の体調がおかしいことにジュダルが気づいたのは、彼女を馬車から下ろすべく、彼女を抱き上げた時だった。



「…熱くね?」



 冬も深まる頃合い、それ故に吹きさらしの絨毯での移動はあまりに寒いため、途中から馬車に切り替えられることとなった。馬車の中には紅覇と白瑛もおり、道中の果物なども食しながらの旅は、なかなか楽しいもので、その日は煌帝国とヴァイス王国の国境上にある離宮に宿泊予定だった。

 だが、ジュダルが歩を止めたので、腕の中にいるは彼を見上げて首を傾げた。



「まあ、服、分厚いね。重たい?」



 馬車の中には暖房もない。紅覇に随行している魔導士が暖かい空気を生み出してくれてはいるが、はいつもの白いワンピースと緑色の文様の入った布地の他に、分厚く毛皮の貼られた上着を着ていた。当然それなりの重さがある訳で、いつもより当然抱き上げるジュダルにも負担がかかる。

 ごめんねと呟こうとしただったが、それよりも早く、白瑛がジュダルの言葉に反応した。



「…熱い?が?」



 白瑛が馬車から降りてきて、の躰に自分の上着を掛け、の額に触れる。彼女の手が、ひんやりと感じたのは、と白瑛の体温が違うからだ。白瑛はの額に触れ、すぐに手を引っ込めた。



「青舜、医官を呼んできて、早く!」



 彼女は顔色を変えて自分の従者にすぐに命じる。ジュダルは白瑛の答えを聞いて、足早に離宮へと入ろうと歩を進めた。



「え?」



 は意味がわからず、ジュダルを見上げる。



「なになにぃ?、風邪ぇ?」



 最後に降りてきた紅覇が、白瑛の命令を受けてざわつき始めた従者たちを見て尋ねた。



「かぜ?え?」



 は少し遠い紅覇の声を聞きながら、首を傾げる。離宮の入り口に既にたどり着いていたジュダルはの視線に気づかず、声にも応えず、そのまま中へと入っていった。



「どの部屋があっためてあるんだよ。」

「は、はい。神官様、こちらへ、」




 ジュダルが尋ねると、侍女が案内しようとジュダルの前を歩き出す。彼はそれを追い抜くほどの速さで足を進めていた。

 部屋に入ると、はすぐに奥にある寝台に下ろされ、ジュダルの手が額に触れる。



「おまえ、熱あんぞ。」

「ねつ?」



 流石に大食漢のとて、体調が悪いとか、熱を出したりといった経験はある。だが、別に頭が痛いわけでも、躰がだるいわけでもない。2週間も眠っていたため、手足が動かしにくいとか、酷い睡魔に見舞われるとかいうことはあったが、それ以外体の不調は感じられなかった。

 だが、ジュダルの緋色の瞳は酷く心配そうに僅かに潤んでいて、はそちらに驚いてしまった。

 ジュダルの手が、そっと額から降りてきて、の頬を撫でる。自分より大きなその手が少しくすぐったかったけれど、やはりひんやり冷たい気がして、はすりっと頬を寄せた。



「熱いな、」



 どうやらジュダルにはの体温が熱く感じるらしい。彼はに毛布をこれでもかと言うほど掛ける。



「お、おもたいよ、ジュダル。わたしはだいじょ…」

「うるせーよ、」



 が身を起こそうとすると、いささか乱暴にジュダルはを寝台に押しつける。



「ひとまずは医官が来るまで寝ていなさい。」



 白瑛はそう言って、医官を待ちきれないのか、迎えに行ってしまう。部屋に残されたは、煌々と輝く暖炉を眺めた。



「でも、わたし、しんどくないよ。」

「熱があるって言ってんだろ。」

「でも…、」



 言いつのっても、ジュダルは首を縦には振らないし、とても怖い顔をしていた。

 の感覚では体のだるさも何もない。感じない。いつもの風邪のようなつらさや、痛みもない。だが、熱があるのは事実のようで、それもそこそこ高いのだろう。ジュダルと白瑛の切迫した顔がそれを物語っていた。



「大人しくしてろ、」



 いつもよりずっと低い声で言われれば、は黙るしかない。その声音には酷い心配がにじんでいた。

 が大人しく身を横たえて待っていると、白瑛にせかされた若い医官がやってくる。前にが魔法で助けた、現在は医官の劉隔夕だった。

 彼はの額に手を当てると、白瑛と同じように顔色を変えて、の脈などを測る。が首を傾げている間に、彼は手順通りなのだろう、流れるような動作での手首の関節の動きなどを確認し、息を吐いた。



「過労です、」

「かる?」



 は聞き慣れない単語に、思わず眉を寄せて問う。



「過労?」



 ジュダルは目を瞠り、医官の言葉を反芻した。



「なあに、それ。」

「疲れすぎているってことよ。」




 白瑛には思い当たる節があったのか、青い顔でに説明する。ジュダルもはっと息をのんだ。

 は記憶にこそないが、3週間ほど前に大きなヴァイス王国の首都に張られていた結界を一撃で破るほどの大きな魔法を使っている。その後、彼女は2週間ほど眠り続けていた。

 元々はマギと同じように周囲から無尽蔵に魔力を集めることができる。しかし、その躰は普通の魔導士とそれほど変わらない。大きな魔力を無理矢理周囲から集めれば、それだけ魔導士の躰には負担がかかっているはずだ。

 マギのジュダルですら、あれほどの大きな魔法を使ってただではすまないだろう。




「え?疲れてる?」




 は魔法を使った記憶がないため、疲れているという自覚もない。



「躰は痛かったり、だるかったりしないんですか?」



 医官はの言葉に驚いたように尋ねる。



「どうしてそんなことを聞くのかな。」



 むしろ、は医官がどうしてそんなことを尋ねてくるのかの方がわからず、首を傾げる。医官は自覚症状のないに危機感を覚えたのか、真剣な表情をした。



「本当に、痛くないんですか?」

「いたい?」

「関節も内臓も、熱を放っているんです。ひどい状態ですよ?」



 医官が確認する限り、の躰の関節は驚くほどに固まってしまっているし、恐らく内臓にも疲労がたまっている。かなり痛みが伴う状態のはずだし、体中が熱を放っているのも、風邪ではなくそのためだ。本来なら、動けるはずがない。

 なのに、は、けろっとした顔をしている。



「良いですか?自覚症状がないのが一番怖いんです。ひとまず絶対に安静になさってください。」

「でも、本当に痛くないんだよ。しんどくもないし、」

「どちらにしても、過労です。だから、躰が熱を放っているんですよ。」



 医官は理解していないの根気よく言い聞かせる。だがが理解する前に、ジュダルの方が彼女の状態を性格に理解した。



「どのくらい、休ませれば良いんだよ。」



 ジュダルはの頭を軽く慰めるように撫でてから、医官に視線を向ける。



「ひとまず熱が下がるまでは絶対安静です。熱が下がってからも、間接などのきしみが残るようでしたら、あまり動かすのは。」



 医官は控えめにジュダルに進言した。それは大きな予定変更を伴うからだ。



「仕方ねぇな。」



 ジュダルはぽつっと呟いて、の寝台に腰を下ろした。



「え?なに?」

「何じゃねぇよ。しばらくここで逗留な。」

「とーりー?」

「ここにいるってこと。」




 この離宮で数日滞在し、そのまま煌帝国の帝都に戻る予定だったが、それは出来ないだろう。少なくともの熱が下がり、落ち着くまでしばらくは離宮に滞在するしかあるまい。



「えー?なぁに?帰らないのぉ」



 荷物を運び込ませてからやってきた紅覇は可愛らしく首を傾げて尋ねる。



「え、帰らないの?」



 あまり話について来ることが出来ていない当事者のを尻目に、ジュダルはため息をついた。






平穏