぱらと散る原稿に後ろに控えていたフィルーズは呆然としていたし、を知らない議員も目を見張っていたが、議長のイマーンは小さく笑っていた。

 は議事堂を見下ろすために、浮遊魔法で席から立ち上がり、前へと出る。長い銀色の髪が揺れて、波打つ。



「わたしは。首席魔導士になったけど、明日には煌帝国に帰るから、きっとフィルーズが立派にいろんなことをしてくれると思う。わたしよりずっと上手にすると思うし。」



 軽い調子で言うと、議員たちから笑いがこぼれる。

 首席魔導士とはいえ、は10代の子供で、実際的に執務を行うことはない。それは誰もがわかっていることだ。ある意味で首席魔導士のは、煌帝国で第二皇女として遇せられるが、実際にはヴァイス王国からの人質のような役割を果たすこととなる。

 だが、理解していないは、議事堂からわき上がる笑みに答えるように、ころころと軽く鈴を鳴らすような声音で笑う。



「でも、わたしはここにいる。それはわたしのことをたくさんの人が助けてくれたから、」




 には何の力もない。弱くて、ろくに魔法も使えない、彼女自身が何かを出来るわけではない。これからもそれは変わらないだろう。

 それでも彼女がこの議事堂に立つのは、彼女に地位を残した母がおり、彼女を支える人々がいるからだ。



「貴方たちは自分たちで戦い続けて、今日を自分たちで勝ち取っていける強い人たち。」



 国王の圧政に屈し、国王の手先となって人を殺した人がいる。長い混乱の時代に、大切な者を失った人々がいる。くじけ、諦め、国王の支配を甘受し、戦わなかった人もいる。だが少なくともこの議事堂に集まっているのは、戦い、そして勝ち取った人々だ。



「貴方たちは、わたしよりもずっと、ずっと強くて、優しい、勇気のある人たち。」



 ずっと誰かに支えられ、助けられ、この場所にいる座るより、議事堂に集まる全ての人たちは、勇気を持ち、不屈の精神を持ち、時には圧政に耐えながら、戦ってきた、どこまでも強い人々だ。そのことには最大限の敬意を持っている。



「本当はみんな大きな権利を持つ人は、強い人が良いよね。でもわたしは、とっても弱い、そんなわたしを選んでくれた。」



 強い人の庇護下に入りたい、誰かに身を委ねていたい、守られていたいと思うのは当然の考えだ。

 だからとて強い人を王に選ぶ人を否定することはない。なのに、彼らはを、司法権を司る存在として、偶発的とはいえ選んだ。こうしてが三権を持つ存在の一人として立つことを許してくれる。



「だからみんな、誰よりも強い人たちだと、わたしは思うんだ。」



 選択を委ねられない程に弱いを頂く恐ろしさ。それを容認することの出来る強さ。はそんな彼らを誇らしく思うし、この場所を自分に不釣り合いなほど、酷く眩しいもののように感じる。



「貴方たちはこれからも、きっとそれぞれ自分たちの手で進んで、勝ち取ることができる、強い人たちだ。」



 は軽く自分の魔法の杖を振る。翡翠の玉に銀の房飾りのついた杖が、しゃらと軽い音を立てる。



「だから、弱いわたしに見せて欲しい。貴方の国を、強い貴方、ひとりひとりが守るところを。」



 ふわりと議事堂から溢れるように金色のルフが舞う。それは普通の人々が統治者に持つ期待や願望、羨望ではない。心が満たされるような、強い自信。自分たちが勝ち取った、それを自分たちが守り抜くんだという、強い決心。



「強い、貴方たちの国を、」



 強い王に率いられるのではない。強い誰かが権利をすべて包括してもつのではない。誰かひとりの国ではない。ひとりひとりの強い国民が、ひとりひとりの考えで、国を守る。それこそが、が彼らに望む、“国”というものだ。

 強いひとりの人間の国ではない。強い人々の国。

 大きな波が突然現れたように、議事堂にいる人々が一斉に割れんばかりの歓声を上げる。「我らの国を!」と人々が叫ぶ。

 ルフの違いが見えないはずの紅炎や白瑛、紅覇ですら、この歓声を前にすればが弱くても、みっともない演説をしていたとしても、自分たちとは全く異なるカリスマ性を持つということを、理解出来るだろう。

 わき上がる金色のルフを眺めながら、ジュダルは目を細める。

 目に鮮やかなほどに眩しい、人とは違う、王の資格。ひとりでは何も出来ない、けれど、ひとりひとりの力を生かす。自分が眩しい光なのではない。他者を眩しい光として、自分を輝かせる、何かを彼女は持っているのだろう。



「…運命に、」



 抗い、勝ち取ろうとしたとしても、それすら運命の輪の中にある。運命とはそういうもので、抗おうとも、逃れようともがこうとも、運命から自分を勝ち取ることなど出来ない。ルフの導きは、淀みなく目的のために一つの流れを作る。そして、命を失えばその流れに帰って行く。

 ルフに愛されたマギでありながら堕転したジュダルには、眩しすぎる金色の流れが、の中には煌々と輝いて存在している。だからジュダルはに引き寄せられるのかも知れない。

 ジュダルはまだ知らない。に引き寄せられること自体が、運命に導かれていることに。



「あ、でも、わたしは弱いから、ババクさんみたいに、襲ってこないで欲しいな。」



 が笑みを消して、少し考えるように顎に手を当てて言う。



「難しいお話は苦手だから、お話は短く、簡単にしてほしいな。」



 あと、あとね、と続けようとするの襟元を、後ろにいたフィルーズが掴んで、宙から引きずり下ろし、無理矢理席へと押しつけるように座らせる。



「え、でも言っとかないと、わたし難しいお話、わかんないよ?」

「いや、もう黙って!」



 まだ主張を続けようとするに、フィルーズが悲鳴のように叫ぶ。どっと議事堂から笑いがわき上がり、そのまま和やかなお開きの雰囲気になる。

 ただ少なくとも、誰ももう、紅炎やイマーンの話した演説の内容などすっかり忘れて、の話で持ちきりだった。






強い貴方の国