離宮に残った紅覇は数日で退屈を示した。



「市場に行こうよぉ〜ジュダルくん!!」

「うぜぇんだよ!おまえ!!」




 ジュダルが腕に絡んでくる紅覇をあっさりと振り払う。だが紅覇も懲りずに彼の腕をまた引っ張るのだから、すごいものだな、とはぼんやりとその様子を眺めた。近くの椅子では、白瑛が小さく笑っている。



「だってぇ〜だって美味しいご飯食べたいよね?」




 紅覇は今度はに向かって言う。




「え?ここのご飯、おいしいよ。」



 は離宮の食事に満足であったため、あっさりと答える。だがそれは彼の望む答えではなかったらしく、紅覇は頬を膨らませた。



って何が好きなのぉ?」

「…おいしいもの?」

「何それちょー適当ぉ。じゃあ、嫌いなものは?」

「おいしくないもの。」

ってちょーつまんない。」




 眉を寄せ、紅覇がふんっとそっぽを向く。は首を傾げて、「確かに、ここつまんないね、」と呟いた。途端に頭を軽い衝撃が襲う。



「っ、ジュダル、なんでたたくの?」

「こっちが心配してやってんのにそういう言い方はねぇだろ。」



 彼はそう不機嫌そうに言いながらも、の額に手をやり、熱を確かめる。



「またぶり返してきてんじゃねーか。おい!アルスラン!医官呼べ!」



 部屋の隅で控えていたファナリスのアルスランに、医官を呼び出すように命じる。彼は恐るべき勢いで部屋を飛び出し、医官を呼びに行ってしまった。



「え、大丈夫だよ。」

「大丈夫じゃねぇよ。」

「ジュダルは大げさだよ?」

「大げさじゃねぇよ。うっせえな。」



 ぴしゃりと言って、ジュダルはが座っている寝台に腰を下ろし、に眠るように促す。彼に心配をかけているのはわかっているので大人しく体を横たえ、布団に入ることにした。



「わたしは大丈夫なのに。」

「だめ。医官もおっしゃっていたでしょう。過労だって。」



 白瑛が不満そうな顔をするを諭す。はジュダルと白瑛の顔を見比べながら、二人とも自分を心配してくれているのに、ジュダルが不機嫌そうで、眉がつり上がっていて、反対に白瑛は悲しそうで、目尻が下がっているのはどうしてだろうと考えた。

 過労、とは医官に診断されていた。

 疲労による内臓や関節の痛み、そして38度を超える熱。ここ数日、なおったり、ぶりかえしたりを繰り返している。ジュダルが急いで帝都に帰らないと決めたのも、そのためだ。少し体調が戻ったと思っても数日ですぐに熱をぶりかえす。

 おかげでは絶対安静を命じられてしまった。



「良いですか。過労なんですよ。何度も言いますが、絶対安静ですよ。」




 若い医官はを心配したジュダルや白瑛に呼び出される度に、同じ言葉でを諫める。だが、元々足が悪く、ジュダルに手を貸してもらえないと動けないに、何が出来るというのだ。ちなみにお得意の竪琴も、今はジュダルに禁止を命じられている。

 は医官が退出すると、ころりと寝返りを打って、ジュダルの服を引っ張った。



「なんだよ。」

「わたしはしんどくないよ。」

「熱あるって言ってんだよ。言うこと聞け。」



 を見下ろすジュダルの緋色の目が悲しそうに見えて、彼を見上げながら、彼の手に自分の手を重ねる。自分より大きくて少し骨張った手は、の手が触れたがわかって、一度手を離し、その手を重ねて握り返してくれた。

 戦場で使った、大きな魔法を使った記憶のないは、自分の躰の過労が納得出来ない。だがジュダルや白瑛に心配をかけていることはわかっているため、それ以上文句は言わなかった。

 は彼の手に自分の頬を寄せる。温かくて、心が満たされていく。



って、ジュダルくんにべったりだよねぇ。」



 紅覇が少し不満そうに口をとがらす。



「だって、一番安心するもの。」

「安心?何それ、安眠枕なのぉ?」

「ん?そうかな。」

「おまえ、熱下がったら覚えとけよ。」



 ジュダルがぼそっとそう言うが、熱が下がる頃には忘れているだろう。なんだかんだ言って、ジュダルもまたに弱いのだ。



「しっかりしろよ、おまえ。お目付役のフィルーズはもういねぇぞ。」



 小うるさい姑のようだったフィルーズは、ヴァイス王国の首席魔導士代理としてヴァイス王国にいる。今までのようにに小言を言うことも、様々な用意をあらかじめすることもない。の身辺に気を配ることもない。

 アルスランは正式にジュダルたちの従者と言うことになっているが、まだ10才程度の子供で、ファナリスとはいえ奴隷として働いていたので、気は利かない。命令を待つ傾向にある。誰かに命令するというのは、流されるままに流されて、のんびりしているにはなかなか難しい話だった。



「ジュダルはいるでしょ?大丈夫かな。」



 はあっさりとそう言って、ジュダルに身を寄せる。



「おまえなぁ、」




 呆れたようにそう言いながら、自分が頼られることに、ジュダルは僅かな喜びを感じる。

 彼女から感じる温もりや、こみ上げてくれるような、穏やかな感情を気味が悪いと思いつつ、もう手放すことが考えられない。



「仕方ねぇな、どうにかしてやるよ。」



 彼女にとって、都合の良い、依存先なのかも知れない。それでも、ジュダルは彼女とともにいる。は翡翠の瞳でジュダルを映して、目を細めた。その安心しきった表情が、ジュダルの心を一杯にするのだ。

 ジュダルが寝台に座っていると、は甘えるように自分の頭をジュダルの膝にのせてきた。ジュダルも拒まない。長い銀色の髪を撫でてやった。ただやはり、僅かに触れた肌は熱い。



「たまにはだらだらしろよ。」



 彼女が熱を出して気づいたのは、は足が悪く自力で動けないくせに、存外コマコマ動いていると言うことだった。

 もちろん寝台に一人で上ったりすることは出来ないが、長椅子に座っていたと思えば、いつの間にか絨毯に座り込んで食べ物を食べたり、竪琴を弾いたりしていた。長椅子に座ったままよく落ちたりしていたのも、椅子に座ったまま何かをしようと手を伸ばすことが多かったからだ。

 そのため寝台から出ようとする彼女を止め、見張るのが、ジュダルと白瑛の仕事となっていた。




「だって、働かざる者食うべからずだよ。」

「なんだよそれ。」



 育ちが自給自足を旨としていた辺境の村だからだろう。のんびりしているとはいえ、の育ちは変わらない。根本的には宮廷で物質的には至れり尽くせりで生きてきたジュダルとは違うのだ。



「まぁ、どうでも良いぜ。ひとまず大人しくしてるなら。」

「じゃあ、ジュダルが何かしてよ。退屈だよ。」



 も紅覇と同じで離宮でずっと逗留しているのは退屈らしい。



「おまえ最近生意気だぞ。調子にのんなよ」



 ジュダルはがしっとの頭を掴んで力を込める。だがはそれに抵抗するように、膝に頭を乗せたまま、ジュダルの腹に頭をすりつけた。腹が出た服を着ているため、の髪が当たるのがくすぐったい。




「じゃあ、がぁなにかするか、ジュダル君が踊れば良いんだよぉ。」




 紅覇が長椅子でクッションを抱きしめながら、名案だとでも言うように二者択一を迫る。




「はぁ!?ふざけんなよ、」

「踊る?ジュダルが踊るの?」

「踊らねぇよ!」





 紅覇の案に軽く乗ったに怒鳴りつけるジュダルを見ながら、白瑛が小さな笑いを零していた。当たり前の日常と、ともに。




平穏