「さんかん、さま?」



 は聞き慣れない単語に首を傾げる。



「神官、神官だってば!!昨日、アンタに声をかけてた、ほら!三つ編みの少年!」

「アンタと同じ年頃で、美形だったじゃないの!!」



 宮廷の舞手の少女たちが口々に言ってに詰め寄ってくる。だが、は何故彼女たちがそんなに興奮して話しているのかがわからず、傾げる首の角度がほぼ真横になる。そんなの様子に呆れたのか、少女たちは腰に手を当ててため息をついた。



「いや、一応、その人は覚えてるけど…男の子、だったかな?」



 話しかけてきた人がいたことは記憶している。ただ、声をかけてくる人は多いし、性別はだいたい男ばかりだが、年齢までは覚えていない。要するに、ほとんど覚えていないのだ。

 ただし、なんと言ったのかは覚えている。



『おまえ、どっから来たんだよ。金属器使いじゃねぇか。』 



 軽い雰囲気だったが、なんだか押しが強そうで、きつそうと言うか、何となくそんな感じの人だった。ような気がする。

 ただその認識は、恐らく他の舞手の少女たちとは異なるのだろう。



「昨日の宴は宮廷の内々のもので、官吏は来ないのよ?!」



 ひとりの少女が叫ぶと、他の少女たちも賛同した。

 昨日、も参加した宴は、皇族や大貴族が集まる皇帝主催の宴で、そこに参加するのは皇族と大貴族、それに準じる者のみだ。教房からその宴に参加した舞手や芸妓たちも皆、指折りの腕を持つ者だった。

 ただし、ここに来て日が浅く、元々興味のないにとって、そんなことは記憶するにたる事柄ではなかった。



「ふぅん、」



 全く興味なさげな相づちをうつと、舞手の少女たちはため息をついた。それを見て、誤魔化すように手をひらひらさせる。



「き、きんかんって、有名なんだね、」

「全然人の話聞いてなかったでしょ。神官!し・ん・か・ん・よ!」



 少女はに目尻をつり上げて詰め寄る。は翡翠の瞳をぱちぱちと瞬いて、首を傾げた。


「その、しんかんよ、は、なに?」

「もう良いわよ。アンタ、なんで知らないの。」





 舞手たちはもう怒りを通り越して突っ込むのにも疲れたのだろう。細い息を吐いて諦めた。すると騒いでいた舞手たちを押さえるように、教房の奥からやってきた舞姫のまとめ役をしている李欄がの前に立つ。




「何してんのよアンタたち。まさかいじめてるんじゃないでしょうね」

「違いますー!だいたい、はいじめたって気づかないわよ!!」





 まだ年若い少女たちは、わらわらと口々に言い訳をした。

 まさに女は三人集まれば姦しいと言われるが、この教房には100人近い舞手、芸妓が所属している。遊郭や、人買いから宮廷に売られてきた貧しい少女たちが多く、共同生活故につまらないことで競い合ったり、小さなもめ事を起こすことはよくあった。

 さらに、彼女たちにとって、大貴族や皇族、高位の官吏などに見初められれば豊かな暮らしが出来るため、貴族たちに取り入ることにも必死だ。そのため容姿が北方系で美しいはすぐにいじめの対象となった。

 ここに来たばかりの頃は物を隠されたり、宴などで貴族からもらった品をとられたりしていたが、物欲のないにとってどうでも良かったし、持っている物も少なかったので気づかなかった。

 しばらくすればはこの教房に多くいる舞手ではなく、美しい声と竪琴の腕で買われたことが知れたこと、または足が悪く、自分で動くことも出来ないという欠陥持ちだったこと、そして何よりもとろい性格から、いじめはあっという間に減った。

 だから、こうして詰め寄られるのも別にいじめではないし、気にしてもいない。





「違うよ、みんな心配してくれたの、かな。」




 は言うと、李欄は少し複雑そうな顔をして、「そう?」と言った。




、神官様に声をかけられたの。ほら、一番偉い、まだ男の子!」



 舞手の少女が李欄に今度は訴える。



「そうよ、そうよ。ったら知らないのよ。」

「すごく長くしゃべってたの!なのにこの子、ちっともわかってなくて。」



 李欄は少女たちが必死で説明する意味を正しく理解して、長椅子に座っているの前に膝をつき、彼女の手を取った。



「貴方、神官って知ってる?」

「うぅん。何それ。」



 は北方にあるヴァイス王国から売られてきたため、煌帝国の役職に疎い。それに加えて誰かに見初められ、出世しようという気もさらさらないのだから、覚えるはずもなかった。




「神様に仕える偉い人よ。」

「えらい、ふぅん。」



 悪気もなく、酷く薄っぺらい相づちは、誰にでも伝わる。



「まったく興味がないのね。」

「ない、かな。」




 別に偉い人だと言われても、にとっては声をかけてくれた人。ただそれだけだ。それ以上でも以下でもない。もちろん特別な興味がないし、偉い人がどうして偉いのか、には全くわからなかった。




「本当に残念な美人よね、ってぇ、」




 教房の舞手たちが口をそろえてげんなりした顔で言う。年上で舞手として成功している李欄も見たことがないタイプで、もう既に視線がこちらに向いていないをため息交じりに眺めた。

 残念な美人、宮廷での噂に反して、教房の中ではそう呼ばれていた。


 は遊郭から買われてきた、竪琴の弾き手であり、唄の歌い手だ。遊郭から買い取られてきた理由は大きく三つ。

 技術は一流で、古参の竪琴の弾き手より遥かに高い技術を持ち、ついでに北方の珍しいハープと呼ばれる大きな竪琴と、煌帝国の琴も弾けた。更に幼げで高い声音で紡ぐ唄は、僅か数日で良い楽士を抱える宮廷人を魅了し、舞手たちからも好評だった。

 またその容姿も、誰もが評価するものだった。顔立ちは小作りで整っている。目尻が下がっておりきつさがなく、とろんとした艶やかさがある。柔らかそうな桃色の頬。煌帝国では珍しい大きな翡翠の瞳を長い銀色の睫がふと取っていて、一見すると下がった目尻とともに物憂げで、そこがまた美しい。

 そばかす一つない、北方系の真っ白な肌を持ち、竪琴を弾く仕草はしなやかな白い腕と相まって指先まで優美だ。長く豊かな銀色の髪を揺ったりと三つ編みにしており、それを銀や翡翠で飾れば、どんな姫君にも劣らない。

 そして彼女はその唄でたちどころに他人の傷や病を癒やしてしまうことでも有名だった。それは魔法と言われる力なのだが、何もわからない人々にとっては奇跡の力と呼ばれている。

 足こそ悪いが十分に観賞用としても、芸妓としても一級品で、ここに来て数週間、既に通ってくる貴族の子弟はひとりやふたりではない。


 ただ実際のはのんびりと言えば聞こえは良いが、ずれた少女だった。

 辺境出身であるため、煌帝国の常識は愚か、一般常識すら欠如しており、しかも熱心に学ぼうという気もない。宝飾品にも興味がなく、贈り物を貴族の子弟からされても、必要ないからと返してしまうし、愛人や妾、果ては正妻にするとまで言った人間もいるのに、興味がないからと断って終わりだ。

 舞手の多くが貴族の愛人や妾、皇族の側室になったりと、大抵は宮廷の人間と何らかの形で関係し、安定した生活を望むのに対して、はそういったことまで考えが及ばないのか、今十分に生活出来れば良いとしか考えていないようだった。



「本当に、ったら、ご飯くれるって誰にでもついて行きそうなんだもん。」



 舞手の少女たちはへの心配を口にする。

 残念な美人と言いながらも、教房の舞手たちは決しての事を嫌っているわけではない。のんびりしている彼女は何故か人が話しやすい空気を作り出すのが得意だ。くだらない話も文句を言わずに良く聞く。素直で率直だ。

 しかも人が良く、お金に頓着しないことから、貴族からの贈り物や必要ないお金をあっさり舞手たちに分配してしまうことが多かった。

 そんなのんびりしたが一度だけ、貴族の子弟に連れ込まれそうになったことがある。それを助けたのは、舞手の少女たちだった。

 警戒心のないところが、男たちの相手になれた舞手たちからすると恐ろしく、しかし彼女が鈍くさくてとろいことを知っているため、放ってもおけず、に声をかけてくる人間をどうしても警戒してしまうのだ。

 これほどの容姿を持っていれば、どちらにしても皇族や、大貴族が彼女を望む日が来るだろう。そう言った断れない話が来るまでは、のんびりしたが傷つかないように守ってやりたかった。



「神官って言っても、確か皇族より上位に置かれてたわよね。」



 李欄は不安になり、舞手たちに問えば、少女たちはしきりに頷いて見せた。

 宴に出席していれば自然と貴族や皇族、神官の序列にも敏感になる。舞手たちがに声をかけてきた神官のことを何故口にしたのか。恐らく彼がを望めば、拒むことが出来ないくらい高位の人間なのだと知っているからだ。




「えらいひとなんだね。」





 は穏やかに相づちを打ちながら、近くにあった桃を頬張る。そちらの方がにとっては重要だった。







芸妓と神官