離宮でばったり紅玉に再び会ったのは偶然ではなかった。



「あっれ、紅玉じゃん。」



 離宮には何人か皇族が滞在する。とはいえ皇女とは言え八番目、遊女の娘であり政治的影響力の低い紅玉が与えられている部屋は、そこまで良い部屋ではないだろう。

 それに対して最高位の神官で、マギであるジュダルと、第二皇女にしてヴァイス王国の首席魔導士という地位も持つのために用意された部屋は、皇太子である紅炎に続くほど日当たりが良く、良い場所だ。

 二人と言うこともあり部屋も広く、調度品も高級品ばかり。周辺の部屋は恐らく従者や女官のためにあてがわれるはずであるため、紅玉にこのあたりの部屋への用事はないはずだった。

 紅玉はジュダルを見るときょろきょろと周りを見回す。



「なんだよ。」

「あ、…あの子は?」



 どうやらを探したかったらしい。先ほどジュダルとの喧嘩のついでに暴言を吐いてしまったことを気にしているのだろう。強気なことを言う割に引っ込み思案で、気にしいなのが紅玉だ。だからこそ、おちょくりがいがあるのだが。



、あぁ、気にすんなよ。」

「で、でも、」

「大丈夫だって、あいつのことだから、気にどころか、どーせ、おまえの名前も覚えてねぇよ。」



 ジュダルが肩をすくめると、紅玉はよほどジュダルの答えが意外だったのか、「え?」と眉をしかめて不服そうな顔をした。

 それもそのはず、紅玉とは一度お茶をともにしているからだ。




「そ、そんなことないわよ。」

「あるって。一回会ったごときのヤツをあいつが覚えてるかよ。ましてや名前とか、覚えてるはずもねぇよ。」



 ジュダルもかつて、宴で一緒になって名乗ったにもかかわらず、すっかり忘れられて苛立ったことがある。は何度も顔を合わせていないと、人の名前も顔も、すぐ忘れてしまうのだ。更に付け加えるなら、自分がされたこともすぐ忘れるから、紅玉の発言などすっかり覚えていないだろう。



「あいつ記憶障害なんだよ。」




 と、言いつつ、言い得て妙だなとジュダル自身も思った。

 実母も覚えていない、何故金属器を持っているのかも覚えていない。部分的な記憶も抜け落ちている。そして根本的にそれにこだわりを持たない。まさに記憶障害である。



「それがなくても脳みそ貧相だからな。ま、躰は良いけど。」



 けらけらと笑い飛ばせば、紅玉が自分の赤い頬に手を当てて言う。



「そ、そんな言い方ってないわ。それに女の子と一緒の部屋に泊まるなんて…」



 離宮での部屋割りを女官か従者から聞いたのだろう。うぶな紅玉としては男性と一緒の部屋に泊まるということ自体が、どうやら考えられないことのようだ。

 ジュダルは何を言ってるんだこいつ、と思いながらも、紅玉がと話したい理由が何となくわかっていた。彼女は友達がおらず、遊女が産んだ皇女であるため身分も低く、どうしてもないがしろにされがちだ。同年代の友人が欲しかったのだろう。

 だからこそ、にわざわざ挨拶に来ていたのだが、どうやらジュダルはそれを見事に台無しにしてしまったらしい。測らずともに暴言を吐いてしまったという罪悪感から、しばらく紅玉はに近づけないだろうし、近づいても緊張でまともに話せないだろう。

 少し気の毒なことをしたかも知れない。の性格からして、紅玉が友達になりたいと言えば、は拒みはしなかっただろう。



「それに、無理矢理女の子を部屋に連れ込むなんて、だ、だめよ!」




 紅玉が意を決したように勢いを付けて言った。

 どうやら女官などから、ジュダルがを無理矢理買った話を聞いているらしい。彼女はうぶで男女関係に疎いから、女官の話を無理矢理部屋に連れ込んだだけだと解釈したようだ。男女のすることにまでは、理解が及ばない。

 だが、ならば何が正しい手順なのだろう。

 両親もおらず、普通の生活など知るはずもないジュダルにとって、売春婦などの方が親しみがあるくらいで、普通の恋愛の手順などわからない。



「じゃあ、どうしろって言うんだよ。」



 ジュダルはおもしろ半分に彼女に尋ねてみた。



「そ、そりゃあ、お互いにちゃんと好きだって言って、そのいろいろなことをして、両親に挨拶に行って、それから、結婚して、それから一緒の部屋で過ごすものよ。」

「…どこに両親がいんだよ。くだらね。」



 の実母は10年も前に殺されているし、養父母もこの間同じ道を辿ったばかりだ。ジュダルの両親に至ってはいたのかどうかすらよくわからない。

 紅玉もそのことに気づいたのか、はっとして狼狽えた表情をしたが、ジュダルとしては傷つくほどのことでもない。組織に育てられたジュダルに両親の話など不釣り合いだし、そもそもマギがどうやって生まれるのかもよくわからない。

 だから彼女が思うほどのこだわりもなかった。



「そ、それでもお互いに好きって気持ちがあってこそ、一緒に泊まったりして良いものなのよ。」




 紅玉は偉そうに言ってみせるが、間違いなくただの理想というヤツだ。ただ、それが引っかからなくもなかった。



「好き、ねぇ。」



 恋愛、なんて言葉を使うほど、宮廷の男女事情は美しくない。

 皇女は大貴族や他国の王族に嫁いで豊かな暮らしをするために必死だし、男も男で地位を得るためか、美しい女を得て自慢するためか、どちらにしても性格ではなく女の付属物を求めている。その点ジュダルは若いが最高位の神官であり、悠々自適、贅沢な暮らしが出来ると思う。

 ただし、はそんなこと望んでいないだろう。

 貴族や皇族からもらう宝飾品なども全て誰かにあげてしまう。彼女が持っている宝飾品は、第二皇女の地位を得た今でも、ジュダルが彼女を買ってすぐに与えた、翡翠の耳飾りだけだ。

 金の縁取りと房飾りのついた質の良いものなのは確かだが、彼女はジュダルが適当に与えたそれを気に入っていると言うことなのか、たまたまなのか、それともジュダルが主人だと思っているからなのか。耳飾りは、今も変わらず彼女の耳を飾っている。



「あれ、俺、なんであいつといるんだっけ。」



 ジュダルが彼女の金属器や不思議なルフの流れ、あとはその容姿を気に入って、その辺の神官やら役人に圧力をかけ、を宮廷の芸妓から自分のものにした。ただよく考えてみれば金属器使いなんて自分で選べば良いし、美人も一杯いる。手駒にしたいとかはなかったが、何故かが欲しかったのだ。

 予想以上に、気に入っているのかも知れない。いや、今現在気に入っているという自覚はあるが、最初の時点でも、なにかを感じていたのかもしれない。

 どちらにしても今は、うぜぇとか、めんどいとか考えながらも、驚くほどに気に入っている。



「ま、いいや。あれ、俺のものだから、それで良いじゃん。」

「良くないわよ!だいたいジュダルちゃんが良くても、あの子が良いと思ってるかはわからないじゃない!髪の毛引っ張ったりとか酷いことして!」



 紅玉が怒鳴りつけるような勢いで言うのは、ジュダルが彼女を手荒に扱うのをいつも見てきたからだろう。というか、優しくしたり、に引きずられて言うことを聞いているジュダルを、見ないからだ。

 ただ、紅玉の言葉は、ジュダルに不思議と言いようのない不安を抱かせた。



が、どう思ってるか?」



 ジュダルは眉を寄せながらを思い浮かべる。

 当初は性的なことをするのを非常に嫌がっていたが、それ以外はよく食べ、よく歌い、悲しそうな顔をすることもなかった。

 幼い頃から自分の顔色を窺い、自分の言うことを聞かない人間なんてほとんどいなかった。大丈夫なのか、大丈夫じゃないのか、好かれているのか、嫌われているのか、そんな簡単なことすら、ジュダルは相手であるを窺い、きちんと考えたことがなかったのだ。



「関係なくね?」

「関係あるでしょ!?ジュダルちゃん、あの子に傍にいて欲しいんじゃないのぉ!?」





 紅玉に改めて言われて、ジュダルは初めて考える。

 確かに、ジュダルは彼女に傍にいて欲しい。手放す気なんてさらさらない。それは些細な願いだがはっきりと心の中にある。ぼんやりとの持つ雰囲気は心地良いな、とか、一緒にいたいなとは思っていたけれど、がどう思っているかなんて、きちんと考えていなかった。

 彼女の目から、自分がどう見えているのか。



「やっべー、俺、結構酷いことしてたんじゃね?」

「今更?!」

「うるせぇよ!仕方ねぇだろ!!なんも考えてなかったんだから!!」



 ジュダルは怒鳴りながら、初めてにしばらく会いたくないなと思った。







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