「すごい、うま!」



 が白瑛の背中で黄色い歓声を上げる。



「貴方が喜ぶと思ったのよ。」



 白瑛は目を細めて満足げに笑った。

 前に馬で空から落ちてくる彼女を拾った時、馬に乗ったことがないと言う話を聞いていたのだ。今日は皇族たちが皆集まっているし、夜は近くの離宮に全員が宿泊し、その後に禁城に戻る予定だ。白瑛の弟。白龍をはじめ、皇族、ジュダルも参加している。

 遠乗りや狩りも行われているから、自分が乗る時に、一度、一緒に乗せてやろうと考えていたのだ。



「ジュダル!馬!」

「見てる見てる。」




 反応が素っ気ないジュダルはというと、絨毯で上を飛んでいた。



「俺、先に離宮に行ってっから、白瑛から離れんじゃねぇぞ?」



 馬は絨毯より遅いので、面倒らしい。だいたいはジュダルにべったりだが、例外は白瑛だ。彼女といる時だけ、はジュダルがいなくても落ち着いていられる。



「わかった。またすぐ後でね。」



 上空にいるジュダルにが手を振る。彼も返事はしなかったが、手だけは振り替えしてくれた。



ってぇ、馬ごときで喜ぶんだねぇ。変なの。」



 白瑛と同じように馬で一緒に走っている紅覇も不思議そうだ。



「森に住まう民の中には、馬がそもそも必要ないところもあるそうですよ。」



 白龍は喜ぶに理解を示し、白瑛の隣に並ぶ。




「おまえら!!全員道をそれているぞ!!」



 紅炎が少し遠い場所から声を張り上げていた。

 のために、あたりを見下ろせる丘に登っていたため、どうやら少し決められた進路から離れたところを走っていたようだ。



「今戻ります!」



 白瑛は少し声を張り上げて紅炎に答え、馬首を返した。

 皇后はどうやら離宮に泊まらず帰るようだが、他の皇族たちはだいたいこのまま離宮に馬で入り、一夜を過ごす予定だ。とジュダルも帰ろうかと二人で話していたが、白瑛と紅覇がふたりで誘い出した。特に今回は、参加しておいた方が良いだろう。

 はいつもジュダルといるため、どうしても宮廷に知り合いが少ない。皇后で白瑛の母、玉艶もを気にかけ、後ろ盾となっているが、他のつてを持っておくほうが良いだろう。白瑛や紅覇としても、との仲の良さを他の皇族や国賓たちにアピールすることによってを守ろうとしていた。

 少なくとも、血が繋がっていても、親しみのない異母兄妹たちに比べれば、の無邪気さはよほど親しみがいがあったし、大切に思っていた。




「お馬さん、可愛いね。でもちょっと高いから、怖いかな。」

「そうね。でも馬もちゃんとわかってゆっくり走ってくれているわ。」




 白瑛は楽しそうな様子のを見ながら、つられて笑みを零す。

 本当に彼女は、自分よりたった一つ年下とは思えない。身長も白瑛よりも10センチは小さいし、子供のようだ。反応も珍しいものを初めて見た子供と同じで、白瑛はあまりに自分の、を喜ばせたいというもくろみが当たった事に満足感を覚える。



「貴方が政治的な立場に置かれるのは少し不安だけれど、私は貴方が妹になって嬉しいわ。」



 白瑛は風になびく自分の髪を押さえながら、背中に掴まっているに告げる。

 皇后である母が、兄たちが死んでからおかしいことに白瑛も気づいている。その皇后によってが第二皇女に封じられたことは、政治的には不安にならざる得ない事実である。だがそれを抜きにすれば、白瑛はが自分の妹になって、嬉しかった。

 本当ならこんなことを口に出すのは恥じらいもあって憚られるが、なんとなく、彼女の前では自然に口に出来る気がした。




「わたしも、白瑛がお姉さんですごく嬉しいよ。」



 もぎゅうっと白瑛に掴まる腕の力を強めて、とても嬉しそうに答える。その答えは白瑛の心を十分に満たすもので、白瑛も手綱を握る手に力を込めた。



「あ、おじさんだ。」



 白瑛が馬を紅炎の所まで走らせ、よせると、がぽつっと呟くように言う。



「言おう言おうと思っていたんだがな…おまえ、いい加減におじさんはやめろ。」



 紅炎はをぎろりと睨む。彼の眼光は鋭く、表情も険しい、威厳もあるため、多くの人が睨まれるだけでだいたい命令に従ってしまうのだが、が気にした様子は全くなく、少し考えるそぶりまで見せた。

 呼び名を変えることは、そんなに考えるようなことなのか。



、紅炎殿はまだ20代半ばですよ。」



 白瑛が苦笑しながらの方を振り向いて言った。

 改めて紅炎の方を見てみれば、肌も艶々しているし、髭がなければ確かに普通の20代なのかも知れない。おじさんというのは失礼なのかも知れないと考えていると、紅炎が先に口を開いた。



「良いか?おまえは煌帝国の第二皇女になったんだ。」

「うん。」

「煌帝国の文化ではな。妹は兄に従うものだ。」



 紅炎は簡単なへりくつでをねじ伏せようとする。とはいえ、家父兄制度の強い煌帝国において、娘が父に従い、兄に従い、夫に従うのは別に不思議なことではない。ただ辺境の村で育ったにはぴんとこなかったようだ。



「どうして?」



 は不満故の質問ではなく、根本的に疑問らしく、不思議そうに尋ねてくる。


「それが文化だ。」

「どうしてそういう文化なのかな、」

「どうしてって、…何故だろうな。」



 紅炎の方が思わず悩んでしまう。

 確かに煌帝国の文化では妹は兄に従うものだ。ただしその文化も、他の国では女が男に絶対的に従ったりするわけで、国特有の事情が固有の気候や歴史によって成立する。要するに煌帝国のその文化にも、必ず理由が存在するだろう。

 なんて、複雑な意味は、の質問にはない。



「それにしても、たくさん人がいたし、騒がしかったね。」



 は正直なことを言うと、それほど人の多いところが好きではない。特に今日集まってきた人々が自分自身には興味がなく、自分の地位や身分を利用するために近づいてきていることを何となく理解していた。

 だからは彼らに興味を抱かないし、応対する気もない。煩わしいと言うよりは、話を聞いていないので騒々しいという感覚しかなかった。



「そうだな。まあ、夜はジュダルと一緒にゆっくり過ごせ。禁城に戻れば忙しくなる。」



 紅炎が遠くを見て、に言った。



「誰か、くる?」

「だろうな。俺は再来週から外遊だ。」



 まっすぐと彼が見ている先がどこなのか、にはわからない。

 いつも紅炎はにとっては難しい話ばかりをしている年上の男で、野心に溢れているのは何となくわかるが、それが何を求めているのか、指し示しているのかはよくわからない。彼がどうなりたいかも同じくだ。

 ただ彼が強い力を持って、強さを求めているのはわかる。



「少し来い、」




 紅炎が白瑛の馬に自分の馬を寄せ、に腕を伸ばす。どうやらをつれて行くつもりのようだ。




「ジュダルが先に離宮に行ってるから、だめだよ。」

「少しだと言っている。」



 は彼の答えに逡巡する。




「すぐに戻れば大丈夫よ。」



 白瑛がの背中を軽く叩き、行くことを促した。は白瑛をじっと見てから、紅炎へと手を伸ばした。



強い夢、弱い夢