がジュダルとともに長椅子に座って昼ご飯を食べていると、神官団を連れた玉艶がやってきた。皆が玉艶への挨拶をとざわつく中、優雅に裾を揺らしながら彼女はまっすぐの元へと歩み寄り、にっこりと微笑んだ。



「ごきげんよう、楽しんでる?」



 まさに実の娘にするような気軽な様子で声をかけてくる。



「うん。あとで、ジュダルがおいしいお魚とってくれるって。」

「おいっ!俺がとるなんて言ってねぇぞ!!」



 ジュダルが慌てて抗議してくるが、としては細かいところはどうでも良い。ひとまず後で川に行って魚を捕って、美味しい魚が食べられるというのが重要で、他のことはどうでも良かった。



「そう、良かったわ。あとで何がとれたか、教えて頂戴ね、」



 玉艶はの頭に手をのせ、よしよしと撫でてから離れていく。

 ざわざわと草原を風が揺らすように、人がと玉艶を交互に見比べ、驚きともつかぬ声を漏らす。実質的な宮廷の最高権力者である皇后玉艶が、第一皇子である紅炎でも、第一皇女である白瑛でもなく、に声をかけたという意味は政治的に非常に大きい。

 玉艶が神官団と懇意であることはよく知られており、正式にはマギに与えられた神官の立場になるため、その一部であることを示している。

 ただしは政治的な意味など全く解さない。



「はーい。」



 は元気な返事をする。穏やかな沈黙が落ちた時、神官団から進み出てきたひとりの男が、ジュダルとの前に膝をついた。

 玉艶が僅かに不快そうに眉を寄せ、口元を隠す。



「マギよ。ご無沙汰しております。また白慧皇女におかれましては、お目にかかれ光栄です。」



 低い、声の男だった。

 濃い緑がかった髪に、白いかぶり物。漆黒の服。そして何よりも目元を覆う漆黒のマスク。黒いルフがあたりにふわりと舞って、彼を包む。

 そちらの方が気になって、はそれを目で追った。

 村にいる時それほど意識したことはなかったのだが、金色の鳥、それをルフというのだと、はジュダルに初めて教えてもらった。

 この世にある、生きている全てのものが金色のルフを持っていて、それがあらかじめ多い人もいるし、嬉しかったり、勇気をもらったりすると、それが増える時もある。の治癒の力はもちろん金属器にも由来するが、恐らくこの金色のルフを増幅させたり、解いたり出来るからだろう。

 ただし、には二つ、治癒出来ないものがある。どんなに頑張っても、黒色のルフは増えないし、自身が使うことも出来ない。そしてもう一つはジュダルだった。黒いルフを持った人の治癒をしたことはないが、ジュダルの怪我や傷に関して治癒することは出来なかった。

 は黒いルフに手を伸ばす。その手はルフに触れる前に、ジュダルによって掴まれた。ジュダルを見上げると、彼の視線はそのまま男へと向けられる。それにつられても視線を彼に戻した。



「あ、えっと。誰かな。貴方は、」



 は男に尋ねる。



「イスナーンと申します。どうか、お見知りおきを。」

「イスナーン?あれ、うん。よろしくー。」



 生憎あまり耳の良いほうではないし、根本的に覚える以前に聞いたことのない音を聞き取るのが苦手だ。シンドバッドに至ってはジバなんたら位にしか聞こえていない。そのため、初めて聞く人間の名前をすぐに反芻出来るのは初めてだった。



「知り合いには、いないんだけどなぁ。」



 首を傾げて考え込むが、知らない名前だ。



「どうした?」



 ジュダルが小さく呟いたの言葉を聞いて、首を傾げる。



「うぅん。気のせいかな。」



 は首を横に振って、イスナーンを見つめた。



「必要とあらば魔法などもご教授いたします。お困りのことがあれば、何でもお聞きください。」



 イスナーンは大げさなほど恭しく頭を下げた。は彼の言葉を聞いて、少し考える。にあまり組織と、そして黒いルフと関わって欲しくないジュダルが顔色を変えたが、そんな思案もよそに、は首を振った。



「あら、魔法の教師はいくらでもいるわ。」



 玉艶が冷たい視線をイスナーンに向ける。

 どうやら彼女はイスナーンが会話に入ってきたことに対して、あまり面白く思っていないらしい。攻撃的な皮肉に、少しだけ驚いたが、は口を開いた。



「大丈夫、魔法なら、ジュダルが全部教えてくれるし、困っていることはジュダルがどうにかしてくれるもの。」



 はっきりとした拒否の答えに、少し向こうの席に腰を下ろした玉艶が口元を袖で隠してクスクスと笑う。イスナーンは少し眉を寄せたが、「仰せのままに」と恭しく頭を下げた。



「おまえ、魔法に興味ねぇのかよ。」

「ジュダルが教えてくれるからいいでしょ?」

「俺が教えてもろくすっぽ聞いてねぇくせに。」

「必要なのはちゃんとおぼえてるもの。」




 は隣に座っているジュダルの腕に自分の額を押しつける。

 ボルグと結界、そういう物に関して、は一応熱心に魔法式を見るようにしているし、少しは出来る。ただあまり普通の魔法は必要ないので興味がなかった。



「ジュダル、もう行って良いわ。」



 玉艶がゆったりとした声音で、笑みを刻んでいるであろう口元を袖で隠したまま、ジュダルに告げる。



「は?行くってどこにだよ、」

「あら、魚、とってあげるんでしょう?」



 ぽかんとするジュダルに、玉艶のくすくすという声音が追い打ちをかける。が彼を見上げると、彼は心底嫌そうな顔をしていた。どうやらあまり魚を捕るのは好きではないようだ。



「え、いや?」



 ジュダルの服を引っ張って、問う。

 が好きだったとしても、彼が嫌いなものもあるだろう。川魚が美味しいと聞けば食べてみたいけれど、とるのを助けてくれなければ、では魚を捕ることが出来ないかも知れない。ただ助けるか、否かはジュダルの自由だ。



「…」



 彼は酷く狼狽えた顔をしていたが、そっぽを向き、大きなため息をつく。どうやら相当いやらしい。



「わかったよ、」



 悲しいことだが、自分で出来ないなら仕方ない。しょんぼりしていると、紅覇が駆け寄ってきて腰に手を当てて笑う。



「手伝ってあげようかぁ?」



 酷く男にしては可愛らしい笑顔で、問う。



「本当?!おさか、」

「わかった!いきゃぁ良いんだろ!いきゃあ!」




 の歓迎の声をかき消す勢いで、ジュダルがやけくそといった様子で怒鳴った。




「え、いやなら、無理は言わないよ?」

「嫌じゃない!行くって言ってんだろ!!」

「そう?」




 彼の行動の意味はよくわからないが、ジュダルが一緒に行ってくれるならありがたい。悪態をついたり、頭をはたかれたりはするが、彼には悪気がない。それになんだかんだ言ってが困ると助けてくれる。ジュダルの傍が一番安全であると言うことをはよく理解していた。

 人がたくさんいる場所に出ても気にならない、物怖じしないのは、ジュダルがいてくれるからだと言えた。



「私もご一緒しようかしら。」



 聞こえていたのだろう。近くで皇后とたちの謁見を見ていた白瑛が椅子から腰を上げ、馬の手綱を掴む。が彼女の方を見ると、彼女の従者の青舜が、に向けてぺこりと頭を下げた。



「なら、俺も行きます。」



 白瑛の傍にいた彼女の弟で、第4皇子の白龍も名乗りを上げる。



「じゃあ、みんなで行こう。」



 はあっさりとそう決めて、高ぶる気持ちもそのままにカウチの上で足をぶらぶらさせた。途端、後頭部に衝撃を感じる。



「おまえマジでむかつくわ。」



 ジュダルの言っている意味が、全くわからなかった。





遠乗り