「まあ、知識としては知っていますが、釣りは初めてです。」



 そう言って釣りの仕方を教えてくれたのは、白龍だった。



「こんなまどろっこしい方法で釣れんのかよ」



 ジュダルはげんなりした顔で問いかける。



「まあ、わかりませんが、神官殿のようにそのまま追いかけ回すより確立は高いと思います。」

「うっせえよ!」



 冷静な白龍の言葉に答えるジュダルの怒号があたりに響く。それも流れる川の水音にすぐにかき消されていった。




「白龍って物知りだよねぇ」




 紅覇は服が濡れるのは嫌だったらしく、岩に敷布まで敷かせていた。釣りをする気はそうそうにうせたらしく、軽食まで広げている。



「白龍が来てくれて良かったかな。」



 は岩に腰を下ろし、足だけを水につける。凍えるほどに冷たい水。煌帝国に来てから、川の水に触れるのは初めてだ。

 が育ったヴァイス王国の辺境の村は川が遠く、井戸で地下水をくみ上げることはあっても、川に行くことはなかった。村の子供たちの中には遠出して、魚を捕りに川まで行く者もいたようだが、は足が悪いため、川に行ったのは一度きり、しかも鉄砲水でおぼれかけるという恐ろしい経験をしていた。

 しかしながら、恐怖はあまりない。



「そうね。頼りになる弟よ。」



 白瑛はの隣に腰を下ろし、目を細めて頼もしそうに自分の弟を見つめていた。

 恐らくジュダルひとりでも、紅覇と一緒でも魚は捕れなかっただろう。白龍は川釣りをしたことこそなかったが、知識としては知っていたらしい。

 ジュダルが闇雲に魚を追いかけ回している間に淡々と人数分の棒を切り出し、手持ちの裁縫道具である針や糸、あとはそのあたりにある蔓を使って簡単な釣り竿を作ったのだ。おかげでは生まれて初めて釣りを自分ですることになった。



「神官殿、餌は見つかりましたか?」

「今探してんだよ。うげぇ、きもー」



 ジュダルは水に入って、白龍と一緒に餌となる川底の虫などを探している。ただあまり虫取りなどしたことがないらしく、叫ぶ方に忙しそうだった。

 それに対して白龍は淡々虫を探している。より随分と年下で、恐らく年齢は12,3歳と言ったところだろうが、白龍は本当にしっかりしていて、ジュダルが深そうな場所に入り込みそうになると注意をする余裕もある。

 確かに白瑛の言う通り、頼りになる弟という評も確かなものと言えた。

 ただし、実際の所を言うと、それぞれが自分たちで連れてきた従者たちにやらせれば早いのだ。恐らく怪力であるファナリスの、ジュダルとの従者アルスランなら、簡単に素手で魚を捕まえて見せただろう。

 そのことに、ジュダルは気づいていない。白龍は釣りをする過程を楽しむ気のようだ。



…姉上は、辺境の村で育たれたんですよね。」



 餌を探しながら、白龍がに問う。だが何やら“姉上”の部分が躊躇いがちで、呼びにくそうだった。



で良いよ。」

「一応、貴方は姉ということになるんですが。」



 軽い調子のに、白龍は苦笑する。

 は現在第2皇女の地位にある。白龍は第4皇子。しかも皇后の養女でもあるため、皇后出生の皇子である白龍とは、姉弟といっても過言ではない。例え義理だったとしても形式上はそういうことになる。

 ただは、そんなつまらないものを求めようとは思わなかった。



「良いよ、だってわたしはわたしだもん。呼びたくなったらそう呼んだら良いし、好きに呼んだら良いよ。」




 姉だろうが、呼び捨てだろうが、彼にとってが親しみのない、ぽっと突然出てきた人間であることに変わりはない。口だけ姉だなんて言ったところで、せいぜい実姉である白瑛の友人程度の認識だろう。

 今、呼び方ごときでそれを変えようとは思わない。



「でもたまに一緒にご飯食べようね。わたしはご飯が大好きなの。」



 白龍は少しぽかんとして、色違いの目でを見ていたが、ふっと笑う。



「そうですか。俺、料理は得意ですよ。是非今度は離宮にいらしてください。ごちそうします。」

「本当?!それはとても素敵かな。」



 は手をそろえて笑む。白龍も同じように笑って、ぽんっとの手に虫を乗せた。小指の2関節分くらいの、ヤゴだ。



「うげぇー」



 ジュダルは顔を顰め、まるでヤゴが飛んでくるとでも言うように、逃げるために飛び退く。



「それを針の先にくっつけるんですよ。できますか?」

「うん。」



 白龍に教えられるがままに、端っこに針を引っかける。それを釣り針を遠くに投げることはうまく出来そうにないが、何度かやれば、ちゃんと深そうな場所まで釣り針を放り込むことが出来た。



「これで待ってれば良いのかな。」

「さぁ、どうなのかしら。」



 と白瑛は、二人そろって顔を見合わせる。



「様子を見ましょう。もう餌は十分でしょうし。」

「きっしょ。」



 白龍が持っている小さなカップに入っているのは、川の水とたくさんの虫だ。なかなかグロテスクな状態で、中を覗いたジュダルは首を横に振った。



「ジュダル虫駄目なの?」

「おまえ、虫、平気なのかよ。」



 が問うと、水から上がってきたジュダルが、手ぬぐいで足を拭きながら反対に問うてくる。



「そういえば、前に蚕を育てていたと言っていたけれど。」

「あ、そうだね。そんな話したね。」




 前に白瑛は、に対して姿勢の生活はどんなものか、尋ねたことがある。が育ったのはヴァイス王国の辺境であるため、一般的な姿勢の生活と言えるかどうかは疑問だが、辺境の村の生活がどういったものなのか、話をした。



「蚕って、服とかになるヤツだよな。見たことねぇけど。」



 知識としては知っているが、宮廷で育ったジュダルが実際に見たことはない。それは紅覇や白龍、白瑛も同じだ。



「うん。このぐらいの、結構大きくなる虫だよ。わたしは足が悪いから、それを育てたり、布を織ったり、染めたりするんだ。裁縫は得意かな。料理も出来なくはないし、」



 辺境の村に商人がやってくるのは年に1,2度で、自給自足が原則だ。例え足の悪いであっても、労働は基本である。の仕事はだいたい足が悪くても見張っていられる蚕の管理と織物や裁縫だった。虫など全然平気だ。

 宮廷で育った皇族やジュダルとは、スペックが違う。



「おまえ、飯も作れんの。」

「作れるよ。食材があれば。」



 料理もまた、台の高ささえ考えてもらえば、普通に足が悪くても出来る作業だ。ある程度の年齢になってから村を出るまでくらいは、農作業や外での仕事をする養父母に変わって、が率先して作っていた。



「そうですか。今度一緒に作りませんか。俺も作ります。それにヴァイス王国の食事には興味があります。」



 知識欲豊富ではあるが、煌帝国から出たことがほとんどなく、実際を目にしたことのない白龍は、知らない文化の話に目を輝かせる。



「うん。約束だよ。」



 も食べ物には目がないので、嬉しくて何度も頷いた。何やら食事の話とともに、白龍との間にゆるい雰囲気が漂う。白瑛もそれをにこにこと見守っている。それに割って入ったのはジュダルだった。



「楽しくお話し中、悪いだけどよぉ。なんか引いてんぞ。」



 彼が指で何かを示す。がその指の示すところを目で追うと、それは釣り竿だった。うにょっという音が聞こえるほどしなっている釣り竿を見て、は首を傾げる。



「曲がっちゃったね、」

「ちげぇよ!早くしろ!!」



 ジュダルが焦った様子で言ってくるが、よくわからない。



「え何を?わっ、」




 引っ張る力が強すぎて、は体勢を崩し、岩から落ちる。白瑛が手を伸ばそうとしたが、もう遅い。



!!」



 ジュダルの叫ぶ声が水しぶきの音に紛れて聞こえなくなる。そのままは水の中に飲み込まれた。早春の水は凍えそうなほどに冷たかった。







遠乗り